春秋(読み)シュンジュウ

デジタル大辞泉 「春秋」の意味・読み・例文・類語

しゅん‐じゅう〔‐ジウ〕【春秋】

春と秋。「春秋彼岸会
年月。また、一年。「幾春秋を経る」
年齢。とし。「いたずらに春秋を重ねる」
史書の「春秋」から》歴史書
[補説]書名別項。→春秋
[類語](3とし馬齢年齢満年齢数え年年回り年の頃年輩年恰好

しゅんじゅう【春秋】[書名]

中国、春秋時代の歴史書。五経の一。山東省)の史官の遺した記録に孔子が加筆し、自らの思想を託したといわれる。魯の隠公元年(前722)から哀公14年(前481)までの12公、242年間の編年体の記録。のちに、孔子が加筆した意図を解釈し、あるいはその記事を補うために公羊伝穀梁伝左氏伝春秋三伝が作られた。
春秋時代」の略。

はる‐あき【春秋】

春と秋。しゅんじゅう。
年月。歳月。しゅんじゅう。「平穏に春秋が過ぎる」

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精選版 日本国語大辞典 「春秋」の意味・読み・例文・類語

しゅん‐じゅう‥ジウ【春秋】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 ( 古くは「しゅんしゅう」とも )
    1. 春と秋。
      1. [初出の実例]「春秋二時、差遣官人、奠祭玉津嶋之神明光浦之霊」(出典:続日本紀‐神亀元年(724)一〇月壬寅)
      2. 「Xunxǔ(シュンシュウ)。または、Xunjǔ(シュンジュウ)」(出典:日葡辞書(1603‐04))
      3. [その他の文献]〔礼記‐王制〕
    2. 一年間。一年中。一年の長さ。
      1. [初出の実例]「聖主扆(い)を負て、春秋安き時無く」(出典:太平記(14C後)八)
      2. [その他の文献]〔詩経‐魯頌・閟宮〕
    3. 年月。歳月。星霜(せいそう)
      1. [初出の実例]「早衰蒲柳雖同顧、初見春秋已過潘」(出典:菅家文草(900頃)四・白毛歎)
      2. 「十有三春秋、逝者已如水」(出典:山陽詩鈔(1833)一・癸丑歳偶作)
    4. 年齢。とし。よわい。
      1. [初出の実例]「崩于平城宮中。安殿時春秋六十一」(出典:続日本紀‐養老五年(721)一二月己卯)
      2. 「相公曰、子璞春秋如何。六十歳許歟」(出典:蔭凉軒日録‐文明一七年(1485)一二月二四日)
      3. [その他の文献]〔楚辞‐九弁〕
    5. 歴史の書。
      1. [初出の実例]「続孔春秋発、基軒得失明」(出典:文華秀麗集(818)中・賦得司馬遷〈菅原清公〉)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 中国の古典。周代、魯国の隠公元年(前七二二)から哀公一四年(前四八一)までの、魯を中心とする歴史書。元来は魯の史官の遺した記録であるが、孔子がこれに筆削を加え、その表現の中に彼の歴史批判を含めたものとされるところから、五経の一つとして重んぜられるようになった。のち、その本意を明らかにするため、「左氏伝」「公羊伝」「穀梁伝」などの解説書ができた。春秋経。
      1. [初出の実例]「春秋之義、祖以子貴」(出典:続日本紀‐延暦四年(785)五月丁酉)
      2. [その他の文献]〔孟子‐滕文公・下〕
    2. [ 二 ]しゅんじゅうじだい(春秋時代)」の略。
      1. [初出の実例]「唐土(もろこし)にては春秋の会盟」(出典:歌舞伎韓人漢文手管始唐人殺し)(1789)二)

はる‐あき【春秋】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 春と秋。春や秋。しゅんじゅう。
    1. [初出の実例]「はるあきに思ひ乱れてわきかねつ時につけつつうつる心は」(出典:貫之集(945頃)一〇)
  3. 年月。歳月。また、年齢。しゅんじゅう。
    1. [初出の実例]「いくめぐり過しきぬらん春秋にそむる衣をうつろはせつつ〈河内〉」(出典:類従本堀河百首(1105‐06頃)雑)
    2. 「十にたらぬ春秋(ハルアキ)を越し程は」(出典:浮世草子・近代艷隠者(1686)二)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「春秋」の意味・わかりやすい解説

春秋
しゅんじゅう

儒教の経典である五経の一つで、魯(ろ)の隠公(いんこう)元年(前722)から哀公(あいこう)14年(前481)に至る、12公、242年間の国家的大事を略記した年代記。『孟子(もうし)』の「滕文公(とうのぶんこう)」下篇(げへん)に、孔子(こうし)が世道衰え、邪説横行するのを憂えて『春秋』をつくったとあることから、この書は、魯国の記録を基にして、孔子が制作したものとされている。『春秋』とよばれるのは、編年体の史書であるので、春秋をもって春夏秋冬の1年を意味したものと思われる。さらに『孟子』には、「晋(しん)の乗(じょう)、楚(そ)の檮杌(とうこつ)、魯の春秋、一なり。」(「離婁(りろう)」下篇)とあり、それぞれの国の史書を、乗(行事を記録するの意)、檮杌(悪事を記録して戒(いまし)めとするの意)、春秋などといっていたことが知られる。『春秋』の経文はわずか1800余条、一万数千字の簡略なものであるが、その制作にあたって孔子は、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)的な精神をもって、乱世をただす王法を『春秋』に託したとされている。司馬遷(しばせん)はこのことを『史記』に、「孔子、言の用いられず、道の行われざるを知り、二百四十二年の中を是非(ぜひ)し、以(もっ)て天下の儀表と為(な)す」(太史公自序)といっている。

 簡略な『春秋』の経文から、孔子の意図するものを汲(く)み取るため、各種の解釈書がつくられた。『漢書(かんじょ)』の「芸文志(げいもんし)」によると、漢代には左(さ)氏、公羊(くよう)、穀梁(こくりょう)、鄒(すう)氏、夾(きょう)氏の五伝があったが、鄒氏はそれを伝える師がなく、夾氏は書物になっておらず、他の三伝だけがあったことを伝えている。この『左氏伝』(春秋左氏伝)、『公羊伝』、『穀梁伝』を「春秋三伝」といっている。伝とは解釈書という意味である。三伝のうちでは『公羊伝』の成立がもっとも早く、孔子の門人の子夏(しか)の弟子である公羊高(くようこう)がつくり、5世の孫の公羊壽(くようじゅ)が前漢景帝(けいてい)(在位前157~前141)のとき、門人胡母生(こむせい)らと問答して一書としたとされる。『穀梁伝』は魯の穀梁赤(せき)の制作で、荀子(じゅんし)に授けたといわれるが、『公羊伝』の伝文を引用したり、その説を是正したりしているので、『公羊伝』よりあとのものとされている。『左氏伝』は孔子の門人の左丘明(さきゅうめい)の作とされるが、作者や成立年代は明らかでない。鎌田正は「子夏の春秋学に影響された魏(ぎ)の史官左氏某が、紀元前320年前後ころに制作したものではないか」(『左伝の成立と其(そ)の展開』1963)と推考している。

 この三伝が春秋学を形成するのであるが、前二者が記録された事実の内在的な意味を哲学的に究明するのに対して、『左氏伝』は史実を歴史的に明らかにしていく方法をとっている。しかし、経文と無関係な記事が多いため、『春秋』とは別個な歴史書ではないかという説もある。また清(しん)の劉逢禄(りゅうほうろく)(1774―1829)は、『左氏伝』には前漢の劉歆(りゅうきん)の竄入(ざんにゅう)した文のあることを指摘して『左氏伝』偽作説の端(たん)を開き、これをめぐる論争が続いた。津田左右吉(そうきち)も『左伝の思想史的研究』を著して、思想史のうえから、『左氏伝』に劉歆一派の偽造にかかるものがあることを論述した。

 三伝は漢代においてそれぞれ学官にたてられ、並行して存立していたが、中唐以前においては『左氏伝』が優勢で、唐の啖助(たんじょ)、趙匡(ちょうきょう)らの活躍以後北宋(ほくそう)に至るまでは『公羊伝』や『穀梁伝』が優勢であった。そして当時の学風は、伝(でん)を廃して経(けい)(聖人の述作した書物)に従うことを主張したが、実際には『公羊伝』や『穀梁伝』の筆法によって論じていた。『左氏伝』は晋(しん)の杜預(どよ)(222―284)が『春秋経伝集解(けいでんしっかい)』を著して左氏学を集大成した。唐の孔穎達(くようだつ)が勅命を奉じて『五経正義(せいぎ)』を作成したとき、『春秋正義』は『左氏伝』を正統とし、杜預の注を用いた。その後、徐彦(じょげん)が『春秋公羊伝正義』(注、漢の何休(かきゅう)『春秋公羊伝解詁(かいこ)』)を、楊士勛(ようしくん)が『春秋穀梁伝正義』(注、晋の范寧(はんねい)『春秋穀梁伝集解』)を選し、これらは『十三経注疏(じゅうさんぎょうちゅうそ)』のなかに入れられて広く通行している。『四庫全書(しこぜんしょ)総目提要』の「春秋類敍(るいじょ)」では、『左氏伝』が魯の記録に基づいた史実性を評価し、春秋学の評価の目安をたてているが、他の二伝の哲学的解釈は漢代以後の思想界に大きく影響した。

[安居香山]

『竹内照夫著『春秋』(1942・日本評論社)』『竹内照夫訳註『全釈漢文大系4~6 春秋左氏伝 上中下』(1974~75・集英社)』『鎌田正著『左伝の成立と其の展開』(1963・大修館書店)』『津田左右吉著『左伝の思想史的研究』(1935・平凡社・東洋文庫)』

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百科事典マイペディア 「春秋」の意味・わかりやすい解説

春秋【しゅんじゅう】

中国,古代の史書。五経の一つ。(ろ)の隠公の初年(前722年)から哀公の14年(前481年)まで12代242年間の年代記。《孟子》によれば孔子またはその門人の編纂(へんさん)(成立は前5世紀初め)とされ,儒家の教科書に用いられた。簡潔な叙述をもって史実を記し,大義名分を明らかにし,それによって天下の秩序を維持しようとしたものと伝えられ,その表現法は〈春秋の筆法〉と称された。古来《公羊(くよう)伝》,《穀梁伝》,《左氏伝》の3解説書(三伝)がある。→四書五経
→関連項目公羊学経書古文春秋戦国時代

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改訂新版 世界大百科事典 「春秋」の意味・わかりやすい解説

春秋 (しゅんじゅう)
Chūn qiū

中国の古典。周代の魯国に《春秋》と呼ばれる宮廷年代記があった。このうち隠公1年(前722)から哀公14年(前481)にいたる,12公,242年間の部分に対して,孔子が独自の理念と周到な論理をもって添削を施したという。こうして成立した《春秋》は儒家の重要な教科書となり,五経の一つに数えられる。《春秋》には孔子の精神が寓されており,大義名分の書である,との見方を最初に提示したのは孟子である。司馬遷は《春秋》には〈人道浹(あまね)く,王道備わる〉〈万物の散聚,みな春秋に在り〉と評価する。すべての社会事象に妥当する判断の根本原理が内包されているというのである。だが《春秋》は事実の客観的な,しかもいたって簡略な記録にすぎないので,その解説書(伝)が必要とされ,《公羊伝(くようでん)》《穀梁伝》《左氏伝》がつくられた。このうち,《公羊伝》は,漢代のほか,宋代にはその大義名分論と復讐観,清末には夷狄観のゆえに,とくに重んぜられた。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「春秋」の解説

『春秋』(しゅんじゅう)

五経の一つ。春秋時代の魯(ろ)の年代記。孔子の整理編集と伝えられる。隠公元年(前722年)から哀公14年(前481年)までの簡単な記録であるが,そのなかにある孔子の言外の批判を探ろうとする解釈(伝)がのちに生じた。公羊伝(くようでん),穀梁伝(こくりょうでん),左氏伝(さしでん)の春秋三伝のうち,公羊伝は最も『春秋』の真意を伝えるとして,漢代に盛行した。これに対し左氏伝は史実を最も多く詳細に伝えるとして,後漢以後に広まった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「春秋」の意味・わかりやすい解説

春秋
しゅんじゅう
Chun-qiu

中国の五経の一つ。魯の隠公1 (前 722) 年から哀公 14 (前 481) 年まで 242年間の魯を中心とする各国の史実を編年体で簡単に記述している。孔子が魯の史記によって1字1句の表現に賞罰の意を寓し (これを春秋の筆法という) ,王法を示したものとされ,哀公 14年にいたったとき,聖獣麟が捕えられたのを聞き擱筆したと伝えられる。漢代に五経の一つとなって中国史学 (春秋学) の基となり,またこの書名から春秋時代 (前 771~403) の名称が生れた。これを解説した春秋三伝 (『公羊伝』『穀梁伝』『左氏伝』) も経書に数えられる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「春秋」の解説

春秋
しゅんじゅう

中国古代の魯 (ろ) の年代記
儒学の経典とされ,五経の1つ。以前からあったこの年代記を,孔子が編纂 (へんさん) し直して大義名分を明らかにし,天下の秩序を維持しようとしたと伝えられる。魯の隠公元年(前722)から哀公 (あいこう) 14年(前481)に至る242年間の記録。春秋時代の名称はこの書名による。これを解釈した書に『春秋左氏 (さし) 伝』『春秋公羊 (くよう) 伝』『春秋穀梁 (こくりよう) 伝』の,いわゆる春秋三伝がある。

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とっさの日本語便利帳 「春秋」の解説

『春秋』

魯(ろ)の歴史記録に孔子が筆削を加えて編んだ編年史。周室の東遷以後を春秋時代というのは、この書の扱う時代から。「左伝」「公羊伝」「穀梁伝」は解説書。

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普及版 字通 「春秋」の読み・字形・画数・意味

【春秋】しゆんじゆう

年月。

字通「春」の項目を見る

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デジタル大辞泉プラス 「春秋」の解説

春秋

春秋(しゅんじゅう)社が発行していた文芸誌、書誌PR誌。1959年創刊。2018年6月号で休刊。

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世界大百科事典(旧版)内の春秋の言及

【公羊伝】より

…《春秋》の解説書。《春秋》は事実の客観的なしかも簡略な記録にすぎないが,そこに託された孔子の精神,いわゆる微言大義を解明している。…

【春秋戦国時代】より

…この間の大部分に周王室は東の成周に存続したので東周時代ともよぶ。また前453年で前後に二分し,前半を春秋時代,後半を戦国時代とよぶ。前半の大半の期間のことが魯国の年代記《春秋》に,後半のことが《戦国策》とよぶ書物に書かれているからである。…

【正名】より

…この名と実の正しい一致の主張には,孔子の当時の〈礼楽〉的貴族領主制の,君臣・父子の身分秩序を乱さず,孝悌道徳の壊敗を許しえぬ立場,敵対する鄧析(とうせき)(前545‐前501)らの法的平等思想を忌避する態度が表明されている。孟子は,新しく編成された《春秋》を孔子の正名(名分)の具現とみて,そこから〈名を正して分を定め,情を求めて実を責める〉(欧陽修)君父制を重視する尊王思想を学びとろうとした。以後,人倫道徳と政治上の視野から〈《春秋》は〈名分〉を道(い)う〉(《荘子》天下篇)と評定された。…

【啖助】より

…平生,陋巷の狭い住居に安住し粗食に満足していたという。761年(上元2)ころから年来の《春秋》三伝の批判的研究を整理し始め,770年(大暦5),その業を卒(お)えたという。彼はそれまでの,《春秋》を《公羊(くよう)伝》《穀梁伝》《左氏伝》のいずれかによって解釈するという態度を改め,三伝の解釈を並列的に比較検討し,合理的な解釈が得られないときはみずから独自の解釈を下すという態度をとった。…

【中国文学】より

…その時代から現代にいたるまで約3000年間の文学の発展を五つの時期に分けて述べよう。
【古代(西周および春秋戦国時代――前11~前3世紀末)】
 中国文学の源流は二つある。一つは史官の文学,他は巫(ふ)の文学である。…

【年代記】より

…【増田 義郎】
[中国]
 殷周時代の甲骨文金文は,干支(日),月,祀(王の在位年)という紀時法を用いており,それによって記された記録は,年代記の始源を示唆している。年代記の体裁が最もよく整った現存する最古の書物は《春秋》で,魯国12代の治世の年月にしたがって当時の主要な事件を記す。《春秋》は儒家の経典の一つであるが,本来は年中行事のために作られた暦に,その年の重要事件を記入したものといわれる。…

【歴史】より

…清代の章学誠は,儒家のいわゆる六経はもともと古代の史官の記録から起こったものだという〈六経皆史〉説を唱え,今日でも高く評価されている。この説によって考えれば,西周中期以後史官の手で作られた記録がさらに春秋末期以後儒家によって方向づけられ六経となったようである。六経のうち《詩経》は祖先の功業をたたえ族人の和合を楽しむ氏族社会の歌謡を源泉とし,《書経》は西周創業期の誥(みことのり)を中心として尭舜から先秦に至る王朝史の体系を構成し,《礼経》(儀礼・礼記・周礼)は西周の氏族儀礼と国制を基準として大同思想に基づく時代観を展開し,《易経》は日常の占筮法から出発して陰陽二元論による宇宙論的運動法則を導き出した。…

※「春秋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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