朱印船貿易(読み)しゅいんせんぼうえき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朱印船貿易」の意味・わかりやすい解説

朱印船貿易
しゅいんせんぼうえき

海外渡航許可の朱印状をもつ朱印船によって行われた貿易。室町時代の琉球貿易でも行われたが,豊臣秀吉の時代に本格的に実施され,江戸時代鎖国にいたるまでが最盛期であった。その隆盛の原因としては,関ヶ原の戦い後の国内諸産業の発展,銀産出の増大,倭寇による中国との交通断絶の対策として,中国以外の地で交易を行う必要性があったことなどがあげられる。朱印船企業主には,島津鍋島,加藤,細川など主として西南の諸大名,京都の角倉了以,茶屋四郎次郎大坂末吉孫左衛門長崎末次平蔵荒木宗太郎らの主要商業都市の商人,W.アダムズヤン・ヨーステン,中国人の李旦らの外国人もあった。渡航先は南シナ,インドシナ,シャム,マレー半島,フィリピンなどで,なかでもコーチカンボジア,シャム,ルソンの4地が多く,日本町も発達した。輸出品は銅,鉄,樟脳,日用品など,輸入品は生糸絹織物綿布皮革,蘇木 (そぼく) ,鉛,錫,砂糖などで,1隻に 100~1000貫以上の銀と商品をたずさえて,商品を買付け,南洋各地の市場で 100%以上の純益をあげた。しかし幕府が鎖国方針により貿易に制限を加えるようになり,寛永8 (1631) 年奉書船制度が設けられ,同 12年鎖国政策が実施の運びとなると朱印船の海外渡航は全面的に禁止され,代ってオランダ東インド会社商権が拡大された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「朱印船貿易」の解説

朱印船貿易
しゅいんせんぼうえき

江戸初期,海外渡航許可の朱印状をうけた朱印船による南方貿易。渡航船は1604~35年(慶長9~寛永12)の間に少なくとも350隻余にのぼり,渡航先はルソン,コーチ,トンキン,シャム,カンボジア,高砂(たかさご)(台湾)など広範囲にわたる。派遣者は島津・松浦・細川など主として西国大名,角倉(すみのくら)・茶屋・末吉・末次など京都・大坂・堺・長崎の商人,そのほかウィリアム・アダムズや中国人李旦など在留外国人であったが,幕府の禁教および貿易統制の強化とともに,後年には幕府との関係の深い特権商人に限定されていく。輸出品は銀・銅・樟脳・漆器など,輸入品は生糸・絹織物をはじめ鹿皮・蘇木・砂糖など中国や南方産物資である。1631年幕府は奉書船の制を設けて朱印船の管理と統制を強化し,35年日本船海外渡航の全面禁止に至り,朱印船貿易は終焉した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「朱印船貿易」の解説

朱印船貿易
しゅいんせんぼうえき

江戸初期,朱印状で海外渡航を公認された日本船による貿易
京都・堺・長崎などの商人,西国大名,幕府役人,外国人までが朱印船を出した。海外居住の日本人も集荷・売りさばきにあたり,盛時には生糸・絹織物貿易でポルトガル船の独占を打破したが,1635年の日本船海外渡航全面禁止により消滅。渡航先はマカオ・ルソン・コーチ・シャム・ボルネオ・ジャワ・中国などで,生糸・絹織物・綿織物・鹿皮・砂糖・蘇木などを輸入し,銀・銅・硫黄・樟脳などを輸出した。

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世界大百科事典内の朱印船貿易の言及

【異国御朱印帳】より

…前半を《異国御朱印帳》,後半を《異国渡海御朱印帳》といった。朱印船貿易の史料としてきわめて貴重であり,朱印船主80名,渡航船数は延べ178隻が明らかにされている。【中田 易直】。…

※「朱印船貿易」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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