日本大百科全書(ニッポニカ) 「李東垣」の意味・わかりやすい解説
李東垣
りとうえん
(1180―1251)
中国の医家。金元(きんげん)医学の四大家の一人。名は杲(こう)、字(あざな)が明之(めいし)、東垣と号した。真定(河北省正定県)の人。幼時から医薬を好み、張元素(1151―1234)に師事し、その業(わざ)をすべて得た。富家であったので医を職業とはせず、世人は危急のとき以外は診てもらわなかった。神医とみなされていた。病因は外邪によるもののほかに、精神的な刺激、飲食の不摂生、生活の不規則、寒暖の不適などによる素因が内傷を引き起こすとして「内傷説」を唱えた。脾(ひ)と胃を重視し、「脾胃を内傷すると百病が生じる」との「脾胃論」を主張し、治療には脾胃を温補する方法を用いたので「温補(補土)派」とよばれた。朱震亨(しゅしんこう)とあわせて李朱医学といわれる。
[山本徳子]