映画理論(読み)えいがりろん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「映画理論」の意味・わかりやすい解説

映画理論
えいがりろん

映画を理論的に考える試みは、ほぼ次の三つに大別できよう。(1)鑑賞者、受け手の立場から、映画の芸術性なり、大衆性なりを論じるもの。(2)創造者、送り手の立場から、映画の表現や構成という問題に取り組むもの。(3)研究者の立場から、映画の基本的問題や学問としての映画研究のあり方に目を向けるもの、である。100年の映画史のなかでは、(1)(2)の方法が理論の主流を占めてきていて、(3)のアプローチは第二次世界大戦後に目だつ動きである。

[岩本憲児]

サイレント期

映画理論は、イタリア出身の詩人リッチョット・カニュードRicciotto Canudo(1877―1923)によって先鞭(せんべん)をつけられた。彼はパリ映画批評を試みたが、『第七芸術宣言』(1911)などで、映画を全体芸術として位置づけている。諸芸術との比較をより詳しく論じた詩人にアメリカ人のニコラス・ベイチェル・リンゼーがおり、ドイツ出身の心理学者ヒューゴー・ミュンスターバーグと並んで、映画を積極的に評価した。これらに対し、ドイツの美学者コンラート・ランゲは映画芸術の否定論者として知られている。1920年代になると、フランスを中心に映画の視覚的特質が議論されるようになる。カニュードの後継者とみられるルイ・デリュックLouis Delluc(1890―1924)は、論著『フォトジェニー』(1920)によって映像の本質を説き、それはジェルメーヌ・デュラックGermaine Dulac(1882―1942)、ジャン・エプステイン、レオン・ムーシナックLéon Moussinac(1890―1964)らの創作、理論両面での活躍を促した。なかでも、ムーシナックが「フィルムモンタージュ(組立て)すること、それはフィルムをリズムづけることにほかならない」と述べたリズム論は有名である。フォトジェニー説に代表される映像の本質と、リズム説に代表される映像連結のシステムはサイレント期の映画論の大きなテーマであり、とくに後者は革命後のソ連で「モンタージュ理論」として独自の展開をみせた。レフ・クレショフЛев Кулешов/Lev Kuleshov(1899―1970)のモンタージュ実験、ジガ・ベルトフDziga Vertov(1896―1954)のキノグラース(映画の眼(め))論、フセウォロド・プドフキンのモンタージュ・タイプ、そしてセルゲイ・エイゼンシュテインのモンタージュ理論などがよく知られており、これらはリズム説とは異なり、映像連結に記号としての性格(クレショフ)や世界の解読(ベルトフ)、観客の意識の変革(エイゼンシュテイン)などを意図するものであった。ソ連のモンタージュ論は1960年代以降、フランスにおける構造主義、記号学の台頭とともに欧米で再評価された。このほか、ハンガリーバラージュの『視覚的人間』(1924)や、ドイツのルドルフ・アルンハイムRudolf Arnheim(1904―2007)の『芸術としての映画』(1932)がサイレント映画の芸術性を高く位置づけている。

[岩本憲児]

トーキー期

トーキー映画が普及し始める1930年前後には、音声、音楽と映像との関係が論じられるようになったが、いち早く指針を提示したのがソ連のモンタージュ論者たちだった。視覚と聴覚の対位法的組合せという彼らの主張は、たとえばエイゼンシュテインの映画『アレクサンドル・ネフスキー』(1938)に実現されている。また、彼はこの時期に、イメージと言語の問題をさまざまな角度から考察している。1920年代末から1930年代にかけては、イギリスでドキュメンタリー映画運動がおこり、ジョン・グリアスンJohn Grierson(1898―1972)をリーダーに、社会的テーマを掘り下げる記録映画の理念が議論された。この流れを直接くむものではないが、1970年代には映像人類学という新しい領域が開拓されている。モンタージュ論の行き過ぎを嫌ったフランスの批評家アンドレ・バザンは、イタリアのネオレアリズモの映画に非モンタージュの好例をみて、またオーソン・ウェルズの映画『市民ケーン』(1941)にディープ・フォーカス(パン・フォーカス、奥行の深い撮影)の典型的演出法をみて、アンチ・モンタージュの批評や論文を次々に発表、第二次世界大戦後の映画の評価に大きな影響を与えた。代表作に『映画とは何か』全4巻(1958~1962)があり、バザンの考えはアレクサンドル・アストリュックAlexandre Astruc(1923―2016)の「カメラ万年筆論」(1948)と並んでヌーベル・バーグ誕生の理論的支柱ともなった。写真的映像を基盤に独自の理論を築いたのが、ドイツ出身のジークフリート・クラカウアーであり、唯物論の立場を批評活動に一貫させたのが日本の今村太平(1911―1986)である。前者には『映画の理論』(1960)、後者には『漫画映画論』(1941)ほかの著作がある。

[岩本憲児]

映画研究の広がり

映画の多様な側面を、既存の学問を援用することによって研究しようという動きもおこってきた。映画社会学、映画心理学、映画美学などがそれである。しかし第二次世界大戦後の大きな特徴は、フランスでフィルモロジーfilmologie(映画学)ということばが生み出されたように、映像や映画の本質、機能、構造などをより精緻(せいち)に論じる風土が育っていったことである。ここには現象学、言語学、記号学、意味論、構造主義、人類学などの成果が導入されており、ジルベール・コアン‐セアGilbert Cohen-Séat(1907―1980)、エティエンヌ・スリオ、ジャン・ミトリJean Mitry(1904―1988)、エドガール・モラン、ロラン・バルト、クリスチャン・メッツChristian Metz(1930―1993)らフランス人の貢献が大きいが、イタリア、ロシア連邦、東欧でも独自の研究を展開しており、1970年代以降のアメリカでも、フェミニズム、精神分析、カルチュラル・スタディーズ(文化研究)などをふまえた映画研究が活発化している。日本では、1974年(昭和49)、映画より広い研究対象を含む日本映像学会が設立された。そこでは、映画(アニメーションも含まれる)だけでなく、ビデオ、テレビ、写真、そしてコンピュータを中心とするデジタル映像などの研究と作品の発表が行われ、機関誌『映像学』と、その国際版『ICONICS』、会報などが発行されている。

[岩本憲児]

『浅沼圭司著『映画美学入門』(1963・美術出版社)』『アンドレ・バザン著、小海永二訳『映画とは何か』全4巻(1967~1977・美術出版社)』『山田和夫監修『映画論講座1 映画の理論』(1977・合同出版)』『佐藤忠男著『日本映画理論史』(1977・評論社)』『岩本憲児・波多野哲郎編『映画理論集成』(1982・フィルムアート社)』『グイド・アリスタルコ著、吉村信次郎訳『映画理論史』(1990・みすず書房)』『ベーラ・バラージュ著、佐々木基一訳『映画の理論』新装改訂版(1992・学芸書林)』『岩本憲児・武田潔・斉藤綾子編『「新」映画理論集成1 歴史・人種・ジェンダー』『「新」映画理論集成2 知覚・表象・読解』(1998、1999・フィルムアート社)』『ジャック・オーモン他著、武田潔訳『映画理論講義――映像の理解と探究のために』(2000・勁草書房)』『今村太平著『映画理論入門』(社会思想社・現代教養文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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