精選版 日本国語大辞典 「時事新報」の意味・読み・例文・類語
じじしんぽう【時事新報】
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1882年(明治15)3月1日、福沢諭吉(ゆきち)が東京で創刊した日刊紙。独立不羈(ふき)、国権皇張をモットーとした。福沢没後は石河幹明(みきあき)、板倉卓造ら慶応義塾出身者が筆政を担当、各界に影響を及ぼした。93年にロイター通信と独占契約を結び、日清(にっしん)・日露の両戦役にはいち早く社員を特派して世間の賞賛を博すなど、「日本一の時事新報」のうたい文句に恥じない信用と権威を所有していた。1905年(明治38)3月大阪に進出、『大阪時事新報』を創刊したが、関東大震災(1923)被災後、経営が悪化、昭和に入って慶応義塾出身財界人の援助もむなしく36年(昭和11)12月25日『東京日日新聞』に買収され、廃刊となった。第二次世界大戦後46年(昭和21)1月1日、板倉ら同社員が中心になって再刊したが、これも55年11月1日『産業経済新聞』(現『産経新聞』)に併合され、廃刊となった。
[春原昭彦]
1882年(明治15)3月1日に中上川(なかみがわ)彦次郎の慶応義塾出版社から創刊された日刊紙。実質的に主宰したのは福沢諭吉。「独立不羈(ふき)」を唱え,言論報道の独立,経営的独立をめざした。福沢の死後は石河幹明(みきあき)が主筆となり,堅実な言論報道で商工業者の読者が多かった。1905年,大阪に進出して「大阪時事新報」を発刊したが,経営的には失敗であった。関東大震災後,「朝日」「毎日」の販売攻勢に押されて小山完吾・武藤山治らが経営再建にあたったが,36年(昭和11)12月25日「東京日日新聞」に吸収合併された。1917年(大正6)頃の部数約8万5000部。第2次大戦後の46年4月1日,旧時事新報関係者によって復刊されたが永続せず,55年産業経済新聞社に合併。
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…帰国後の78年井上馨の引きで工部省へ出仕,翌年外務省公信局長に抜擢されるが,明治14年の政変(1881)により大隈・福沢関係者として免官。82年3月福沢の《時事新報》創刊と同時に同社長に就任,みずからも執筆しながら経営・編集を陣頭指揮,同紙を一躍代表的日刊紙に育て上げた。87年同社を辞め,新設の山陽鉄道社長に就任し,念願の実業界入りを果たした。…
…また73年には森有礼,西周(にしあまね),加藤弘之ら当時第一級の洋学者とともに明六社を組織し,79年には東京学士会院の初代会長に選ばれた。 福沢は新政府の開明性に終始大きな期待をかけ,1880年には伊藤博文,井上馨,大隈重信から求められた政府機関紙発行への参加に同意したが,翌年の政変(明治14年の政変)によって裏切られ,新聞による世論形成の念願は82年の《時事新報》創刊として結実し,以後彼の力は同紙と慶応義塾とに集中される。この間,《文明論之概略》執筆のころから,国際環境における権力政治の重圧と読書思索を通じて日本の近代化についての彼の構想は徐々に変化していった。…
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