古代貴族階級の衣服の一種。朝廷における儀式や行事である公事(くじ)のほか、尋常(日常)の公務にも有位の者が着用した。朝服の上着には官位相当の色(当色(とうじき)といわれる)の区別があり、形式はイラン系唐風服装の影響が強い。朝服という名称の初見は『日本書紀』天武(てんむ)天皇14年(685)7月庚午(かのえうま)条であるが、その起源は推古(すいこ)天皇11年(603)に定められた冠位十二階の制に求められる。冠の種別により位階を示す冠位制は、その後幾度も改訂され、天武天皇11年(682)に冠は黒一色とし上着の色で区別する制度に切り替えられて、衣服形式も唐風が一部に導入され始めた。さらに持統(じとう)朝の改訂を経て、朝服は高松塚古墳壁画に描かれているような形式となった。そして、文武(もんむ)天皇の大宝(たいほう)元年(701)に成った大宝令(りょう)で、朝服に加えて礼服(らいふく)を定め、五位以上の者が儀式のときに着用するものとした。さらに、大宝令に若干手を入れた養老(ようろう)令によって衣服の制度もほぼ完成し、朝服の形式も整った。
養老の衣服令では文官・武官・女子の朝服に分けて規定している。文官の朝服は頭巾(ときん)、衣(きぬ)、笏(しゃく)、白袴(しろばかま)、腰帯(ようたい)、白襪(しろしとうず)、烏皮履(くりかわのくつ)という構成である。頭巾は天武朝の漆紗冠(しっしゃかん)と同じ、後世の冠の前身で、五位以上の者は黒羅(くろら)、六位以下は黒縵(かとり)(平絹)でつくられたもの。衣は裾(すそ)に襴(らん)という部分を加えた上着で、当色が定められている。笏は五位以上は象牙(ぞうげ)、六位以下は木製を用いる。腰帯は黒革製で、鉸具(かこ)といわれるバックルで留め、その飾りは五位以上が金銀装、六位以下が烏油(くろづくり)とした。襪は靴下のことで白絹製、烏皮履は黒革製の沓(くつ)。
武官の朝服は頭巾、位襖(いおう)、笏、白袴、腰帯、横刀(たち)、白襪、脛巾(はばき)、履という構成である。頭巾は、五位以上の者が黒羅製を、六位以下の者が黒縵製を用い、黒の緌(おいかけ)を顔の両側にかける。位襖は無襴衣で両脇(わき)を縫わずにあけた上着で、位によって色を異にしている。笏、白袴、腰帯は文官のものと同じ。横刀は平組(ひらぐみ)の紐(ひも)で帯びる太刀(たち)で、五位以上の者が金銀装、六位以下の者が烏装(くろづくり)。集会のときには、身分によって錦(にしき)の裲襠(りょうとう)を着け、赤脛巾を巻き、弓箭(ゆみや)を帯び、あるいは挂甲(けいこう)という鎧(よろい)を着け、槍(やり)を持つ。このときに、衛士(えじ)は位襖ではなく、桃染衫(あらぞめのさん)を着て白布帯、白脛巾を用い、草鞋(そうかい)を履き、横刀に弓箭または槍を持つ。
女子の朝服は、五位以上の者が礼服の構成から宝髻(ほうけい)、褶(ひらみ)、舃(せきのくつ)を省く。すなわち衣、紕帯(そえのおび)、纈裙(ゆはたのも)は礼服と同じで、そのほか白襪、烏皮履としている。六位以下の者が義髻(ぎけい)、衣、紕帯、纈紕裙(ゆはたのそえのも)、白襪、烏皮履の構成である。衣は文官と同様、色が礼服と同じという意で、形は異なったと思われる。紕帯は縁どりをした帯で、纈裙は絞り染めのロングスカート。帯も裙も身分により配色が異なる。義髻はかもじのことで、纈紕裙は緑色と縹(はなだ)色の絞り染めの絹を細く裁ち、縦にはぎ合わせた裙。初位の者の裙には絞り染めをしない。女子の朝服は四孟(しもう)(1月、4月、7月、10月の朔日(ついたち))に着用とあり、通常は内廷奉仕の衣服として、朝服を略したものを使用したであろう。衣服令では、頭巾以外に材質の規定はないが、すでに690年(持統天皇4)に直広肆(じきこうし)以上の高位の者に綾羅(りょうら)を用いることが許され、平安時代には、『延喜式(えんぎしき)』で五位以上が綾(あや)、六位以下が平絹としている。
奈良時代の朝服の形式は、正倉院に伝えられた衣服によってある程度察することができる。平安時代、しだいに和様化が進み、10世紀ごろの朝服は、ややゆったりとした形になったことを当時の神像彫刻が示しており、このころから男子の朝服は束帯とよばれ、ことに女子の朝服は11世紀以降、形式が著しく変わり、裳(も)、唐衣(からぎぬ)または女房の装束とよばれるようになった。
[高田倭男]
朝廷の服制の一つ。中国の朝服の制度は後漢・明帝の永平2年(59)に創設された。天子以下文武百官の通常公服に相当し,官吏は参朝または執務時にはすべてこれを着用した。内容は多少の変更はあったが,その後の歴代王朝に受け継がれ,1911年清朝が倒れるまで続いた。中国ばかりでなく東アジアの諸王朝はほとんどこの制度を採り入れた。
執筆者:杉本 正年 日本では701年(大宝1)の大宝律令の衣服令で,礼服(らいふく),制服と並んで規定された。唐の制度にならったもので,有位官人層の〈朝庭公事〉(朝廷の儀式行事や日常の勤務)の際に着用すべきものとして定められた。603年(推古11)に制定された冠位十二階以降天武朝までの衣服制は,即位,元日の儀や,外国使臣の接待などの儀式行事の際に着用すべき冠や衣服の制度であった。これが〈朝服〉という名で呼ばれ,儀式行事のみならず日常の勤務にも着用すべきこととなるのは,天武末年にいたってのことである。大宝律令は亡逸して伝わらず,養老律令(757)を通じてその内容をうかがわざるを得ないが,養老衣服令によれば,朝服は皇太子以下,諸王,有位の諸臣,文武官男女それぞれについて規定され,衣服の色や,頭巾,腰帯,笏(しやく)の材質などによって,位階や職種を表示するよう定められた。なかでも諸臣の朝服は,袋(たい)に施した緒の色と,緒の結び目の数で正・従位の別,また上・下位の別が表示される仕組みになっており,一瞥(いちべつ)しただけで着用者の位階が正確に識別できるようになっていた。男子の朝服は,位袍に白袴を組み合わせ,幞頭(ぼくとう)をかぶり,笏を持つが,この系統の衣服は中国では,北方騎馬民族の〈胡服〉の系統に属する衣服で,漢民族固有の〈衣裳〉の制とは系統が異なり,儒教的な礼の秩序と乖離(かいり)するものと考えられていた。しかし北朝系の王朝では,朝廷公会の場で着用され,上衣の色によって身分の差等を表示する制度も,北魏の段階で成立していた可能性がある。唐令では儀制令の規定として,朝参の服に品階によって上衣の色を区別する制度があったが,日本の朝服の規定は,これを踏襲したものである。
執筆者:武田 佐知子
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令制下,有位者が朝廷で日常的に着用した衣服。五位以上が重要な儀式で用いた礼服(らいふく),無位の官人や庶人が朝廷で着た制服と並んで衣服令に規定され,位階に応じて頭巾(ときん)・衣服・帯・笏(しゃく)などの材質や色が定められた。内親王・女王・内命婦(ないみょうぶ)などの女性や武官についても別に規定がある。純中国的な要素の強い礼服に対し,日本の朝服は,隋・唐で日常的に用いられた北方騎馬民族系の袴褶(こしゅう)(胡服)に由来。平安時代の束帯は朝服から発達したもので,革帯を締めることからこの称がうまれた。
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…もちろん,それ以前に,草木染を中心に具体的で雑多な色が日本列島先住民たちによって作られ用いられてきたことも確かであるが,色をどう観念するか,なんの色を尊きもの好ましきものと感ずるか,という問題が最初に日本人の意識にのぼったのは,律令受容に伴う中国の制度文化の咀嚼(そしやく)=消化の段階においてである。律令の〈衣服令(えぶくりよう)〉をみると,〈礼服(らいぶく)〉(大祀・大嘗・元日に着る儀式用の服),〈朝服(じようぶく)〉(朝廷で着る公事(くじ)用の服),〈制服(せいぶく)〉(無位の官人・庶人の着る服)が厳格に規定され,位階や身分の上下に従って使用する色が異なっていたのを知る。表の〈古代服色表〉は《日本書紀》《続日本紀(しよくにほんぎ)》所載記事をも併せ参考にしながら,4回の服色規定が一目瞭然にわかるようにしたものだが,これによって,紫が最高の位階を示し,以下,赤,緑,藍(青)の順になっていたことを知る。…
…【池田 孝江】
[日本古代の制服]
令制で,無位の官人や庶人,家人,奴婢(ぬひ)等が,朝廷の儀式行事や日常の勤務の際に着用すべきものとして制服が定められていた。有位官人層着用の〈朝服(ちようふく)〉に該当し,693年(持統7)にすでに百姓・奴の服色の規定があるが,大宝令段階まで,庶人・奴婢の衣服も〈朝服〉として有位官人層のそれと一括されていた可能性がある。しかし〈朝服〉には,有位官人層が行う〈朝参〉の儀式に着用すべき衣服との意がこめられていることが意識されたため,養老令では朝参しない無位の者以下の朝服を,とくに制服と呼ぶことにしたらしい。…
…この名称は《論語》の公冶長篇の〈束帯立於朝〉より出たとされている。〈衣服令〉に規定された礼服(らいふく)は平安時代になると即位式にのみ用いられ,朝服が,参朝のときのほか,礼服に代わって儀式に用いられ束帯と呼ばれるようになった。さらに服装の長大化,和様化にしたがって優雅典麗な形式に発展した。…
…これらの制度は,外交の場を中心とする特別な儀式の際に着用し,日本独自の礼的秩序にのっとった衣服制,ひいては身分制の存在を,中国を中心とした東アジア世界に標榜すべく定められたものであった。天武朝に定められた〈朝服〉は,特別な儀式の場だけでなく日常の勤務の次元でも着用すべきものとなった。この衣服は唐における朝参の服たる袴褶(こしゆう)の制を踏襲して,いわゆる袍袴(ほうこ)形式を採用したものであり,胡服系のズボン型の衣服であった。…
※「朝服」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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