精選版 日本国語大辞典 「景行天皇」の意味・読み・例文・類語
けいこう‐てんのう ケイカウテンワウ【景行天皇】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
皇室系譜に第12代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)。垂仁(すいにん)天皇の第3子で、母は日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)である。景行天皇元年に即位して播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)(『古事記』は父を吉備臣(きびのおみ)らの祖若建吉備津日子(わかたけきびつひこ)とする)を皇后とし、日本武尊(やまとたけるのみこと)をもうけたが、同52年に皇后が没したため、妃の一人で皇太子稚足彦尊(わかたらしひこのみこと)(成務(せいむ)天皇)の生母八坂入彦皇子(やさかいりひこのみこ)の女(むすめ)八坂入媛(やさかいりひめ)を皇后にたてた。この間、同4年に纏向(まきむく)(奈良県桜井市穴師(あなし))の日代宮(ひしろのみや)に都を営み、同12年より19年まで九州に遠征して熊襲(くまそ)を平定し、日本武尊に命じて同27年にふたたび熊襲を、同40年に東方の蝦夷(えみし)を討伐させた。さらに同56年には彦狭嶋王(ひこさしまのみこ)の子御諸別(みもろわけ)王を用いて東国経略に成功した。そして同58年、近江(おうみ)国の志賀(しが)(滋賀県滋賀郡・大津市)の高穴穂宮(たかあなほのみや)に移り、在位60年、106歳(一説に143歳、『古事記』では137歳)で没し、山辺道上陵(やまのべのみちのかみのみさざき)に葬られたという。また皇子女多く、『古事記』は77子を諸国に封じたと伝えるが、これは熊襲・蝦夷征討の伝承とともに、大和(やまと)王権成立期の国内征服の記憶が伝説化されたものとみなされる。
[星野良作]
記紀系譜上の第12代天皇。大足彦忍代別(おおたらしひこおしろわけ)天皇と称する。垂仁(すいにん)天皇の皇子。母は日葉酢媛(ひばすひめ)命。播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)を皇后とし,大碓(おおうす)命・日本武(やまとたける)尊らをもうけた。また妃の八坂入姫(やさかいりひめ)との間に成務天皇ら多数の子をもうけ,諸国を治めさせたと伝える。「古事記」には倭建命(日本武尊)を派遣して九州の熊襲(くまそ)や東北の蝦夷(えみし)らを平定させたと伝えるが,「日本書紀」では命の遠征のほか,天皇みずからの九州・東国への行幸を記す。纏向日代(まきむくのひしろ)宮(現,奈良県桜井市穴師付近)を営み,山辺道上(やまのべのみちのへ)陵(奈良県天理市渋谷町の向山古墳に指定)に葬られたと伝える。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
(関和彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…記では倭建命と記す。景行天皇の第3皇子,母は播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)とされ,幼名に小碓(おうす)命,倭男具那(やまとおぐな)王がある。年少にして勇武人にすぐれ,諸方の平定に派遣されて日本武尊の名を得るが,長途の征旅,漂泊の末に力尽きて倒れる悲劇的人物として描き出されている。…
※「景行天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新