精選版 日本国語大辞典 「有田焼」の意味・読み・例文・類語
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佐賀県有田町産の焼物の総称だが,主として磁器をさす。開窯された江戸初期から製品が出荷された港名を冠した伊万里焼の名称が通用したが,近年有田町の磁器だとして,地元では有田焼の称が普及している。実体は伊万里焼と同一。江戸時代の磁器を伊万里焼とし,近代の磁器を有田焼ととなえる風潮もある。
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…1640年代になって酒井田柿右衛門が赤絵磁器の技法を工夫し,これを契機に有田(伊万里),古九谷,鍋島などすぐれた色絵・染付磁器が各地で焼かれ,野々村仁清による色絵陶器と相まって日本陶磁史上の一つの頂点を形成した。これらの磁器は,当時南蛮焼と呼ばれていたように,中国磁器の様式に強く影響されたものであり,中国的な意匠による有田(伊万里)焼は,清代の磁器に代わってヨーロッパに大量に輸出された。その中で鍋島焼は,鍋島藩のいわば〈官窯〉として,和様の意匠に孤高の美をつくり出している。…
…富裕なオランダ人は争って高価な中国磁器を購入し,食器としてまた暖炉や壁や食器棚の装飾品として珍重した。1650年代,明末・清初の争乱で中国産磁器の生産が停滞したとき,東インド会社は中国磁器の代替品を有田焼に求めた。1660‐80年(万治3‐延宝8)に,有田窯で生産された染付磁器の膨大な量がヨーロッパ市場へ送られ,しかもこれらの磁器は会社が本国から送った型見本に従って制作されたのである。…
… 1616年(元和2)佐賀県有田町の白川天狗谷窯に始まる磁器生産窯は,各房の幅3.5m前後であるが,16房あり,全長53mという大規模なものであった。有田(有田焼)においても18世紀以降,下房に対して上房の幅の広い,さらに規模の大きい窯体が築かれている。19世紀初めに瀬戸で始まった磁器生産窯は,有田のそれと同様な横狭間・倒炎式の連房登窯で丸窯系と呼ばれるものである。…
…さらに豊臣秀吉は,東松浦半島の北端に名護屋(なごや)城などを築き,朝鮮出兵の前線基地とした。また有田焼は,17世紀初め李朝系の帰化陶工たちによって開窯されて以来発展したものである。幕末・維新期,長崎警備にあたっていた佐賀藩が反射炉,大砲,汽船を製造するなど西洋文化の導入にも先進性を見いだすことができる。…
…日本では単に赤絵,色絵ともいい,中国では五彩(ごさい)とも呼ぶ。江戸時代の初期に中国から輸入された,明末の嘉靖の五彩磁,金襴手(きんらんで),万暦赤絵や,清初の南京赤絵,色絵祥瑞(しよんずい)などの影響を受け,肥前有田では磁胎の錦手が,京都では陶胎の錦手が始められた(有田焼)。ことに有田では釉下に染付で文様を表し,釉上に色絵や金彩を施した豪華な趣の錦手が作られたが,これはとくに染錦手と呼ばれる。…
※「有田焼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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[1864~1915]ドイツの精神医学者。クレペリンのもとで研究に従事。1906年、記憶障害に始まって認知機能が急速に低下し、発症から約10年で死亡に至った50代女性患者の症例を報告。クレペリンによっ...
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