出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
劇場名。東京都中央区日本橋浜町にある。発祥は江戸末期の両国にあった「三人兄弟の芝居」だが、1873年(明治6)新築の喜昇座が、久松座、千歳(ちとせ)座を経て、93年11月、初世市川左団次によってこの地に新劇場が建設され、明治座の座名で開場したのに始まる。左団次一座の本拠となったが、これを継いだ2世左団次の世になって経営難から売却(1908)、1919年(大正8)には松竹の手に帰した。以後、関東大震災(1923)、太平洋戦争(1945)で焼失・再建を繰り返し、50年(昭和25)には松竹の手を離れ、独立の劇場となった。建物は57年に失火焼失し、58年に再建された。客席1~3階、客席数1688、大衆演劇中心の独自の公演を組んだ。
1990年(平成2)に新劇場建設のため閉鎖、93年3月旧劇場敷地跡に18階ビルの中の劇場として再開場した。劇場はビルの1階から5階までを占め、客席は3階から5階までで客席数は1368(花道付き)。開場公演は歌舞伎であったが、その後は人気スターや歌手を看板にした多彩な大衆演劇を上演している。
[水落 潔]
東京日本橋浜町にある劇場。1873年久松町に喜昇座(きしようざ)の名で開場。その後久松座,千歳座を経て,93年11月明治座となった。関東大地震で被災,1928年現在地に移って開場。戦災で焼失,50年に復興,さらに57年に焼失,翌年再建,93年建て替えられ現在に至っている。座主は高木秀吉,鈴木吉兵衛にはじまり,何度も替わったが,現在は明治座株式会社が経営に当たっている。明治期には初世,2世市川左団次が本拠として,初世は毎興行新作を上演,2世はここを修業の場とした。明治末から大正のはじめ伊井蓉峰が座主になり,また昭和になってからも新派の本城となっていた時代がある。近年は歌舞伎,新派はほとんどなく,映画やテレビの俳優を中心とした興行が続いている。舞台間口11間(約20m),客席1368。1887年に,日本の劇場としてはじめて電灯を用いた劇場でもある。
執筆者:阿部 優蔵
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
東京の劇場。前身は,幕末期に江戸西両国で富田3兄弟が興行した小芝居の出資者が,1873年(明治6)に久松町に開場した喜昇座。79年に改築して久松座としたが,経営難で83年に興行停止。85年に千歳座の名で開場,90年に焼失。93年初世市川左団次が再建し,明治座と改称。初世の没後2世左団次が継いだが,1908年欧米から帰国後改革を試みて失敗,12年新派の伊井蓉峰(いいようほう)が買収,19年(大正8)松竹合名社の直営となる。関東大震災で焼失後,28年(昭和3)に日本橋浜町に移転。戦災でも焼失し,株式会社明治座として50年に開場。94年(平成6)建てかえられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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