杉村春子(読み)スギムラハルコ

デジタル大辞泉 「杉村春子」の意味・読み・例文・類語

すぎむら‐はるこ【杉村春子】

[1906~1997]女優。広島の生まれ。本名、石山春子築地小劇場に入団ののち、文学座結成に参加。日本を代表する新劇女優として「女の一生」「欲望という名の電車」「華岡青洲はなおかせいしゅうの妻」などに出演。「東京物語」「麦秋」など、映画にも出演した。昭和23年(1948)芸術院賞受賞、昭和49年(1974)文化功労者

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「杉村春子」の解説

杉村 春子
スギムラ ハルコ


職業
女優

本名
石山 春子

旧名・旧姓
中野

生年月日
明治39年 1月6日

出生地
広島県 広島市中区土橋町

学歴
山中高女〔大正14年〕卒

経歴
昭和2年築地小劇場に入り「何が彼女をさうさせたか」のオルガン弾き役で初舞台。7年築地座を経て12年文学座の創立に加わり、以後その中心的存在として活躍。38年には2度にわたる分裂騒ぎを経験。新劇の代表的舞台となった森本薫作「女の一生」の布引けい役で22年芸術院賞を受賞。この舞台は大ヒットし、座長女優としての地位を確立した。同役は平成8年平淑恵に交替するまで947回演じた。ほかに「欲望という名の電車」のブランチ、「鹿鳴館」の影山朝子伯爵夫人、「華岡青洲の妻」など数々の名演技を残し、新劇の枠を越えた日本を代表する大女優としての座を保つ。他の代表舞台に「華々しき一族」「シラノ・ド・ベルジュラック」「ふるあめりかに袖はぬらさじ」「ウェストサイドワルツ」などがある。映画はその的確で巧緻な演技が買われ、「東京物語」「わが青春に悔いなし」「晩春」「午後の遺言状」など数多く名作に出演、日本映画屈指のバイプレイヤーとして貴重な役割を果たした。また「おんなの家」など多くのテレビドラマにも出演した。49年文化功労者となるが、平成7年文化勲章受章は辞退自叙伝「舞台女優」「自分で選んだ道」「ふり返るのはまだ早い」がある。11年読売演劇大賞の中に杉村春子賞が創設される。

所属団体
日中文化交流協会,日本新劇俳優協会,日本俳優連合

受賞
日本芸術院賞〔昭和22年〕「女の一生」,文化功労者〔昭和49年〕 ブルーリボン賞助演女優賞(昭26年度)「麦秋」「めし」「命美わし」,NHK放送文化賞(第10回)〔昭和34年〕,朝日文化賞〔昭和44年〕,毎日芸術賞〔昭和44年〕,森田たまパイオニア賞(第10回)〔昭和56年〕,芸術祭賞(平3年度)「ふるあめりかに袖はぬらさじ」,紀伊国屋演劇賞(第26回)〔平成4年〕「ふるあめりかに袖はぬらさじ」,東京都名誉都民〔平成4年〕,橋田寿賀子賞(特別賞 第1回)〔平成5年〕,読売演劇大賞(大賞・最優秀女優賞 第2回 平6年度),山路ふみ子映画賞(文化賞 第19回)〔平成7年〕,日刊スポーツ映画大賞主演女優賞(第8回)〔平成7年〕「午後の遺言状」,日本映画批評家賞(特別女優賞 第5回 平7年度)〔平成8年〕「午後の遺言状」,キネマ旬報ベストテン主演女優賞(平7年度)〔平成8年〕「午後の遺言状」,毎日映画コンクール女優主演賞(第50回 平7年度)〔平成8年〕「午後の遺言状」

没年月日
平成9年 4月4日 (1997年)

伝記
杉村春子―女優として、女として君美わしく―戦後日本映画女優讃女優杉村春子 中丸 美繪 著川本 三郎 著大笹 吉雄 著(発行元 文芸春秋文芸春秋集英社 ’05’00’95発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「杉村春子」の解説

杉村 春子
スギムラ ハルコ

昭和・平成期の女優



生年
明治39(1906)年1月6日

没年
平成9(1997)年4月4日

出生地
広島県広島市中区土橋町

本名
石山 春子

旧姓(旧名)
中野

学歴〔年〕
山中高女〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞〔昭和22年〕「女の一生」,ブルーリボン賞助演女優賞(昭26年度)「麦秋」「めし」「命美わし」,NHK放送文化賞(第10回)〔昭和34年〕,朝日文化賞〔昭和44年〕,毎日芸術賞〔昭和44年〕,文化功労者〔昭和49年〕,芸術祭賞(平3年度)「ふるあめりかに袖はぬらさじ」,紀伊国屋演劇賞(第26回)〔平成4年〕「ふるあめりかに袖はぬらさじ」,日本映画批評家賞(特別女優賞 第5回 平7年度)〔平成8年〕「午後の遺言状」,キネマ旬報ベストテン主演女優賞(平7年度)〔平成8年〕「午後の遺言状」

経歴
昭和2年築地小劇場に入り「何が彼女をさうさせたか」のオルガン弾き役で初舞台。7年築地座を経て12年文学座の創立に加わり、以後その中心的存在として活躍。新劇の代表的舞台となった森本薫作「女の一生」の布引けい役で22年芸術院賞を受賞。この舞台は大ヒットし、座長女優としての地位を確立した。同役は平成8年平淑恵に交替するまで947回演じた。ほかに「欲望という名の電車」のブランチ、「鹿鳴館」の影山朝子伯爵夫人、「華岡青洲の妻」など数々の名演技を残し、新劇の枠を越えた日本を代表する大女優としての座を保つ。他の代表舞台に「華々しき一族」「シラノ・ド・ベルジュラック」「ふるあめりかに袖はぬらさじ」「ウェストサイドワルツ」などがある。映画はその的確で巧緻な演技が買われ、「東京物語」「わが青春に悔いなし」「晩春」「午後の遺言状」など数多くの名作に出演した。また「おんなの家」など多くのテレビドラマにも出演した。49年文化功労者となるが、平成7年文化勲章受章は辞退。自叙伝「舞台女優」「自分で選んだ道」「ふり返るのはまだ早い」がある。11年読売演劇大賞の中に杉村春子賞が創設される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「杉村春子」の意味・わかりやすい解説

杉村春子【すぎむらはるこ】

新劇女優。本名石山春子。広島県生れ。1927年に築地小劇場研究生となり初舞台。1937年に文学座創立に参加,以後,その中心女優となる。代表作は《女の一生》《欲望という名の電車》《華岡青洲の妻》など。小津安二郎の作品をはじめとする映画にも多数出演している。
→関連項目丸山定夫森光子

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉村春子」の意味・わかりやすい解説

杉村春子
すぎむらはるこ
(1909―1997)

女優。本名石山春子。広島県生まれ。広島山中高等女学校卒業。広島女学院音楽教師を経て、1927年(昭和2)上京、築地(つきじ)小劇場の研究生となった。同年『何が彼女をさうさせたか』のオルガン弾きで初舞台。32年築地座結成に参加、37年文学座の創立に加わり、40年の『ファニー』の主役で同座の中心的女優となる。45年に森本薫(かおる)作『女の一生』で主役布引(ぬのびき)けいを演じ、代表作となり上演を重ねた。63年(昭和38)以降文学座の再三の分裂・脱退にもめげず、同座の主柱として活躍。『欲望という名の電車』のブランチ、『鹿鳴館(ろくめいかん)』の朝子などの名演技で知られる。映画、テレビの出演も多い。74年文化功労者。95年(平成7)文化勲章の候補にあがったが辞退した。

[水落 潔]

『杉村春子著『自分で選んだ道』(1969・六芸書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杉村春子」の意味・わかりやすい解説

杉村春子
すぎむらはるこ

[生]1906.1.6. 広島
[没]1997.4.4. 東京
女優。本姓石山。山中高等女学校卒業後,音楽家志望から転じて,1927年築地小劇場の研究生となる。築地座で頭角を現し,37年,岸田国士,岩田豊雄,久保田万太郎が創立した文学座に参加,中心女優となる。第2次世界大戦中および 63年の2度にわたる劇団分裂の危機を乗越えて活躍。森本薫,飯沢匡,三島由紀夫,福田恆存らの作家に恵まれ,『女の一生』のけい,『欲望という名の電車』のブランチ,『鹿鳴館』の朝子,『華岡青洲の妻』の於継 (おつぎ) ,『ふるあめりかに袖はぬらさじ』のお園など当り役が数多くあった。 1947年日本芸術院賞,69年朝日賞受賞,74年文化功労者など十数回にわたり表彰を受けている。また,95年には文化勲章候補にあげられたが辞退した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉村春子」の解説

杉村春子 すぎむら-はるこ

1906-1997 昭和-平成時代の女優。
明治39年1月6日生まれ。昭和2年築地小劇場に入団,「何が彼女をさうさせたか」で初舞台。12年文学座創立に参加,「ファニー」の主役以降劇団の中核となり,「女の一生」「欲望という名の電車」などの舞台のほか映画,テレビでも活躍した。23年芸術院賞受賞。49年文化功労者。平成9年4月4日死去。91歳。広島県出身。山中高女卒。本名は石山春子。著作に自伝「舞台女優」など。

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367日誕生日大事典 「杉村春子」の解説

杉村 春子 (すぎむら はるこ)

生年月日:1906年1月6日
昭和時代;平成時代の女優
1997年没

杉村 春子 (すぎむら はるこ)

生年月日:1909年1月6日
昭和時代;平成時代の女優
1997年没

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世界大百科事典(旧版)内の杉村春子の言及

【新劇】より

…ここでは全体的には土方の前衛志向よりも,小山内のモスクワ芸術座を手本とする近代写実演技様式の日本的な移植・形成が行われたということができるだろう。第2次大戦後の新劇界をリードした人々には,築地小劇場の研究生だった者が多く,たとえば千田是也,山本安英(1902‐93),滝沢修(1906‐ )は初期の研究生であり,杉村春子(1906‐97)は最後のころの研究生であった。 築地小劇場が小山内の急死によって分裂,解散(1929)した後,以降,右傾化する国家権力により後述の新協,新築地両劇団が強制的に解散させられる(1940)までの期間は,それまでの数多くの欧米近代劇上演によって刺激され,また培われてきた日本近代戯曲の,いわば真の開花期であり,また心理主義的なフランス近代戯曲の翻訳上演期でもあった。…

【築地小劇場】より

…当初翻訳劇のみを上演する方針をとったため,文壇から糾弾され,経営の困難や思想的混乱から試行錯誤をくりかえしたが,芸術的統率者としての演出者の地位確立,ヨーロッパ現代劇の移入紹介,創作劇の上演などに画期的な成果を収めていった。千田是也,山本安英,杉村春子,滝沢修など現代の新劇団の指導者もここから多く育った。28年末に小山内が急逝し,翌29年には土方らが結成した〈新築地劇団〉と,残留組の〈劇団築地小劇場〉とに分裂し,劇団としての活動を終えた。…

【文学座】より

…第2次大戦後の日本における代表的な新劇団の一つ。1937年,岸田国士(くにお),久保田万太郎,岩田豊雄を発起人として,友田恭助・田村秋子夫妻(しかし同年,友田は戦死し田村も身をひいた),杉村春子,中村伸郎,宮口精二,三津田健らによって創立された。政治性を排した〈娯楽としての演劇〉を目ざし,戦中も弾圧を免れた唯一の新劇団として活動を続けた。…

※「杉村春子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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