書経(読み)ショキョウ

デジタル大辞泉 「書経」の意味・読み・例文・類語

しょきょう〔シヨキヤウ〕【書経】

中国経書五経の一。20巻、58編。孔子の編といわれる。ぎょうしゅんから周までの政論政教を集めたもの。もと「書」「尚書」。宋代から「書経」とよばれる。秦の焚書ふんしょ散逸前漢伏生ふくしょう口伝今文きんぶん尚書」と、孔子の旧宅で壁中から発見された「古文尚書」との二系統があったが、現在「古文」とされている「書経」は東晋梅賾ばいさく偽作

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精選版 日本国語大辞典 「書経」の意味・読み・例文・類語

しょきょうショキャウ【書経】

  1. 中国の経書。五経の一つ。孔子の編という。「書経」の名は「尚書」の宋代以後の称。堯舜時代から秦の穆公に至る古記録を一〇〇編にまとめたもの。古代の政治における君臣の言行の模範とすべきものを集めたもので、史書としての価値も高い。現行のものは東晉の梅賾の依託になる「孔安国伝古文尚書」五八編であり、「偽古文尚書」といわれる。漢代には孔子の旧宅から発見された「孔壁古文」といわれる「古文尚書」五八編と秦の博士伏生の伝えた「今文尚書」二九編があったが、いずれも今は諸書に断片として伝わるだけである。注釈書として、漢の孔安国伝、唐の孔穎達疏の「尚書正義」が著名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「書経」の意味・わかりやすい解説

書経
しょきょう

儒教の五経の一つ。もと単に『書』といい、漢以後『尚書(しょうしょ)』とよばれ、『書経』と称するのは宋(そう)に始まる。『詩経』と並び称せられる古典のなかの古典である。編者は孔子(こうし)(孔丘)であると伝えられ、上古歴代史官の文書をもとに、堯(ぎょう)・舜(しゅん)以下、夏(か)・商(殷(いん))・周3代の帝王の事蹟(じせき)を100篇(へん)の書にまとめたという。史実のほか神話的伝承を含んでいるが、儒家はこれを天下統治の普遍的法則を示すものとして尊重した。

 現行の『書経』は58篇を存するが、その伝来・真偽をめぐって重要な問題がある。秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の焚書(ふんしょ)と項羽(こうう)の咸陽(かんよう)焼打ちによる廃絶ののち、漢初ふたたび世に出た『書』は、秦の博士伏生(ふくせい)が伝えた29篇(序の1篇を含む)で、漢代通行の隷書(れいしょ)で書かれていたので『今文(きんぶん)尚書』という。その後、孔子の旧宅の壁中から、今文より16篇多い『書』が発見されたが、古代の蝌蚪(かと)文字で書かれていたので『古文尚書』とよばれた。この『古文尚書』は前漢の武帝(ぶてい)のとき孔安国(こうあんこく)が読み伝授したが、西晋(せいしん)末の永嘉(えいか)の乱に失われてしまった。ところが4世紀の初め、東晋の梅賾(ばいさく)が孔安国伝と称する『古文尚書』58篇を朝廷に奉ったのである。その内容は、今文の28篇を33篇に分け、これに偽作の25篇を加え、もと1篇の序は分割して各篇首に配し、かつ全篇にわたってこれまた偽作の孔安国の伝(注釈)をつけたものであった。これを『偽古文尚書』という。唐初、孔穎達(くようだつ)らが勅命によって『五経正義』を著したときには、まだ偽作のことは明らかでなく、『尚書』の正義(疏(そ)ともいい、注釈のこと)はこの本に依拠し孔伝を祖述したために、これが正統的な地位を得て継承されることになった。しかし、南宋(そう)の蔡沈(さいちん)が師朱子(しゅし)(朱熹(しゅき))の意を受けて注釈を施した『書集伝』では、今文・古文の区別に留意し、序と孔伝を疑って採用していない。清(しん)初、閻若璩(えんじゃくきょ)の考証『尚書古文疏証』に至って、偽作の様相は逐一明らかにされたのであった。今文の28篇(現行33篇)を『真古文尚書』と称する学者もある。

[廣常人世]

『諸橋轍次著『経学研究序説』(1936・目黒書店)』『平岡武夫著『経書の成立』(1946・全国書房)』『小林信明著『古文尚書の研究』(1959・大修館書店)』『松本雅明著『春秋戦国における尚書の展開』(1966・風間書房)』『加藤常賢著『真古文尚書集釈』(1964・明治書院)』『赤塚忠訳『中国古典文学大系1 書経・易経(抄)』(1972・平凡社)』『池田末利訳注『全釈漢文大系11 尚書』(1975・集英社)』『陳夢家著『尚書通論』(1957・上海商務印書館)』『張西堂著『尚書引論』(1958・西安陝西人民出版社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「書経」の意味・わかりやすい解説

書経 (しょきょう)
Shū jīng

中国の経書。五経の一つ。先秦では単に《書》といい,漢代からは《尚書》と呼ばれ,宋以後《書経》と称される。《書》は史官の記録に由来する中国最古の文献であり,早くから民族の古典として尊ばれており,儒家はそれを自己の経典としたのである。周王朝の創業者である文王,武王,周公を主人公とする諸編,〈周書〉のいわゆる五誥(ごこう)がその根幹であった。ところが諸子百家との論争がさかんに展開されるころに,儒家の理念を投影した尭・舜の世の記録(〈虞書〉)や,禹および夏王朝の記録(〈夏書〉),殷王朝の記録(〈商書〉)が加上された。下限は秦の穆公(ぼくこう)(前7世紀)まで収められ,最終的には戦国時代の儒家の徒によって整理の手が加えられたと思われる。それゆえ《書経》には古代の強圧的な支配の様相もうかがわれるが,天命をおそれて人命を大切にし,徳を修めて刑罰を慎重にすべきことなど,政治倫理の理想がもられており,儒家の正統思想の源泉となる。また行事を記録した《春秋》の記事体と並んで,王者の言辞を記録した《書経》の記言体は,後世の歴史叙述の基本形式となる。

 孔子のとき100編あったというが,秦の焚書を経て,漢の初めに済南の伏生が伝えたのは28編だけであり,これは漢代通行の文字(隷書)に書き写されたので《今文尚書(きんぶんしようしよ)》と呼ばれる。その後,武帝のとき孔子の旧宅の壁の中から今文28編より16編多く,古体の文字で書かれた《古文尚書》が現れた。これらは後漢から三国時代まで行われ,西晋末の戦乱で散逸した。東晋の元帝のときに梅賾(ばいさく)が《古文尚書》を献上し,これには孔安国の伝(注釈)もついていた。その内容は今文28編に当たる部分を分けて33編とし,これ以外に〈大禹謨〉〈五子之歌〉などの25編が備わったものである。この58編が真の《古文尚書》と信ぜられ,唐の孔穎達(くようだつ)が勅命をうけて《五経正義》を著したときも,その後の科挙の試験にも採用されて,絶大な権威を保ちつづけた。現存の《書経》である。しかし宋の朱熹(子)いらい疑惑がもたれ,ついに清の閻若璩(えんじやくきよ)《古文尚書疏証》と恵棟の《古文尚書考》によって,〈大禹謨〉などの25編は魏・晋のころの偽作であることが論破された。孔安国の伝も偽作ときめつけられ,〈偽孔伝〉と呼ばれるが,《書経》につけられた数多くの注釈のなかでは第一級の価値をもつものであり,朱熹の弟子の蔡沈が作った注釈《書集伝》が新注といわれるのに対して,古注と呼ばれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「書経」の意味・わかりやすい解説

書経
しょきょう
Shu-jing

中国の古典で,五経また十三経の一つ。58編。古くは『書』または『尚書』といったが,宋代からは『書経』という。伝説では,孔子が古聖王の記録 100編を整理編集したものというが,その真偽はともかく,戦国時代の思想家には,『書』を聖証として引用する者があった。漢の文帝(前2世紀)のとき,伏生が『今文尚書』28編を伝えた。これは帝堯の代から秦の穆公(前7世紀)までの間を『虞夏書』『商書』『周書』に分けて,中国に政治が始まって以来,歴朝の聖王賢臣が天命を奉じ,徳を明らかにし,刑罰を慎んで,政教を施したさまを記述しているものであって,政治の理想を示している。その後,漢代には秦誓編が現れ,偽作の 102編『尚書』が現れた。この間に『尚書』100編の目録が定まったとみられる。この目録は『尚書』を帝堯以来の歴史記述とするものである。武帝(一説に景帝)のとき,孔子旧宅の壁の中から『古文尚書』が現れ,孔子の子孫の孔安国(前2世紀末没)が,『今文尚書』と対校して,58編を伝えたといわれるが,ほとんど世に行なわれなかった。東晋の元帝(4世紀初期)のとき,梅賾(ばいさく)が孔安国伝(孔安国のつくった注の意)『古文尚書』58編(一説に,その後堯典編の一部補入)を得たと称してこれを献上し,以後これが真の『尚書』として行なわれ,ことに唐の孔穎達が,貞観14(640)年,勅命によって『五経正義』を編集するとき,この本をもとにし疏を加えて『尚書正義』をつくったので,これが信奉されるようになった。朱子の弟子蔡沈著『書経集伝』(6巻)は今文,古文を弁別しているが,なおこの本によった。しかし,南宋頃から梅賾本を疑う説が現れ,明の梅鷟(ばいぞく)著『尚書考』,清の閻若璩著『尚書古文疏証』などで,『今文尚書』28編以外のいわゆる『古文尚書』の諸編と,いわゆる孔安国伝が偽作であることが明白にされた。閻若璩のこの著は清代の考証学の学風を開いたものとされている。

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百科事典マイペディア 「書経」の意味・わかりやすい解説

書経【しょきょう】

中国の古典。五経の一つ。《書》《尚書》とも。夏・商(殷(いん))・周の史官が当時記録したものを,周末に至って孔子が編纂(へんさん)したといい,いわゆる《今文(きんぶん)尚書》33編,《古文尚書》25編が残っているが,中には後世の偽作も含まれているとされる。内容は,君主や重臣の訓告が主である。→古文四書五経
→関連項目禹貢経書儒教平秩東作毛公鼎

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「書経」の解説

『書経』(しょきょう)

儒教の経典五経の一つ。『書』『尚書』(しょうしょ)『書経』など時代によって名称が異なる。虞書(ぐしょ),夏書,商書,周書に分かれ,堯(ぎょう)舜(しゅん)以降各代の記録を収める。周公旦に関する記録を中心に,他の前後の記録を加えて戦国時代に成立したものとみられる。秦の焚書(ふんしょ)で散逸,前漢の伏生(ふくしょう)が伝えた今文(きんぶん)尚書と,孔安国の伝を東晋のとき偽作した古文尚書とが伝存した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「書経」の解説

書経
しょきょう

儒学の経書で五経の1つ。『書』または『尚書』ともいう
魯 (ろ) に伝えられた周公らの王室の記録に儒家が手を加えたもの。前漢の初め,当時通用の文字で記されたものを『今文尚書』と呼び,のち先秦時代の古文字で記されたものを『古文尚書』という。両者合わせて58編が現存。後者は魏・晋代の偽作。

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世界大百科事典(旧版)内の書経の言及

【中国文学】より

…金文の辞を作ったのは史官であって,史官の職は文書・記録をつかさどることにあった。《書経》は明らかに史官によって作られ,伝えられたに違いない。王朝や諸侯の国の年代記を作ったのも彼らである。…

【分類】より

…インドでは天,地,人を区別せず,パクダ・カッチャーヤナのように地,水,火,風,苦,楽,魂を要素とするような哲学をつくったが,これらは構成要素であって分類とはいえず,普遍者を重んじるインドでは一般に博物学は発達しなかった。中国では,《書経》で五行,五事,八政,五紀,三徳,五福,六極など〈九疇(ちゆう)〉と呼ばれるカテゴリーが展開され,《易経》では陰と陽にもとづく体系がつくられたが,いずれも事物の性質やふるまいを規定するものと考えられ,事物を分類する枠組みとはいいがたい。分類としては《易経》の〈繫辞伝〉に出てくる〈三材〉(天,地,人)や明代にできた博物誌《三才図会》の14門があげられる(図2)。…

※「書経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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