杉村楚人冠(読み)スギムラソジンカン

デジタル大辞泉 「杉村楚人冠」の意味・読み・例文・類語

すぎむら‐そじんかん〔‐ソジンクワン〕【杉村楚人冠】

[1872~1945]新聞記者随筆家和歌山の生まれ。本名、広太郎。東京朝日新聞入社し新聞事業の近代化尽力。著「最近新聞紙学」「へちまの皮」など。

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精選版 日本国語大辞典 「杉村楚人冠」の意味・読み・例文・類語

すぎむら‐そじんかん【杉村楚人冠】

  1. 新聞記者。本名広太郎。和歌山県出身。自由神学校(のち先進学院)卒。東京朝日新聞で活躍、その発展に寄与した。軽妙な随筆を得意とし、新聞学の先駆的業績も残す。著「大英游記」「最近新聞紙学」など。明治五~昭和二〇年(一八七二‐一九四五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉村楚人冠」の意味・わかりやすい解説

杉村楚人冠
すぎむらそじんかん
(1872―1945)

明治・大正期の新聞記者、随筆家。本名広太郎。別号縦横など。明治5年8月28日和歌山生まれ。英吉利(イギリス)法律学校(現、中央大学)、国民英学会に学んだのち、『和歌山新報』主筆となる。再上京し、自由神学校(のち先進学院)を卒業。さまざまな雑誌の編集などに従事。新仏教運動に参加し、高島米峰(べいほう)らと仏教清徒同志会を結成。1900年(明治33)雑誌『新仏教』を創刊。アメリカ大使館に勤務し翻訳などにあたる。1903年東京朝日新聞社に入社。当初は外電翻訳などを担当していたが、しだいに幅広い記者活動に転じた。日露戦争前後には『平民新聞』を支援するなど社会主義運動に接近したが、同情者の域は出なかった。1907年イギリスに特派される。このとき欧米の新聞事業を研究し、帰国後は欧米の企業化した新聞事業を朝日新聞社に移植するのに尽力した。調査部・記事審査部の設置縮刷版発行、『アサヒグラフ』の発刊は杉村の提案という。朝日新聞社監査役、相談役などを歴任。軽妙な随筆、小説をも得意としたが、『最近新聞紙学』(1915)など新聞に関する著書も多い。昭和20年10月3日死去。

[有山輝雄]

『『楚人冠全集』全18巻(1937~1943・日本評論社)』『『最近新聞紙学』再刊(1970・中央大学出版部)』『美土路昌一著『杉村楚人冠』(『三代言論人集8』所収・1963・時事通信社)』

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20世紀日本人名事典 「杉村楚人冠」の解説

杉村 楚人冠
スギムラ ソジンカン

明治・大正期の新聞記者,随筆家,俳人 朝日新聞調査部長。



生年
明治5年7月25日(1872年)

没年
昭和20(1945)年10月3日

出生地
和歌山県和歌山市谷町

本名
杉村 広太郎(スギムラ コウタロウ)

別名
別号=縦横

学歴〔年〕
英吉利法律学校(現・中央大学),自由神学校先進学院〔明治26年〕卒

経歴
明治20年上京し英吉利法律学校(現・中央大学)に学ぶが病を得て帰郷、25年和歌山新報社記者となる。26年再び上京し、ユニテリアン協会の自由神学校先進学院に学ぶ。卒業後、正則英語学校教員や「反省雑誌」編集者を経て、32年米国公使館通訳となる。同年仏教清教徒同志会を結成、33年「新仏教」を創刊・編集した。36年東京朝日新聞社に入社、39年編集部長となり新聞の近代化に大きな役割をはたした。44年調査部を設け、初代部長となり、大正8年〜昭和10年監査役・編集局顧問を務めた。この間、8年に縮刷版を発行し始め、11年には記事審査部を創設、12年「アサヒグラフ」を創刊して編集長を兼任。また、随筆家としても名を高め、「大英遊記」「湖畔吟」「山中説法」などがあり、ほかに「最近新聞紙学」や小説「うるさき人々」「旋風」など多数。「楚人冠全集」(全18巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「杉村楚人冠」の意味・わかりやすい解説

杉村楚人冠 (すぎむらそじんかん)
生没年:1872-1945(明治5-昭和20)

ジャーナリスト。本名広太郎。筆名はほかに,縦横,四角八面生,涙骨など多数。和歌山市谷町に生まれ,1887年英吉利(イギリス)法律学校(中央大学の前身),96年ユニテリアン派の自由神学校を卒業。仏教改革のために活動後,1903年12月,東京朝日新聞社に入社し,15年サンフランシスコの世界新聞人大会に代表として出席,第1次世界大戦後はロンドン特派員として活躍した。社内に調査部,記事審査部をおくことを提言し,新聞社機構の近代化につとめた。リベラルな精神の持主であるとともに名文家であり,評論,随筆家としても著名である。《楚人冠全集》18巻(1937-43)をのこす。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「杉村楚人冠」の意味・わかりやすい解説

杉村楚人冠【すぎむらそじんかん】

新聞記者,評論家,随筆家。和歌山市生れ。本名広太郎。別号縦横,四角八面生など。英吉利法律学校(現,中央大学)卒業後《和歌山新報》主筆に。再上京して自由神学校卒業,米国公使館での翻訳・通訳などを経て,《東京朝日新聞》に入社。1907年,ロンドン特派員の時期の連載記事《大英遊記》は評判をよんだ。調査部・記事審査部の創設,縮刷版の発行など,新聞の近代化に大きく貢献した。随筆《山中説法》,小説《うるさき人々》など著作が多く,文筆家としても知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杉村楚人冠」の意味・わかりやすい解説

杉村楚人冠
すぎむらそじんかん

[生]明治5(1872).8.28. 和歌山
[没]1945.10.3. 千葉
『朝日新聞』記者,随筆家。本名は広太郎。英吉利法律学校を卒業後,1903年朝日新聞社に入社。紙上に連載した『大英遊記』の名文で好評を博した。調査部や記事審査部を社内に設け,縮刷版や『アサヒグラフ』を創刊するなど,新聞事業の進歩にも尽くした。かたわら新聞学の研究にも努めて,『最新新聞紙学』や『新聞の話』などの好著がある。随筆家として軽妙な筆致で人気があった。『楚人冠全集』 15巻がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉村楚人冠」の解説

杉村楚人冠 すぎむら-そじんかん

1872-1945 明治-昭和時代前期のジャーナリスト,随筆家。
明治5年7月25日生まれ。36年東京朝日新聞社に入社。40年ロンドン特派員となり,連載「大英游記」を執筆。帰国後,調査部・記事審査部の設置,縮刷版の発行,「アサヒグラフ」の創刊などにかかわった。昭和20年10月3日死去。74歳。和歌山県出身。自由神学校卒。本名は広太郎。別号に縦横。随筆に「へちまの皮」など。

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367日誕生日大事典 「杉村楚人冠」の解説

杉村 楚人冠 (すぎむら そじんかん)

生年月日:1872年7月25日
明治時代;大正時代の新聞人;評論家。東京朝日新聞社相談役
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の杉村楚人冠の言及

【週刊朝日】より

…1922年,《東京朝日新聞》の杉村楚人冠が発議し,《大阪朝日新聞》の鎌田敬四郎が計画をたて,同年2月25日《旬刊朝日》を創刊した。これには,毎日新聞社が週刊の雑誌を発行することを察知し,対抗上,急きょ企画,発行された事情がある。…

※「杉村楚人冠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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