民間説話,あるいは口承文芸の一類。
冒頭に〈むかし〉とか〈むかしむかし〉という句を置いて語りはじめる口頭の伝承で,土地によってはムカシあるいはムカシコと称される。
昔話は伝説や世間話とともに民間に行われる代表的な口頭伝承の一つである。これを始めるに際しては,必ず〈むかし〉とか〈むかしむかし〉の発語があり,またこれの完結に当たっては〈どっとはらい〉とか〈いっちご・さっけ〉あるいは〈しゃみしゃっきり〉といった類の特定の結語を置いた。すなわち,前後にきちんと対応する二つのこの語句の存在によって,そこでの物語の開始と,ついでまたその達成の意を告げたわけである。そしてこれは同時に,昔話が独立した様式,あるいは完備した伝承の形式をもっているという意味で,伝説や世間話とはいちじるしくその性格と形態を異にし,併せてこれが最も整った文芸性を擁しうるといった特性を強調する結果になった。それというのも,従来多くの土地でこれをムカシとかムカシコと称したのは,いうまでもなくその発端の句の印象からくるものであった。つまり,無文字社会における常民の文芸として,この物語は久しくムカシとかムカシコあるいは,トントムカシなどと呼ばれていたわけである。通常用いられる〈昔話〉は,すでに私どもの耳に親しいが,本来は研究者間の用語であった。〈民譚〉や〈童話〉もそうである。さらにはまた〈民話〉の語は,今日広くに用いられているが,これはfolktale,すなわち〈民間説話〉の略称である。
物語そのものが,完結した形式を備えている。そこに昔話の伝承上の特性があると記した。これはいうなれば同じ民間説話にあっても,伝説や世間話にはまったく認められない,いわば一種の約束事である。ところが昔話にはさらにいくつかのこの種の特性があった。たとえば,物語を始めるにさきがけて前置きとか誓言ともいえることばがあった。山形県最上郡では〈とんと昔のまた昔。あった事(ごん)だが,なえ事だったが,とんとわがり申さねども,あった事えして聞かねばなんねえ,え〉といった。これは九州からも早くに紹介されていた。黒島では〈さるむかし,ありしかなかりしか知らねども,あったとして聞かねばならぬぞよ〉とした。鹿児島県の大隅半島では今でも〈むかしのことなら,あったかねかったか知らねども,ねかったこともあったことにして聞いてくれ〉とか〈むかし,むかしのことならね,あったかねかったかは知らねども,あったふにして聞くがむかし〉という。どの句にも中途半端でいい加減な気持では昔話を聞いてはならぬ。そういった気分を強く促すところに共通の心意が存する。それとともにこれらのことばにはそれぞれ独自の韻律が内在している。老人の口からこれがひとたび発せられたときには,おそらくは神語りのような印象を抱かせられたものと思われる。
次に実際にいくつかの昔話を語るには,いったいどのような話から始めるべきか。これにも実は相応の順序と手続きがあった。この事実については,1936年に熊本県下から〈話の三番叟〉の名で,〈聞き手を前にしてこれから話を始めるといふしるしにやるもので,謂はば昔話の雰囲気を作るためのものである〉(《昔話研究》2-6)とする報告があった。しかしこうした話は現在でもそのまま行われている。例を示そう。
むかし。爺(じじ)と婆(ばんば)といでよう,ほして,爺〈だれが来たて,あれこれすんなよ〉て,いって,行ったとよ。ほすっと,カッパ,寒くなって来たって。婆,火燃やしていたんで,カッパ〈婆,婆,爺いだか〉〈いね〉〈婆,婆,火けんねか(くれないか)〉〈けんね〉〈んだてやあ,おれ,寒くてしょんね〉〈なに来ても,けらんねやなあ〉て,婆,いったど。ほして,爺,一人であがって(仕事をすませて)来ていうに〈だれか,来たっけやあ〉〈カッパさん,寒くなったって,火こけれ,て,火もらい来たけ〉〈んで,けてやったか〉〈けね〉て,婆いうど,爺,〈こりゃあ,大変だな。早ぐ川さ火ぃけってけや〉て,持って行ったど。ほして〈カッパさん,カッパさん,火ぃやろう〉て,いったけ,〈いい,いいぃ〉て,いったけゃあ,〈カッパさん,カッパさん,火ぃやろう〉て,いうど,〈いい,いいぃ〉て,いったって,とっぴんかたりの山椒(さんしよ)の実。
短いが完結した一編である。秋田県由利本荘市の旧東由利村に語られる〈河童火やろう〉で,土地ではこれを〈むかしの三番叟〉と称している。話の末尾にある〈火ぃやろう〉のはやしことばが〈ヒーヤロ,ヒーヤロ〉というぐあいにやがて笛の音を引き出し,さらにそれから芝居の〈三番叟〉で舞台を踏むときの場面に重なってくる。それがためこれを〈最初に語る昔話〉とするのであった。このようにひとたび語りの場を形成するには,特別の機能を有する話があった。
さて,昔話が語りはじめられると,聞く側の者にはやかましく相づちが要求された。これも約束事の一つである。相づちのことばは土地によっていちじるしく異なる特色があった。〈むかし,あったけど〉というと,そこでまず〈おう〉とか〈おっとう〉といった。これは東北地方に多い。山形県の庄内では〈おでやれ,おでやれ〉とはやした。宮城県北部の海岸部では〈はあーれ〉とか〈はあーれや〉という。古くは〈げん〉〈げい〉であった。福島県南会津郡では〈さすけん〉。このことばは新潟県長岡市の旧栃尾市の〈さあーんすけ〉や,佐渡の〈さーす〉〈さーそ〉につながる例である。瀬戸内の島では〈おお〉で,奄美諸島の徳之島では〈はいはい〉といった。いずれも非日常の特殊な用語であることに注意したい。伝説や世間話には必要としない相づちのことばが,昔話に限って存在する。よその土地の人がそれを耳にしたときにはよほど奇異に感じたのであろう。三河の人菅江真澄は《かすむこまがた》に仙台領胆沢郡に行われるそれをとどめている。1788年(天明8)正月の記事である。
〈九日 雪はこぼすがごとくふりていと寒ければ,男女童ども埋火のもとに集ひて,あとうがたりせり。また草子に牛の画(かた)あるを,こは某(なに)なるぞ,牛子(べこ)といへば,いな牛なりとあらがひ,また是(こは)なに,猿といへば,ましなりと。論(つりごと)すなと家老女(とじ)のいへば止(やみ)ぬ。つりごととは論(あげつらふ)ことの方言(くにことば)なり。また某々(なぞなぞ)かくるを聞て,うなゐ子が稚(をさな)心の春浅みいひとけがたき庭のしら雪,をやみなう雪ふれり〉。
具体的な内容の記述はないがここにいう〈あとうがたり〉は〈あどがたり〉と同じ意味であろう。古く《大鏡》にみえる〈よくきかむとあどうつめりし〉の一節が思い出される。真澄の筆は,雪に閉ざされた地方の子どもたちの言語遊戯の情状を記していて興味深い。
いったん昔話が始まると,子どもたちは続けてそれをせがむ。その際,山形県の庄内には特別の催促のことばがあった。〈こどとや,こどとや〉といった。他には〈もしとず,もしとず〉とか〈ほれがら〉〈ほすて〉といって促した。ただし,あまりいつまでも語り続けるのは,いったいに忌避されていた。〈百物語は化物が出る〉として,適時これを戒めた土地は多い。なかには積極的に語りの場を締結,解体に導く働きを備えた話もあった。たとえば,次の例などがそうである。直接機能するその部分を示してみよう。
〈さあさ,坊さん,語ってけらえん〉〈俺の昔話ははやしことばが余計でね〉〈何でもいがす(いいです)。いがす〉〈ほだら始めるがら,一くぎりごとに“棚がら落った煤(すす)け達磨の目(まなぐ)を引っつば抜いで,砂で磨いで木賊(とくさ)をかげで,金箔のようにひっからがしたは,じでごのはー”てはやしてけらえん〉〈はいはい〉座頭が,〈むがすあったずもな〉て言うと,ばんつぁんが,〈棚がら落った煤け達磨の目を引っつば抜いで,砂で磨いて木賊をかげで,金箔のようにひっからがしたは,じでごのはー〉てはやしたど。座頭が,〈ぁっとごにな〉て言うと,ばんつぁんが,〈棚がら落った煤け達磨の目を引っつば抜いで,砂で磨いて木賊をかげで,金箔のようにひっからがしたは,じでごのはー〉て,また,はやさねげねんだど。聞かせる方より聞く方が余計にしゃべんねげねんで,ばんつぁんはとくと嫌(やん)だくなって,〈もう沢山だから止めでけれ。止めでけれ。さあさ,休んでけらえん〉て言ったど。
こうして,語りの場が無事に収束すると,昔話には礼のことばがあった。福島県南会津郡では〈ご苦労でやした。おもしろうござった〉とか,〈かたじけのうござった〉といった。
以上はいずれも昔話の伝承についての様式とか形態,あるいは約束事といった例を示したものである。この一方に昔話には元来,それを語ること自体にすでに厳しい禁忌,もしくは制約といった付帯条件が付随していた。具体的には語る時とか機会を訴えるのがそうである。わが国に広く行われるのは,〈昼むかし〉と称して,厳しくこれを戒め,忌みきらった。現在各地に認められるのは〈昼むかしを語るとねずみに小便をひっかけられる〉とか,〈ねずみが笑う〉さらには〈ねずみにさらわれる〉というように,なべてねずみからの報復,制裁をいう例が圧倒的に多い。そのほか〈お寺が鍋が割れる〉〈天井から血のしたたる足が下ってくる〉〈赤い雪が降る〉,さらには日常生活に密着して〈船に乗ると難破する〉〈便所に行くときに滑る〉〈餅搗(つ)きのときに足を踏みたがえる〉などという。いずれにしても〈昼むかし〉の禁忌を侵犯したときには,身に不吉な事態の惹起(じやつき)するのを予告する点に共通した心意が流れている。それからして,時と場合によって,どうしてもこれの避けられないときには〈ねずみ,ねずみ,昼間のなかの話だ〉といって断ればよいという(新潟県村上市の旧朝日村)。注意すべきはこの場合にも,ねずみからの許諾,了承を求めているわけで,結局,昔話の禁忌には一様にねずみの動向,消息が関心の的になっている。これはおそらく,ヨメ,ヨモノとしてのねずみをいうことで,昔話は本来が夜語るもの,つまり常民の間における神聖な夜語りとしての系譜にあるのを意味しているのではないかと思われる。それなればこそ,これの伝承に数多くの約束事や制約,禁忌,あるいは厳粛な作法の存するのが理解されるのである。
昔話に限らず,分類はその目的によって方法と手段が異なる。したがってそこでの作業は目的に沿って,幾様にも存する。しかし,分類に際して最も基礎となるべき概念規定や,さらには最終目的そのものが不明確のままでは,作業自体に説得力が不足するのはやむをえない。たとえば,早くに佐々木喜善は《聴耳(ききみみ)草紙》(1931)を編むに当たり,手元の昔話を5種類に分けた。(1)自然天然の物を目当てに語り出した話の群,(2)巫女や山伏が語り出した説話群,(3)座頭坊の語り出した話の群,(4)話と伝説の中間をいったもの,あるいは伝説と話との混合がまだ整頓しきれずに残っている話の群,および(5)普通の物語というものの類,といったのがそれである。昔話の分類に関していえば,これはおそらく,わが国での最初の試みであったであろう。しかも(2)(3)に認められるように,ここでは〈話の管理者〉とか〈伝播者〉といわれる人たちの存在に注目した点に,昔話採集者としての喜善の面目がうかがえる。しかるに一方,ここには〈話〉〈説話〉の語とともに〈普通の物語〉といったような表現が用いられていて,個々の概念規定はきちんとなされていない。手続は未完了である。それがために客観的基準が得られず,このままではついに機能しえなかった。
その点,雑誌《旅と伝説》7-12(1934)が〈昔話特輯号〉を用意したのは画期的であった。冒頭に柳田国男は〈昔話の分類に就いて〉を置いて,はじめて独自の見解を明らかにした。その方法は《昔話採集手帖》(1936)の準備を機会にいっそう論理づけられ,体系立てられて,やがて《日本昔話名彙》(1948)に結実した。柳田はアールネ,トムソンStith Thompson(1885-1976)の分類とは別に,彼自身の考えによって日本の昔話を〈完形昔話〉〈派生昔話〉の二つに大きく分類,整理した。大要は次の通りである。
(1)完形昔話 〈誕生と奇瑞〉〈不思議な成長〉〈幸福なる婚姻〉〈継子の話〉〈兄弟の優劣〉〈財宝発見〉〈厄難克服〉〈動物の援助〉〈言葉の力〉〈智慧のはたらき〉。
(2)派生昔話 〈因縁話〉〈化物話〉〈笑話〉〈鳥獣草木譚〉〈その他〉。
これによると,柳田の〈完形昔話〉は人の一生の物語を意図しているのがわかる。しかもその物語の主人公は〈小(ちい)さ子〉として出生する。具体的には桃太郎や一寸法師,さらには田螺(たにし)息子がそうである。彼らはいずれも〈誕生と奇瑞〉を示し,やがて〈不思議な成長〉をとげて,最後には〈幸福な婚姻〉にいたる。しかしその間,いくつかの〈厄難〉に遭遇し,これを無事〈克服〉しなければならない。試練を受けるわけである。こうしてその人の一生は完結する。〈完形昔話〉としたゆえんであろう。柳田はこれを基本に考え,他はすべてこれからの〈派生〉であるとみなした。
《昔話採集手帖》編集に際して,柳田国男に協力した関敬吾は,昔話の比較研究といった国際的視野からその後,西欧のそれに直接照応しうる方向に整理・分類の道を求めた。関はアールネ=トムソンの分類に基づいて,国内資料の整備を図り,その結果《日本昔話集成》全6巻(1959)を経て,《日本昔話大成》全12巻(1980)の編纂を果たした。したがって,そこに導入された方法は,今日広くに用いられる〈動物昔話〉〈本格昔話〉〈笑話〉の3分類である。《日本昔話大成》は,大要これを次のように整理している。
(1)動物昔話 〈動物葛藤〉〈動物分配〉〈動物競走〉〈動物競争〉〈猿蟹合戦〉〈勝々山〉〈古屋の漏〉〈動物社会〉〈小鳥前生〉〈動物由来〉。
(2)本格昔話 〈婚姻・異類聟〉〈婚姻・異類女房〉〈婚姻・難題聟〉〈誕生〉〈運命と致富〉〈呪宝譚〉〈兄弟譚〉〈隣の爺〉〈大歳の客〉〈継子譚〉〈異郷〉〈動物報恩〉〈逃竄譚〉〈愚かな動物〉〈人と狐〉。
(3)笑話 〈愚人譚〉〈誇張譚〉〈巧智譚〉〈狡猾者譚〉〈形式譚〉。
こうしてみると,柳田国男の分類が〈完形昔話〉を主体にして,それ以外はすべてそこからの〈派生〉である,すなわち,そこにはおのずから昔話の古型,もしくは古態と目されるものと,一方にそれからの二次的な派生があるとみなしたのに対して,関敬吾の分類は〈動物昔話〉〈本格昔話〉〈笑話〉の3者が並存して位置づけられ,そこには物理的時間の優劣をいっていないことが認められる。そしてここにいう〈本格昔話〉はいうまでもなく,柳田の〈完形昔話〉に相当し,またこれが通常広くにいうメルヘン,つまりは人の一生を物語る話群である。しかし,関の認識によれば,たとえこうした本格的な昔話といえども,そのゆえをもって〈笑話〉よりは古いとする保証はまったくないとするわけである。そしてこれは,一方にかつてしきりに唱えられた神話,伝説,昔話,世間話といった,いわばこれらを縦軸に据えて,前者はいずれもその後者よりも一段と古く,かつその素姓をより由緒あるものにするといった考えに再検討を求めることになった。従来の認識では神話を最上位に据え,ついで伝説はそれから零落したもの,昔話はさらにそれに遅れをとるもの,そして笑話もしくは世間話にいたっては,これらの最も落魄した存在といった画一的な評価と見解に再考を迫るものであった。
今もしも神話が神々の物語であるとしたならば,それに対して昔話は常民の物語であり,その意味で神話と昔話とは,それぞれが両極のほぼ対立した概念にあると認められよう。
執筆者:野村 純一
日本の昔話に相当する外国の用語としては,フォルクスメールヒェンVolksmärchen(ドイツ語),コント・ポピュレールconte populaire(フランス語),フォークテールfolktale(英語),民間故事(中国語)などがある。様式の整った,人間を主人公とする昔話を日本では特に〈本格昔話〉というが,これは,ヨーロッパの学術用語として,魔法からの救済を主題とする昔話をeigentliches Märchen(ドイツ語),ordinary folktale(英語)とよぶことにならったものである。ところが,独・英のこの用語は,魔法にかけられた者を主人公が救済して,結婚する,あるいは,兄弟そろって無事親もとへ帰るなど,魔法と人間との対決が話の中心を形成しているのに対し,日本の本格昔話にはそのような魔法はなく,したがって魔法からの救済と結婚がないので,厳密にいえば,本格昔話は上の独・英の用語の訳語とはなりえない。
このような内容の差異にもかかわらず,口承文芸のなかで,時代,場所,人物が不特定で,事実としては信じられず,おとぎ話としてしか受けとられず,語り口に一定の様式がある語り物である,という意味では同じ性質の文芸といえる。その意味で,メールヒェンやフォークテールを昔話と訳すことは,一応認められてよい。
昔話は口で語られたために,書かれる文芸とは異なる独特の様式をもっている。日本ではこれを,昔話の形式というために,発端句や結末句のごとき形式のみを問題にする傾向があるが,それはむしろ,音楽や美術でいわれる様式と同じ意味と考えた方がよい。昔話の様式的研究としては,まずデンマークのオールリクAxel Olrikによって,〈くり返しの法則〉〈発端における最前部優先と展開における最後部優先〉〈三の聖数〉〈場面の統一性〉〈導入と静止の法則〉が唱えられた(1909)。その後,第2次大戦を経て,スイスのリュティMax Lüthiが,昔話の〈一次元性〉〈平面性〉〈抽象的様式〉〈純化と含世界性〉〈孤立性と普遍的結合の可能性〉を唱えるにいたった(1949)。リュティ理論によって昔話は,読まれることを予期して書かれる文学とは異種の,抽象的様式をもった文芸であることが確認された。
リュティは,自分の理論はヨーロッパの資料の分析によって生みだされた理論であるから,他の大陸,民族の昔話についてはそれぞれの検討が必要だと述べているが,日本の昔話についてみても,多くの点で,リュティ理論が妥当することが確認されている。しかし,日本の昔話は,その理論をもってしては説明しきれない部分をもつことも事実なので,その面の研究には将来性があると考えられる。
昔話のなかに構造を見いだし,多様な外観にもかかわらず,構造に一定の共通性があることを発見したのは,ソ連のV.Ya.プロップであった(1928)。プロップは,アファナーシエフAleksandr Nikolaevich Afanas'ev(1826-71)が〈魔法昔話〉と分類した100話について構造を分析し,個々の行為とそれが話のすじの展開に対してもつ意義とを区別し,後者を機能とよんだ。そしてプロップによれば,魔法昔話には全体として31の機能があり,その順序は一定で,もし何かの機能が欠落しても全体の順序は不変であるという。31の機能は次のとおりである。
Ⅰ〈自の世界〉 (1)外出,(2)禁止,(3)違反,(4)探り出し,(5)情報漏洩,(6)奸策,(7)奸策幇助,(8)加害,あるいはその欠如,(9)仲介,(10)対抗開始。Ⅱ〈異の世界〉 (11)出立,(12)贈与者による試練,(13)主人公の反応,(14)助手・呪具の獲得,(15)移動,(16)闘争,(17)印づけ,(18)勝利,(19)不幸・欠如の解消,(20)帰路,(21)追跡,(22)救助。Ⅲ〈(新たな)自の世界〉 (23)気づかれざる帰還,(24)にせ主人公の不当な要求,(25)難題,(26)解決,(27)主人公の発見・認知,(28)にせ主人公の正体露見,(29)主人公の変身,(30)にせ主人公・加害者の処罰,(31)主人公の結婚。
プロップの功績によって,昔話のなかに具体的人物と,その人の担う役割を区別するようになり,具体的行為とその行為が話の流れのなかでもつ役割(機能)を区別してみることが可能になった。これは比較研究の上で大きな可能性をひらくことになった。しかし,注意しなければならないことは,プロップの形態論は,アファナーシエフが魔法昔話と認めた話の分析の上に成立していることである。つまり,神に反抗する者として悪魔が想定され,それが魔法をもっていると考えられているキリスト教世界での,魔法昔話を本格的な昔話と前提しての理論なのである。
そこでアメリカのダンダスAlan Dundes(1934-2005)は,北米インディアンの昔話の構造分析を試みた(1964)。ヨーロッパの昔話は,結婚にいたるまでの上向きの前半生を主たる話題としているので,それに慣れているヨーロッパ人には,インディアンの昔話は昔話とはみえないのだが,そこに明確な構造があることを明らかにした功績は大きい。ダンダスは,また,プロップの機能という術語には多少あいまいさがあるので,これをモティーフmotif,Motivに対するモティーフ素motifeme,Motivemとした。そして,同一モティーフ素に,具体的に別な行為が詰めこまれたばあい,これを異モティーフallomotif,Allomotivとよんだ。例えば,主人公が皇帝からワシをもらってよその国へ飛ぶという行為(具体的モティーフ)は,外出というモティーフ素である。このモティーフ素に立ってみると,もし主人公が,小舟に乗って川を下っていくという具体的行為をすると,これは異モティーフとなる。換言すれば,モティーフ素は一つで,異モティーフは無数にありうるのである。各民族が昔話を伝承するときには,その歴史的・文化的・風土的背景によってさまざまな異モティーフをつくりあげていくわけである。抽象化されたモティーフ素の研究と同じく,具体的異モティーフの研究も重要な課題である。
日本の昔話のうち,〈手なし娘〉〈灰坊〉〈話千両〉〈天福地福〉〈こぶとりじい(瘤取爺)〉〈天人女房〉などの話は,ヨーロッパをはじめ世界各地に類話をもっている。異民族間に類話があるとき,それを偶然の一致とみるか(多発生説),同一根源からの伝播とみるか(単一発生説)は,19世紀後半以来,西欧の研究者のあいだで議論の分かれるところである。日本では柳田国男が,みずからの昔話研究の最後にいたって,《日本昔話名彙》において,こうした共通の話の存在を指摘し,比較研究の必要性を説いているが,なぜにこのような事実が起きたのかについては疑問のまま残している。これは昔話の発生に関わる問題であるが,昔話という集合体として発生を考えるのではなく,個々の話について,その発生が考えられなければならない。個々の話をみると,そこにはごく単純な,単一モティーフによって成りたつ話と,複数のモティーフの組合せによって成りたつ,複雑な話があることがわかる。前者の場合には,各地で無関係に考え出された可能性は十分あり,多発生をいうことができる。日本の〈団子婿〉で,〈団子団子〉と唱えていたのが,小川をとびこえたとたんに〈どっこいしょ〉に変わる,というモティーフがこれに相当する。ヨーロッパでも似た話がいくつかあり,アールネ=トムソンの《昔話の型》(後述)では,1204番という番号が与えられている。しかし,これについては,伝播関係をいうことはできないだろう。このように簡単な内容のモティーフ1個の話であれば,偶然の一致ということは十分ありうるからである。それに対して,日本で〈羽衣〉として知られている〈天人女房〉の話は,数個のモティーフが組み合わされて,起承転結をなしている。この連鎖がほとんど同じである場合には,その話が地球上のどこで記録されようと,伝播関係のなかで考えなければならない。この連鎖の全体,あるいはかなりの部分が,偶然に一致するということは考えられないからである。
柳田国男もここまでは理解していたと思われるが,それにしても,四方を海に囲まれ,文明の発祥地から遠く,しかも言葉の障壁がある日本へ,おとぎ話がどうやって運ばれてきたかについて,柳田は不可解としている。話は物証が残らないから,この伝来を証明することはできないと思われる。しかし,正倉院御物にみられるように,遠くシルクロードの彼方から物が運ばれてきたのであるなら,必ずそれを運んだ人がいたはずである。今日のような短期間の旅ではないから,その間にいろいろな話を聞いたであろう。ことばの障害という点については,日本語を考えるといかにも大きく思われるが,大陸で,異民族が接して暮らしている所では,2ヵ国語で暮らすことは,少しもふしぎでない。話の運搬を主要目的として往来した人がいないことは確かだが,人が往来すれば付随して話が運ばれた可能性は強い。
昔話の文やことばそのものを研究する構造論や様式論に対して,個々の昔話の伝承されてきた実態を社会のなかで考察し,語り手が具体的にどのようにかかわってきたかを考察する研究法を,第2次大戦後ヨーロッパの研究者たちは,簡潔に〈昔話の生物学〉とよびはじめた。20世紀初頭,フィンランドのアールネの《昔話の比較研究》(1913)によって理論的にひらかれた,昔話の歴史学的・地理学的研究法は,個々の昔話の原郷土と原型の探究を最終目標としているが,多くの類話からその原型を探る研究過程のなかに,昔話の生物学というべき発想がすでにひそんでいた。すなわち,アールネは同書で,昔話が伝承・伝播の間に変化する要因として,心理的・社会的・語り技術的原因を列挙している。忘却,本来そこに属していない材料による敷衍(ふえん),話の融合,数の増加,一つのできごとを筋のなかでもう一度応用する複写,一般的特徴の特殊化,特殊な特徴の一般化,素材の交換,一つの素材の他への影響,地方を移動する際の風土化,物や風習の時代的適応。これらの着眼は,のちのことばでいえば,まさに昔話の生活史(生物学)であった。しかし,歴史学的・地理学的研究法としては,本来の目標である原郷土と原型の探究において発展をとげていった。アールネが試案をつくり,のちにアメリカのS.トムソンが増補した《昔話の型The Types of the Folktale》(1964)は,その大きな成果の一つであり,今日,世界の口承文芸研究者が,共通のカタログとして利用している。一方,昔話の生きた担い手である語り手,およびその生きている社会への興味もおこり,1929年,ピョートル・ボガティリフとローマン・ヤコブソンによって,〈民俗事象それ自体の存在は,それが特定の共同体に受け入れられてはじめて,開始される〉というテーゼが提唱されるにおよんで,本格的研究へと進む。両者の〈共同体による事前点検〉という概念は,民俗学の諸分野に応用されるが,昔話研究においても重視された。そこから,昔話社会学ともいうべき視点がひらけてきて,今日では,社会人類学の分野からの昔話研究も行われている。
伝説が村の歴史の驚嘆に値する部分を事実として伝えようとするのに対して,昔話は,みずからを事実なりとはいわず,おとぎ話に徹している。聞き手との関係でいえば,伝説は,その土地と無関係な,通りすがりの旅人に対しても,事実としてそこに存在しうる。昔話は,村のなかで伝承されていた段階では,主たる聞き手である子どもにとって,これはじいちゃんの話,これはばあちゃんの話と意識されていた。語り手と聞き手の関係は特定の関係であった。そうやって伝承される昔話は,したがってその家の固有財産であり,すこしひろげても村の固有財産であった。昔話は,この特定の村での固有性と,日本全国的規模の共通性という二面をもっている。家や村での固有性に光をあててみれば,それはほとんど土地の方言と同じく,母国語的なものとして機能していたものと考えられる。つまり,それによって,その土地の人びとが,自分の帰属しているところ(アイデンティティ)を感じる物語である。それゆえ昔話の真の姿は,土地の方言で語られるところにある。それによってはじめて,昔話は,本来の機能,語り手と聞き手,あるいは聞き手どうしを結びつける機能が発揮できたのである。しかし,この機能に着目して考えれば,方言がうすれ,故郷を離れて暮らす人がふえてきた現代においては,いやおうなしに,共通語による昔話が生まれ,そこでまた,人と人を結びつける機能をにないはじめていることが認められる。
昔話の聞き手は,本来は子どもだけではなかったが,主たる聞き手が子どもであることは否めない。そのとき,広い意味での教育性が考えられたことは自然であろう。その教育性は,一つには登場人物の描き方にみられる。正直,勤勉などの徳目を備えた人物が幸せになる話は,理解しやすいし,数も多い。一方,昔話の教育性は,こうした道徳的徳目に限らず,もっとひろく,さまざまな人間を描くことにある。正直者の幸せがあるかと思えば,うそつきの幸せ話があり,なまけ者が幸せになる話がある。そこには多様な人間観がこめられているといえるが,さらに,昔話では,なまけ者やぐうたらが,話の後半にいたって,他人の思い及ばない知恵を出したり,力を発揮したりする。この二重性は,ほとんどあらゆる民族の昔話にみられるもので,そこに,深い人間の成長観がこめられているものと思われる。
昔話の教育性は,その内容においてのみでなく,話の構成と,それが耳で聞く話として時間的順序によって聞き手の耳にとどけられるという伝承の仕方にもあらわれている。昔話が本質的に備えるくり返しを聞くとき,聞き手は2度めに同じ場面が生ずると,1度めに聞いて得た知識にもとづいて,その先を類推することができる。このとき昔話は,類推力の養成という高度な教育をしているわけである。また,昔話の筋はつねに一本であるから,聞き手はその一本線に身をまかせて聞き,十分に空想力をはたらかせることができる。こうして昔話は,人間の生きる力として重要な空想力を養う教育性をも発揮しているのである。昔話には,せまい道徳的教訓性よりも,ひろい人間的教育性が認められることが必要である。もし前者のみであったなら,昔話がこれほど長期間,人類諸民族のなかで語りつがれ,広がってくることは不可能であっただろう。
そこで,昔話の機能として娯楽性も見落とすことはできない。様式論としては,上述のごとき諸性質をもつ,抽象的原理にのっとった文芸ということになるが,そこに現出する世界は,奇想天外な,ファンタジーの世界である。土中深くもぐること,空高くとびあがること,超高速の馬,千里眼,海をこえて遠くまで飛ぶ怪鳥など,いずれも身近な生活にありふれた物や動物が,奇想天外な行為をする。これらの物や動物を近代科学の発明品におきかえれば,そのままSF小説になるような行為である。ファンタジーが,日常的なものに担われているがゆえに,ファンタジーとしてのおもしろさはいっそう高められている。このような娯楽性がなければ,昔話はこれほど広く,長く口伝えされえなかったと考えられる。この娯楽性と,上述の空想力を養う教育性とは密接に結びついている。昔話を道徳的教訓話に閉じこめることは,昔話の生命力をそぐことになる。また,第2次大戦中,日本で行われていたように,時の政治思想によって色づけすることも同じ結果を招くことになる。
昔話は民衆のあいだで口伝えされてきたのだから,民族性を強く反映しているということは,よく書かれることだが,昔話について民族性を正確にいうことは容易でない。なぜなら,昔話のモティーフはしばしば数民族に共通であるし,語り口も,口伝えの文芸としての共通性を強くもっているからである。昔話の民族性をいう場合には,そのことに留意しなければならない。あるいは,それをうまく利用して民族性を探り出す方法を考えなければならない。例えば,日本には〈鼠浄土〉とか〈こぶとり爺〉のように,良い爺と隣の悪い爺の対比で成り立っている話がある。この事実だけによって,日本の昔話には隣の爺という特徴的な話型があり,それは日本の民族性の反映であるというのは早計である。〈こぶとり爺〉はヨーロッパ各地に同型の話があるし,〈鼠浄土〉も,構造的にみれば《グリム童話》24番〈ホレ婆さん〉と同型である。したがって,善悪の対比によって成立する話という意味で,民族性を示すものとはいえない。ところが,他民族の同型の話は,善悪の対比を,兄と弟,金持ちと貧乏人,継子と実子などに置き,隣人に置くことはほとんどない,という事実まで明らかにしたうえで,対比によって善悪,親切・不親切,勤勉・怠惰を語る場合,日本の昔話はそれを隣人間のこととして設定するといってはじめて,昔話の民族性にふれたことになる。昔話について民族性をいう場合には,昔話以外の文化現象や社会現象のなかにも,同じ性質を発見することができるはずであり,もしそれが発見できなければ,昔話についてその民族性をいうこと自体が危険になる。そのような観点からみて,昔話が総じて短いことと,異類婚姻譚では,別れて終わる場合が多いこと,したがって昔話全体がふりだしにもどって終わる場合が多いことなどは,昔話にあらわれた民族性ととらえることができる。最後に述べた性質は,循環的構造ということができる。この概念が獲得されると,日本の昔話の場合,他の面についてもこの概念が妥当することがわかる。主人公として老人と子どもが多いこともそれに該当する。つまり,主人公の年齢層が循環的に並び,子どもと老人が隣合せに位置しているのである。
この点でもっとも成果をあげ,大きな影響力をもつのはC.G.ユング(1875-1961)とその学派の研究である。ユング派は,昔話のなかに成長過程,成熟過程をみる。しかも,思春期のそれではなく,成年期のそれの表現であると考える。20歳から40歳の時期になって,死が視界に入ってくる。今まで外に向けられていた関心が,自己の内面に向かい,探究の旅が始まる。意識と無意識とが新しく結びつき,外界への関係と内面への関係が調和する。病む王様は,年をとり再生を求める存在であり,王子や愚か息子は,新しく成長しつつある意識の姿である。新しい意識は,はじめ愚かしくぎごちなくみえる。それはしばしば汚い姿で登場するが,やがて真の美しい姿をみせはじめる。生命の水や美しい王女を捜し求めていく旅は,意識が自己の無意識へ向かう道である。継母や魔女,悪い兄弟などは,自己の心のなかに住むおそろしい力である。彼岸の国は自己の無意識であり,地下の国への旅は自己の人格の中核へ向けての探求の旅である。このようにユングとその学派にとって,昔話は人間の内面のできごとの表現である。
執筆者:小澤 俊夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
民間説話あるいは口承文芸の一類で、伝説・世間話とともに、民間に行われる代表的な常民の文芸をいう。英語folk tale、フランス語conte populaire、ドイツ語Märchen、Erzählung、中国語の民間故事、などの同義語として扱われる。わが国の場合、昔話の語は、本来は学術用語で、民間にあっての昔話そのものの呼称は、「ざっとむかし」「とんとむがし」「むかし」「むかしこ」「むがしがだり」「むんがたり」「むんがて」「むかしもん」など多様である。
[関 敬吾]
昔話は固有の伝承の形式をもつ。冒頭句の、「むかしむかし」「むかしあったげな」「むかしあったずもな」「むかしあったけじょん」などで語り始め、「どっとはらい」「どんぺからこねけど」「これでいっちごさっけ」「とんぴんぱらりんのぷ」などの、特定の結句も有する。昔話が伝説・世間話と著しく異なるところは、冒頭と結びの相対応する語句によって、その物語の開始と終結を告げる、この結構による。
昔話の研究はグリム兄弟により始められた。グリムは、1812年に、庶民の間に伝承されたメルヒェンを収集し、科学研究のために定義を与えた。ここにいうところのメルヒェンは、創作童話Kunstmärchen(書かれた話)に対して語る物語をさす。メルヒェンは、本来はメーレMäreの指小詞である。メーレはニュース、報告を意味し、中世では物語を語るという意味で使用されている。
グリムによれば、メルヒェンは詩的であり、伝説Sageは歴史的である。昔話はまったくそれ自身で開花し、完成しているが、伝説は色彩に乏しく、なんらかの既知のもの、意識されたもの、場所あるいは歴史によって確実にされた名前に密着するという特殊性をもつ、とされる。このことばは、昔話の概念規定の出発点を示している。
また、グリム昔話の解説者であるボルテJohannes Bolte(1858―1937)も、昔話と伝説を対比し、1920年に以下のように述べた。
〔1〕伝説は現実性を与えようとする要求を高め、聞き手の信仰を求める。これに対し、娯楽を意図する昔話は、世俗的な事件にこだわらない。〔2〕伝説は、歴史的事件・人物、あるいは周辺の一定の事物・山・海・樹木・建物に絡みつく。これに反し、昔話は、時間や空間に結び付かず、事物の名前の大部分を放棄する。〔3〕昔話の語り方は、「むかしむかしある所に」で始まり、最後は、昔話そのものの終了、主人公の幸福、悪人の懲罰を意味することばで終わる。さらに一定の繰り返し、三の数および三段階の展開、事件の高揚などの、叙事の法則がある。ボルテのこの〔1〕信憑(しんぴょう)性、〔2〕依存性・定着性、〔3〕形式(様式)の有無を基準とした昔話の概念規定、範囲の基準は、以後の昔話研究に多大の貢献をなした。わが国の昔話研究の先駆者柳田国男(やなぎたくにお)にも、その影響は認められる。
なお、1910年にアンティ・アールネが行ったタイプ目録編纂(へんさん)は、昔話研究に大きな足跡を記した。アールネは、昔話の比較研究を目的に、動物昔話、本格昔話、笑話の三群に分類した。ついで、1928年、スティス・トムソンはこのタイプ目録を翻訳、補充し、後年さらに補充して、民間文芸のモチーフ索引を編し、比較研究の基盤をつくった。トムソンは、アールネの広義のメルヒェンをfolk taleとよび、そのタイプ数を585から3345種に更新し、タイプ番号によって整理・分類した。モチーフ索引は約4万に及びアルファベットと数字の番号で示される。このAT(Aarne-Thompson)番号は、今日、昔話の比較、分布、その存在の照合などにとって、基本的な手引ともされる。
[関 敬吾]
近年、わが国では、昔話資料の採集が進み、昔話の伝承的特性がしだいに明らかになりつつある。以下に取り上げてみよう。(1)昔話には、物語を語るに際し、それに先駆けていう特定のことばがある。いわゆる前置きのことば、あるいは誓詞ともいいうべきことばである。鹿児島県大隅半島では、「むかしのことなれば、あったかなかった知らねども、なかったこともあったことにして聴いてくれ」という。山形県最上(もがみ)地方では、「むかしむかし、あったかなかったか知らねども、あったことにして聞かずばなるまい」ということばが残されている。いずれも、昔話の場に臨むに際しての、戒めの意が込められている。これらには、神語りの印象にも通う独自の韻律が内在する。(2)昔話には、語りの順序があり、相応の手続がある。最初に語る昔話があって、語りの場を形成する。こうした特別の機能を有する昔話には、「河童(かっぱ)火やろう」などが話の三番叟(さんばそう)の名称で行われる。ここには、昔話の雰囲気をつくりだし、語りの場を盛り上げる目的があり、特殊な語りことばの響きが求められる。(3)昔話が語り出されると、聴き手に対して相槌(あいづち)が要求される。相槌のことばは土地により著しく異なる。山形県庄内(しょうない)地方では「おでやれ、おでやれ」、山形県内陸部では「おっとう」と応じる。佐渡では「さーす」「さーそ」、新潟県長岡(ながおか)市栃尾(とちお)地区では「さあんすけ」、奄美(あまみ)の徳之島では「はいはい」と応じている。これらはみな特殊な非日常のことばであるともいえる。(4)昔話には、語りの場に特定される聴き手のことばがある。語り手に対して語りを催促することばと、語り終わったことに対するねぎらいのことばである。語りを促すのは、「こどでや、こどどや」「もしとず、もしとず」など、語りを延長させ、語りの場をより充実した言語空間にするべく、催促する仕儀がみられる。一方、語りが終結に向かい、無事に収束した場合には、聴き手の「ご苦労でやした。おもしろうござった」「かたじけのうやした」などの、語り手への慰労の礼詞がある。(5)昔話には、元来、昔話を語ること自体に、厳しい制約や禁忌事項が付随する。とくにわが国全域にみられるものに、「昼むかし」の強い禁止がある。すなわち、不用意に日常的な昼間に昔話を語るな、という禁忌である。これは、昔話が、伝統的に、夜に語られるものであり、庶民の間の神聖な夜(よ)語りの存在を明瞭(めいりょう)にしている。この夜語りの神聖さを侵犯した場合には、「ねずみが小便する」「天井(てんじょう)のお姫さんに小便かけられる」「嫁入り道具が燃える」「舟に乗ると難破する」など、身辺に不穏・不吉な事態の発生を予告され、制裁さえにおわされる。
また、昔話には、特定の時を選ぶと同時に、その季節や語りの場の直截(ちょくせつ)な言い継ぎのことばがある。「節供すぎての馬鹿むがし」「炬燵(こたつ)とれての馬鹿むがし」「昔話は庚申(こうしん)の宵(よい)」「正月語りは七嶺七沢(ななみねななさわ)潤う」など、昔話が聖なる日である正月・節供や、神ごとの夜籠(よごも)り講などの場を選んで行われたことが知られる。これらを侵した者は、共同体の秩序を乱した者として、共同体からの放逐、「七嶺七沢追われる」事態もありえた。それは、農耕生活者として、共同体が維持してきたハレの日の特定される日に、昔話が不可欠なものであったことを如実に示す。
昔話は、このような語りの厳粛な姿を、語りの収束にあたっても保持している。たとえば、「百物語は化け物が出る」「百物語すると囲炉裏端(いろりばた)の猫が化ける」など、長時間にわたる語りを忌避する地方もある。昔話の場には、語りの冒頭から終結まで、禁忌やそれを侵犯した際の制裁がある。語りの場には、その崩壊を防ぐための戒めも、同時に伝え残しているのである。そこには、昔話が非日常の言語活動でありえたことの印象が強くうかがえる。(6)昔話には、語りの条件を具備し、語りを継承する「語り婆(ばば)さ・語り爺(じじ)さ」がいる。いわゆる語り手である。日本の各地には、語りを数多く継承する語り手が存在し、古老とよばれ、人々から尊敬された。語り手は、共同体のなかの、重きを置かれる家筋や家系の出自であった。語り手は、きわめて記憶力がよく、共同体の過去に通じ、とりわけ祭祀(さいし)や農事にかかわる伝承に富む人々であった。百話クラスの語り手のなかには、生涯にわたり文字を必要としなかった媼(おうな)も存在する。
昔話は、多く囲炉裏端で行われる。囲炉裏火の前、ヨコザ・カミザとよばれる主人の座居する正面、あるいは水屋や納戸(なんど)を背にして、囲炉裏火に対する主婦の座、カカザから、客の座とされるキャクザ、家で働く人々や若い者たちの座るシモザに向けて行われる。聴き手は、キャクザやシモザに端座し、あるいは地方によっては被(かぶ)り物で身体を覆い尽くした寝姿で、昔話を享受した。語りの場では、語り手の座居する姿・形ですら見逃してはならない。(7)昔話はまた、伝承的な形式を踏襲する共同体の語りとは別に、作業小屋、木小屋、漁小屋、糸繰(いとく)り小屋、月事(つき)小屋、産(さん)小屋などで、同年齢集団・同性集団により行われた。また、村落に出入りした漆かき、桶(おけ)屋、鍛冶屋(かじや)、石臼(いしうす)・鋸(のこぎり)の目立(めたて)、木地(きじ)屋、籠(かご)売り、魚売り、薬売り、芸人、宗教者などが遠隔地から話柄(わへい)を運び、定着した昔話として受容された例もある。こうした人々のなかには、一定期間村落に停留して村人と交流し、世間の異事・異聞を語り、それを身過ぎ世過ぎとした人々もある。
芸能に通じた者たちが祭礼に集まってくる場合もある。河川の増水で橋が流出し、旅の人々が足をとめた際に、昔話を残したという例や、疫病が大流行したおりに、避難してこもった寺院や堂社で昔話を行ったという例もあった。こうした例は、わが国に限らず、世界各国でも行われた。
[関 敬吾]
わが国の昔話の分類は、世界の昔話研究動向と深くかかわる。柳田国男は、1934年(昭和9)「昔話の分類に就いて」(『旅と伝説』)を著し、わが国昔話分類研究の嚆矢(こうし)となった。なお、柳田に先んじて試みられた遠野(とおの)の佐々木喜善(きぜん)の5種類の説話群の分類は、いまだ概念規定が確固としたものではなく、客観的基準とはなしえなかった。1948年(昭和23)柳田は『日本昔話名彙(めいい)』を上梓(じょうし)し、その独自の見解を体系づけた。これによって、わが国の昔話分類研究は第一歩を踏み出した。
柳田は、日本の昔話を(1)完形昔話、(2)派生昔話に大きく分類し、整理した。その大要は以下である。(1)完形昔話 誕生と奇瑞(きずい)――桃太郎・力(ちから)太郎・瓜子姫(うりこひめ)など。不思議な成長――蛇息子・田螺(たにし)長者など。幸福なる婚姻――隣の寝太郎・牛の嫁入など。継子(ままこ)譚――糠福米福(ぬかぶくこめぶく)・紅皿欠皿(べにざらかけざら)など。兄弟の優劣――兄弟話・弟出世など。財宝発見――五郎の欠椀(かけわん)・宝物の力など。厄難克服――鬼むかし・食わず女房など。動物の援助――聴耳(ききみみ)・金の扇銀の扇・分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)など。ことばの力――化物(ばけもの)問答・大工と鬼六(おにろく)など。知恵のはたらき――狐(きつね)退治・姥棄(うばすて)山など。(2)派生昔話 因縁話――歌い骸骨(がいこつ)・運定め話など。化物語――ちいさい小袴(こばかま)・化物退治など。笑話――大話・真似(まね)そこない・愚かな村話など。鳥獣草木譚(たん)――雀(すずめ)孝行・時鳥(ほととぎす)と兄弟・動物競争・尻尾(しっぽ)の釣・かちかち山など。その他(昔話と伝説の中間をゆくもの)――百合若(ゆりわか)大臣・産女(うぶめ)の礼物・長柄(ながら)の人柱など。
以上から、柳田の完形昔話はほぼ本格昔話と一致し、人の一生の物語を意図するものと考えられる。完形昔話の主人公は、いずれの場合も、小(ちい)さ子として異常かつ不思議な出生と成長を遂げる。すなわち、小さなうつろな入れ物の中から、きわめて小さな姿の幼子(おさなご)として誕生し、異常な成長をみせ、いくつかの厄難に遭遇し、やがて幸福な婚姻に至る。これを人の一生の完結とみなし、完形昔話とした。そのほかは、すべてこれらの派生であるとしたのである。
一方、関敬吾は、国際的な視野から、昔話の分類・整理を行った。それは、1959年の『日本昔話集成』、1980年の『日本昔話大成』に示され、比較研究を目的にした分類基準である。関は、前述のアールネ‐トムソンの分類に基づいて、日本の昔話資料の整備を行い、ヨーロッパの昔話資料に照合検索をなしうるようにした。すなわち以下のように分類し、AT番号を付して西欧と照応させた。(1)動物昔話 動物葛藤(かっとう)――魚泥棒・尻尾の釣など。動物分配――狸(たぬき)と兎(うさぎ)と川獺(かわうそ)・狐と狸と兎など。動物競争〔1〕――田螺と狐・十二支の由来・蚤(のみ)と虱(しらみ)の駆け足など。動物競争〔2〕――猿蟹餅(さるかにもち)競争・猿と蟇(がま)の餅泥棒など。猿蟹合戦――猿の夜盗・猿と蟹の寄合田など。かちかち山――かちかち山など。古屋の漏(もり)――古屋の漏。動物社会――鼠(ねずみ)と鼬(いたち)の寄合田・猿の生肝(いきぎも)など。小鳥前生――時鳥と兄弟・雀孝行など。動物由来――犬の脚(あし)・雁(がん)と亀(かめ)など。(2)本格昔話 婚姻・異類聟(むこ)――蛇聟入など。婚姻・異類女房――蛇女房・蛙(かえる)女房など。婚姻・難題聟――絵姿女房など。誕生――田螺息子・蛙息子など。運命と致富――炭焼長者・産神(うぶがみ)問答など。呪宝(じゅほう)譚――聴耳・犬と猫と指環(ゆびわ)など。兄弟譚――3人兄弟・奈良梨採(なしと)りなど。隣の爺――地蔵浄土・鼠浄土など。大歳(おおどし)の客――猿の長者・宝手拭(てぬぐい)など。継子譚――米福粟(あわ)福・皿々山など。異郷――竜宮童子・浦島太郎など。動物報恩――狼(おおかみ)報恩・猫檀家(だんか)など。逃竄(とうざん)譚――三枚の護符など。愚かな動物――鍛冶屋の婆・猫と南瓜(かぼちゃ)など。人と狐――尻(しり)のぞき・山伏狐など。(3)笑話 愚人譚――愚かな村・愚か聟・愚か嫁・愚かな男など。誇張譚――八石山(はちこくやま)・源五郎の天のぼりなど。巧智(こうち)譚――仁王(におう)と賀王(がおう)など。狡猾(こうかつ)者譚――烏(からす)と雉子(きじ)など。形式譚――廻(まわ)りもちの運命など。
二者の分類は以上であるが、柳田は、完形昔話に昔話の古型もしくは古態をみいだし、派生昔話に二次的な物理的時間の経過をみている。これに対し、関は、三つの昔話群を並存するものとして位置づけた。しかも、三つの昔話間には、いっさいの時間的差異・優劣は認めていない。
[関 敬吾]
『柳田国男監修、日本放送協会編・刊『日本昔話名彙』(1948)』▽『関敬吾編著『日本昔話大成』全12巻(1978~80・角川書店)』▽『『関敬吾著作集 6 比較研究序説』(1982・同朋舎出版)』▽『野村純一著『昔話伝承の研究』(1984・同朋舎出版)』▽『小沢俊夫著『世界の民話25 解説編』(1978・ぎょうせい)』
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…カタルは,このような性格から,異性の同意を求めたり,聞き手を信じさせたりする特殊な物言いの意味にもなり,さらに人をあざむく意味(騙(かた)る)にもなったとされる。 元来,語りはどのように行われたかは不明で,推測するほかはないが,一方には語り部の語りごとのような神話的・祭式的な語りがあり,他方には昔話のような語りがあるといった,幅広いものであったと考えられる。語りによって伝達される内容は,あらかじめある程度定まったもので,しかもある程度の長さを持ったものであったらしく,その伝達法は,一言半句まちがえずに反復することを求められるものから,定型句をのぞけば,語り手が即興的に変えることのできるものまであったらしい。…
…また,寺社の縁起(えんぎ)とも共通する点が多々あるが,縁起の成立には原則として僧侶や神官のような知識人が参与し,文字によって伝えられる点で,口承の文芸である伝説とは区別される。日本民俗学では,口承文芸のうち,一定のストーリーをもつものを語り物,昔話,伝説に大別している。そのなかでも伝説は,ことに神話の属性のうち内容が真実であると信じられている点を受け継いでいると認められる。…
…童話という言葉の意味を時代順にたどると,次のようになる。江戸時代には昔話の意に使った。曲亭馬琴は《燕石雑志》(1811)の中で,〈昔より童蒙(わらわべ)のすなる物語〉と呼び,山東京伝は《骨董(こつとう)集》(1814‐15)の中で〈むかしばなし〉としている。…
※「昔話」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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