デジタル大辞泉 「明応」の意味・読み・例文・類語 めいおう【明応】 室町後期、後土御門ごつちみかど天皇・後柏原天皇の時の年号。1492年7月19日~1501年2月29日。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「明応」の意味・読み・例文・類語 めいおう【明応】 室町時代、後土御門・後柏原天皇の代の年号。延徳四年(一四九二)七月一九日に改元、明応一〇年(一五〇一)二月二九日に至って次の文亀となる。出典は「易経‐大有卦」の「其徳剛健而文明、応二乎天一而時行」。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「明応」の解説 めいおう【明応】 日本の元号(年号)。室町時代(戦国時代)の1492年から1501年まで、後土御門(ごつちみかど)天皇、後柏原(ごかしわばら)天皇の代の元号。前元号は延徳(えんとく)。次元号は文亀(ぶんき)。1492年(延徳4)7月19日改元。天災の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『文選(もんぜん)』を出典とする命名。明応年間の室町幕府の将軍は足利義稙(よしたね)(10代、初名は義材(よしき))、足利義澄(よしずみ)(11代)。1489年(延徳1)に足利義尚(よしなお)(9代将軍)が、翌1490年(延徳2)に足利義教(よしまさ)(8代将軍)が死去すると、日野富子(とみこ)(義政正室)らは、応仁の乱で敵対した足利義視(よしみ)(義政弟)の子である義稙を第10代将軍に推挙した。しかし、義稙と日野富子、細川政元(まさもと)とは次第に対立を深め、政元は1493年(明応2)に義稙を廃して足利義澄を擁立するクーデターを決行した(明応の政変)。1498年(明応7)には大地震が東海地方を襲った。この時に発生した津波により、浜名湖と外海がつながった。1500年(明応9)、後土御門天皇の崩御により皇子の後柏原天皇が即位した。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報