江戸中期の蘭学者(らんがくしゃ)。通称栄之進、のち仁太夫(にだゆう)、字(あざな)は士清、蘭皐(らんこう)と号した。長崎の医師西松仙(にししょうせん)の次子として生まれる。伯父本木良固(りょうこ)の嗣子(しし)となり、本木家第3代の通詞となり、商館長の江戸参府にも随行した。1774年(安永3)『天地二球用法』(1662年刊のオランダのブラウWillem J. Blaeu(1571―1638)の著書の抄訳本)で初めて地動説を紹介した。さらに1791年(寛政3)、長崎奉行(ぶぎょう)の命を受けて、『星術本原太陽窮理了解新制天地二球用法記』7巻325章附録1巻(イギリスのアダムスGeorge Adams(?―1773)の1769年刊のものの蘭訳本が原著)を1793年に訳了、献上した。これらの書物は刊行されなかったが、当時、長崎に留学してきた蘭学者らによって広まり、とくに司馬江漢(しばこうかん)の『刻白爾天文図解(コッペルてんもんずかい)』(1808年刊)などは有名である。ニュートン力学を紹介した志筑忠雄(しづきただお)は彼の弟子である。
[菊池俊彦]
『渡辺庫輔著『崎陽論攷』(1964・親和銀行済美会)』▽『日本学士院日本科学史刊行会編『明治前日本天文学史』(1960・日本学術振興会/新訂版・1979・野間科学医学研究資料館)』▽『日本学士院日本科学史刊行会編『明治前日本物理化学史』(1964・日本学術振興会)』▽『杉本つとむ著『江戸時代蘭語学の成立とその展開』全5巻(1976~1982・早稲田大学出版部)』
長崎のオランダ通詞本木家の3代目を継いだ語学の達人で仁太夫と称した。オランダ書翻訳の先駆者,そして日本に最初に地動説を紹介した人物として著名である。従来,中国を師とし,つねにこれに追従してきた日本の天文学も,良永の訳業によって中国からの独立の第一歩を踏み出した。彼の初期の訳書である《和蘭地球図説》に〈日輪正中ニ居坐シ玉ヒテ,其光輝万方ニ光被シ……(中略),然レバ日輪ノ旋転シ玉フト見ルハ地球ノ旋転スルヲ見ル所ナルベシ〉と地動説が見える。改暦に意を用いていた幕府の要職松平定信の命で,《阿蘭陀永続暦和解》《星術本原太陽窮理了解新制天地二球用法記》を訳述しているが,この後者は死の前年に著したもので最初の地動説紹介以来20年,ようやく完全なコペルニクス説の紹介を行っている。太陽窮理とは今でいう太陽系のことである。良永は上記以外にも《阿蘭陀海鏡書》《太陽距離暦解》など天文地理関係のみでも十指に余る翻訳書を残している。語学が本業の良永の翻訳は他人の委嘱によるものが多く,例えば,《翻訳阿蘭陀本草》は平賀源内に,《日月圭和解》は松浦家の関係者に頼まれたもので,後者は同家所蔵の天文機器の説明である。またカナリア飼育法などを百科事典から訳しているのも大名からの依頼と思われる。後に《暦象新書》を著して日本にニュートン力学を紹介した志筑忠雄は,良永の著に啓発され,天文学を良永に学び,かの大著に至ったのである。
執筆者:内田 正男
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