明暗寺(読み)めいあんじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「明暗寺」の意味・わかりやすい解説

明暗寺
めいあんじ

京都市白川にあった普化(ふけ)宗(虚無(こむ)宗)の寺。虚霊(これい)山と号し、一に妙安寺ともいう。本尊文殊菩薩(もんじゅぼさつ)。鎌倉末期ごろ天外明普(てんがいめいふ)が創建し、ここを本寺として尺八吹簫(すいしょう)禅を宣揚、以後虚無僧による明暗尺八が広まった。1871年(明治4)普化宗廃止の令が下り、本尊を東福寺(東山区本町)山内の善慧(ぜんえ(ね))院に移したが、1881年東福寺の火災で焼失。のち同宗の復興が図られ、善慧院に明暗教会を設立、虚無僧行脚(あんぎゃ)を復活した。

[平井俊榮]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の明暗寺の言及

【虚無僧】より

…様相は,はじめ普通の編笠をかぶり,白衣を着ていたが,江戸時代には天蓋(てんがい)と称する筒形の深編笠をかぶり,黒衣に絡子(らくす)をかけ,丸ぐけ帯をしめ,手甲(てつこう),脚絆(きやはん)をつけ,下駄をはき,木太刀をもつ伊達(だて)姿となっている。また虚無僧の普化宗は,金先(靳詮)派,活総(火下)派,小笹(司祖)派,小菊(夏漂)派など諸派を形成し,それら諸派のうち七派だけでも幕末に92ヵ寺を数え,下総の一月寺と武蔵の鈴法寺および京都明暗寺が普化宗本寺触頭として統轄した。1614年(慶長19)の虚無僧掟書によると,武者修行の宗門と心得て全国に自由往来することが許可されている。…

【普化宗】より

…1614年(慶長19)武蔵藤袴の鈴法寺が吉野織部によって青梅に移建されて道場となり,下総の一月寺とともにさかえた。一月寺を中心とする一派を靳全派(金先派),鈴法寺の一派は活総派(火下派)といい,また京都の虚鈴山明暗寺の一派を寄竹派(派祖天外明普),上野太田の理光寺の一派を小笹派(司祖派),同じく高崎の慈高寺の一派を梅地派(梅士派),常陸下妻の心月寺の一派を小菊派(夏漂派)と称し,普化宗の諸派中これらを普化宗六派といっている。そのうち,一月寺と鈴法寺が触頭に指定されて関東地域の諸派寺院を統括し,関西地方は京都の明暗寺などがその任にあたった。…

※「明暗寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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