精選版 日本国語大辞典 「末広鉄腸」の意味・読み・例文・類語
すえひろ‐てっちょう【末広鉄腸】
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政治家、小説家。本名重恭(しげやす)。伊予(いよ)国(愛媛県)宇和島の生まれ。漸進的な自由民権論者で、官民調和、立憲政党政治の確立を説き、自由党、改進党の大同団結を図った。言論人として『朝野新聞(ちょうやしんぶん)』(1874~1911)、『国会』(1890~1895)などで活躍した。小説には、政治青年の理想と恋愛を写実的に描き、政治的啓蒙(けいもう)を意図した『雪中梅』(1886)のほか、『二十三年未来記』(1886)などがある。
[浅井 清]
『『明治文学全集6 明治政治小説集 2』(1967・筑摩書房)』▽『柳田泉著「末広鉄腸研究」(『政治小説研究 中巻』所収・1974・春秋社)』▽『真辺美佐著『末広鉄腸研究』(2006・梓出版社)』
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(山本武利)
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1849.2.21~96.2.5
明治期の政治家・小説家。伊予国生れ。本名重恭(しげやす)。藩校明倫館に学び教授となるが,上京し一時大蔵省勤務後,1875年(明治8)春「東京曙新聞」編集長,同年8月新聞紙条例最初の受罰者となった。刑期終了後「朝野新聞」に入り,同年12月再び筆禍にあう。以後成島柳北(なるしまりゅうほく)とともに同紙の両輪として活躍。88年4月まで在社。「雪中梅」などの政治小説も書き,明治20年代には衆議院議員となる。
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…これに対抗して,自由党が新たに日刊新聞として発行したのが,《自由新聞》である。株式会社組織として同志から資金を募集し,編集・発行には社長の板垣退助以下馬場辰猪,中江兆民,田口卯吉,末広鉄腸(重恭)など自由党の有力活動家,理論家が当たった。藩閥政府や政商,改進党などを攻撃し,自由民権運動を鼓吹する紙面づくりで自由党の支持者に広く読まれた。…
…《佳人之奇遇》についであらわれた政治小説は,民権運動の敗北と国会開設への楽天的な期待を背景に,政治的主張はうすめられ,写実的な傾向が目立つようになった。この人情的,風俗的な傾向の作品としては,末広鉄腸の《政治小説 雪中梅》(1886)がよく知られている。政治小説は,古風な漢文調の文体や類型的な人物描写を脱しきれなかったために,自由民権運動が終息した90年ごろから急速にジャンルとしての活力を失っていく。…
…日刊。最盛期は,社長の成島柳北(なるしまりゆうほく)がコラム〈雑録〉で,主筆の末広鉄腸が論説で藩閥政府を風刺,痛罵した自由民権期であり,民権派の新聞として81年には日刊部数1万を超え,政論新聞第1位を誇った。成島の死亡や民権運動の衰退とともに急速に衰えた。…
…前身は1871年(明治4)創刊の《新聞雑誌》であったが,75年1月に《あけぼの》と改題され,さらに6月に《東京曙新聞》と再改題された。西南戦争前後には民権派の有力紙に数えられ,新聞紙条例による筆禍者第1号は同紙の主筆末広鉄腸であった。しかし自由民権期に入ると,内紛などによって衰退し,82年2月に《東洋新報》と改題されたが,同年12月に廃刊した。…
※「末広鉄腸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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