精選版 日本国語大辞典 「曲芸」の意味・読み・例文・類語
きょく‐げい【曲芸】
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大道芸あるいは見せ物興行として演じられる、おもに練達した高い技術をもって人の目を驚かせる芸能。「つまさきで歩く」というギリシア語に語源をもつアクロバットacrobatに代表されるように、西欧でも曲芸の類は非常に古くから行われているが、本項では日本の曲芸に限定して叙述するので、外国のそれについては「大道芸」などの項を参照されたい。
日本の曲芸は、宗教的な呪術(じゅじゅつ)としての山伏の火渡り、太刀(たち)渡り、湯立(ゆだて)といった技術から発生した系統に加え、奈良時代に大陸から伝来した散楽(さんがく)系の諸芸、一足(いっそく)、高足(たかあし)、輪鼓(りゅうご)、独楽(こま)、呪師(じゅし)、侏儒(しゅじゅ)、傀儡(かいらい)、戯縄(ぎじょう)、縁竿(えんかん)、品玉(しなだま)、擲剣(てきけん)などといった芸能のすべてがその源流となったといってよいであろう。これらが散楽戸の廃止(782)以来、散楽法師から田楽(でんがく)法師、傀儡師に伝えられ、猿楽(さるがく)、中世の放下師(ほうかし)の手を経て、江戸時代には大道芸、見せ物芸として人気を集め、多くの芸種を生むに至り、いわゆる近世雑芸(ざつげい)群の主流を占めた。
曲芸を大きく分けると、(1)人間の肉体(おもに手足)を用いてその修練の成果たる技術をみせるもの、(2)道具や品物を扱う技術をもって芸をなすもの、(3)動物を使うもの、に分類できる。肉体訓練を重ねて行われる曲芸を総称して「軽業」ともいう。軽業は蜘舞(くもまい)という散楽芸からおこった綱渡りが源流で、のちに一本綱、一本竹、二本竹など「渡り物」ともいえる一ジャンルを形成した。ほかに、籠(かご)抜け、蓮飛(れんとび)、刃渡り、人馬(ひとうま)、ぶらんこ、足芸などといった芸が数えられる。
次に器物を用いる曲芸のいくつかについてその内容を記してみよう。
[織田紘二]
散楽雑伎(ざつぎ)中の一種であった独楽(こま)の曲芸が見世物興行として行われるのは、1700年(元禄13)九州から大坂に上った初太郎の博多曲独楽(はかたきょくごま)であった。彼の弟子の金之助らは江戸に出て男色と曲独楽で名を売った。明和(めいわ)~天明(てんめい)(1764~1789)のころに博多永蔵によって大成され、弘化(こうか)(1844~1848)の竹沢藤治によって一時代を画し、江戸末期を全盛期とする。売薬売りの松井源水は代々が独楽の芸をもって業を営んだが、1866年(慶応2)には13代目が渡米し、西洋にも曲独楽を紹介した。
[織田紘二]
粟餅(あわもち)の曲搗(きょくづ)きは寛政(かんせい)年間(1789~1801)に始まった。搗き手と捏(こ)ね手の2人が杵(きね)を空中に放り投げたり、餅をちぎったり丸めたりして投げる技をみせ、滑稽(こっけい)な口上や振りの大仰(おおぎょう)さで売ったものであり、文政(ぶんせい)・天保(てんぽう)(1818~1844)ごろに大坂、名古屋などで見世物になっている。
[織田紘二]
飴細工(あめざいく)のことで、水飴をいろいろな形につくりあげる妙技を曲にのせて見せるもの。寛政(かんせい)年間(1789~1801)には見せ物になっている。
[織田紘二]
散楽雑伎の一つとして中国から伝わったもので、美しい糸巻の鞠(まり)を蹴(け)って行う芸。寛永(かんえい)・正保(しょうほう)(1624~1648)ごろ、外良右近(うこん)という者が興行した記録が『卜養(ぼくよう)狂歌集』にあるが、蹴鞠(けまり)の本家飛鳥井(あすかい)家から訴えられている。天保(1830~1844)の菊川国丸が曲手鞠と名をつけて、乱杭(らんぐい)渡り、中吊(づ)り、文字書きなど19通りの演目を演じて高い評判をとったが、やはり召し捕らえられている。
この種にはほかに、曲馬、居合抜き、皿回しなどがある。
動物を用いての曲芸も多い。寛政ごろには鷹遣(たかつか)いが見せ物化しているし、海驢(あしか)の曲芸や大蝙蝠(こうもり)の綱渡り、九官鳥の物真似(ものまね)などがあった。現在でも一部でみられる山雀(やまがら)の曲芸は文化(ぶんか)・文政(1804~1830)ごろからのもので、賽銭(さいせん)拾い、那須与市(なすのよいち)扇の的(まと)、宮島詣(もう)でなどといった芸があったが、おみくじを引かせる芸は今日でもときどき目にすることがある。貞享(じょうきょう)(1684~1688)のころには江戸・湯島天神前に水右衛門なる者がおり、これら動物に芸を仕込む名人であったという。
曲芸軽業師は、江戸では乞胸仁太夫(ごうむねにだゆう)、穢多頭(えたがしら)弾左衛門の配下に置かれていた身分の低い者たちとされていたが、それだけに修練を重ね、近代のサーカスにみるような高度に完成された芸の伝統をつくりあげたといえよう。
[織田紘二]
『朝倉無声著『見世物研究』(1928・春陽堂)』▽『小野武雄編著『江戸風俗図誌8 見世物風俗図誌』(1977・展望社)』
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… また,近世に開花した種々の大道芸のもう一つの大きな源として,奈良時代に大陸から伝来した〈散楽(さんがく)〉をあげることができる。これは曲芸や幻術・奇術などを中心とする種々の戯芸であり,宮廷において正式の歌舞に対する俗楽として余興的に演じられていたが,782年(延暦1)の散楽戸の廃止以来急速に民間に流出し,民衆的な雑芸への道を歩み始める。 9世紀以降速度を早めた律令制の崩壊過程の中で,貴族や寺社の荘園に流れ込んだ雑戸民の中にもこれらのような多くの雑芸人が含まれていた。…
…見世物は多く香具師(やし)の手で行われ,全国的に巡業するのを常とした。これらの種類を大別すると,(1)奇術(手品),軽業,曲芸,舞踊,武術などの技術や芸能を見せるもの,(2)畸人,珍禽獣(ちんきんじゆう),珍植物,異虫魚などを見せるもの,(3)からくり,生(いき)人形,籠細工(かございく),貝細工などの細工物を見せるものの3種となる。 まず京都の四条河原がその発祥地として,すでに慶長期(1596‐1615)ころには蜘舞,大女,孔雀(くじやく),熊などの見世物が,歌舞妓や人形浄瑠璃などにまじって小屋掛けで興行していた。…
※「曲芸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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