精選版 日本国語大辞典 「東国」の意味・読み・例文・類語
とう‐ごく【東国】
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(1)奈良時代には,①鈴鹿・不破・愛発(あらち)の三関(さんげん)より東の地域をさす場合,②足柄・碓氷(うすい)の二関より東の地域をさす場合,③あるいはその中間の遠江・信濃両国より東の諸国をさす場合などがあった。(2)鎌倉時代には幕府の直轄支配地域であった遠江・信濃・越後より東の諸国を東国とよぶ場合が多かった。(3)室町時代には鎌倉府(関東府)の管轄地域である「関東」10カ国(現在の関東地方8カ国に甲斐・伊豆両国を加えたもの)と同義で使用される例が多くなり,「東国」の用例は少なくなった。
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…日本においても,騎馬をどれだけ保有するかは重要な関心の的であった。東国武士団が鎌倉時代以後,畿内先進地域に対して,武力的に優位を得ていく過程を考えるとき,馬産に適した東国の立地を無視することはできない。まさによき馬とよき騎士を多くもつことは,覇権を握ることを意味した。…
…そのさい妃は〈さねさし相模(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも〉との歌を残し,7日後に妃の櫛が海辺に流れついたという。のち東国を平定したヤマトタケルが足柄峠を越えた時,〈あづまはや〉(わが妻よああ)と三たび嘆いたが,爾来,東国(足柄以東)を〈あづ(ず)ま〉と呼ぶに至った,とも語っている。《日本書紀》は穂積氏忍山宿禰(おしやまのすくね)の女とするが,実在の人物とはみなしがたく,むしろ東国における早くからの宮廷直轄領(屯倉(みやけ))が武蔵国橘樹(たちばな)郡にあったことにちなむ物語上の命名であろう。…
…鎌倉幕府の将軍の支配していた知行国。当時の史料上では,幕府が直接の基盤として特に強力な支配権を有していた東国の意味に用いられている場合がむしろ多いが,現在の学界では将軍家の知行国の意味に用いるのが普通であり,以下もその立場から述べる。将軍家知行国とは,将軍が朝廷から与えられた国のことで,将軍は知行国主として御家人を国司に推薦し,国衙(こくが)を支配して国衙領からの収入を取得した。…
…石井進はこれを領主制説に対する反領主制説としているが,この2潮流は相互に交錯しつつも,二つの中世社会論として現在にいたっている。 このうち領主制説が東国の実態に比重をおき,武家政権中心にその説をたて,分権的・多元的にこの社会をとらえるのに対し,反領主制説は西国(さいごく)の状況に立脚して朝廷,大寺社に焦点を合わせ,この社会の集権的・集中的な側面に注目する。前者の立場からは東国国家,東国政権の存在を主張し,鎌倉幕府,江戸幕府の成立にそれぞれ中世,近世の起点を求める見方がでてくるが,南北朝の動乱の社会的・政治的意義を重視し,室町幕府の確立に封建国家成立の重要な画期を見いだす見解は,どちらかといえば後者の説に親近性をもつといえよう。…
※「東国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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