朝夷巡島記(読み)アサヒナシマメグリノキ

デジタル大辞泉 「朝夷巡島記」の意味・読み・例文・類語

あさひなしまめぐりのき【朝夷巡島記】

読本。6編29巻。曲亭馬琴著。歌川豊広画。文化12年~文政10年(1815~27)刊。中国小説「快心編」に学び、安房あわで育った木曽義仲の子朝夷三郎の一代記を描いたもの。あさいなじゅんとうき。

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精選版 日本国語大辞典 「朝夷巡島記」の意味・読み・例文・類語

あさひなしまめぐりのき【朝夷巡島記】

  1. 江戸時代後期の読本。六編。曲亭馬琴作。歌川豊広画。三〇巻三一冊。正称「朝夷巡島記全伝」。文化一二~文政一〇年(一八一五‐二七)刊。中国の「快心編伝奇」等を踏まえて、朝比奈三郎英雄伝説を脚色したもの。大坂の刊行書肆河内屋太助と馬琴との衝突によって中絶するが、安政二~五年(一八五五‐五八)に松亭金水作、葛飾為斎画で本書を継いだ第七・八編が刊行される。あさひなじゅんとうき。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝夷巡島記」の意味・わかりやすい解説

朝夷巡島記(あさひなしまめぐりのき)
あさひなしまめぐりのき

江戸時代の読本(よみほん)。曲亭馬琴作、歌川豊広(とよひろ)挿絵。30巻30冊。初編は1815年(文化12)、2編は1817年、3編は1819年(文政2)、4編は1821年、5編は1822年、6編は1828年に大坂の河内(かわち)屋太助から刊行された。中絶後の7編、8編は松亭金水が継続して、1855年(安政2)、1858年に刊行。木曽義仲(きそよしなか)と鞆絵(ともえ)の遺児阿三丸(あざまる)は安房(あわ)朝夷で乳母(うば)栞手(しおりで)に養育され、文武の道を励み、朝夷三郎義秀と名のる。義秀は源範頼(のりより)の遺児吉見冠者義邦(よしみかんじゃよしくに)と親友となり、2人は刀野時夏(たちのときなつ)、修羅五郎経任(しゅらごろうつねとう)の奸計(かんけい)に苦しめられるが、これを討ち、また義秀は北条時政(ときまさ)父子陰謀を面責して義邦の窮地を助ける。この後の構想が第6編末尾に示されているが、それは建保(けんぽう)の和田合戦のおりに義秀を脱出させて、諸島を巡歴させるというもので、史上不遇の英雄を順境に転じさせる意図に基づいていた。中国清(しん)代の白話(はくわ)小説『快心編』に学んだ雄大緻密(ちみつ)な構成は高い評価を得ている。

徳田 武]

『『朝夷巡島記』(博文館・続帝国文庫)』

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「朝夷巡島記」の解説

朝夷巡島記
あさひな じゅんとうき

歌舞伎浄瑠璃の外題。
作者
勝諺蔵(3代)
初演
明治16.1(大阪・中の芝居)

朝夷巡島記
あさひな しまめぐり

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
狂言堂左交 ほか
初演
慶応3.6(江戸・中村座)

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