中国、清(しん)代初期の黄宗羲(こうそうぎ)の主著で、政治社会論の書。書名は『易経』の「明るさが夷(そこな)われる」に基づき、暗黒の世にあって賢明な君主から治世の方策を訪(と)われるのを待つとの意。若いころから政治活動に従事し、清軍南下に際しては義勇軍を組織して抵抗した宗羲は、明(みん)朝王統が絶えたとの報を受け、痛恨のうちに前半生の決算として1663年にこの書を著した。明代思潮と東林学派の政治論を継承し、君臣論としては、君主は民衆の経済的欲求を充足させる義務があり、臣下は君主個人にではなく天下万民に奉仕すべきで、暴君に対しては儒教の伝統思想である易姓革命、君主交代を行うことが許されるとし、君主絶対の政治理念を批判した。また宮室、官僚、財政、軍備諸制度の抜本的改革、明滅亡の反省にたつ南京(ナンキン)主都論などを展開している。内容の激しさのため、清朝では禁書とされたが、清末の変法運動に際しては啓蒙(けいもう)書として大量に印刷され、運動に一役買った。
[佐野公治]
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明末清初の黄宗羲(こうそうぎ)の著書。1巻。1663年に完成。13編に分け,孟子(もうし)の民本主義に立脚して専制君主政治を痛烈に批判し,各方面の具体的な政策論を述べている。清末の革命運動に大きな影響を与えた。
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…彼の著述は,きわめて多いが,最も有名なのは,明代学術史である《明儒学案》62巻,宋・元学術史である《宋元学案》100巻(全祖望との共著)で,両書は宋代以後の学術思想を論ずる場合に必須のものである。また,《明夷待訪録(めいいたいほうろく)》1巻は,鋭い君主制批判と民本主義的内容のために,清末の改革運動のなかで再発見され,これによって黄宗羲は〈中国のルソー〉と称された。そのほかに漢代易学を再評価した《易学象数論》や明代の文章を集めた《明文海》《明文案》《明文授読》などがある。…
※「明夷待訪録」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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