京都・東寺(とうじ)(教王護国寺)を根本道場とした真言(しんごん)密教(真言宗)。比叡山(ひえいざん)の天台宗の密教を台密(たいみつ)というのに対し、東寺の密教の意味で、主として実修面(事相)から東密という。823年(弘仁14)空海は嵯峨(さが)帝から東寺を給預され、以後、東密は京都、紀州(和歌山県)高野山(こうやさん)に広がった。空海の密教の実修面は実慧(じちえ)・真紹(しんしょう)・宗叡(しゅえい)に、他方は真雅(しんが)・真然(しんぜん)にと伝わり、これらの流れは源仁(げんにん)によって統合された。源仁門下に益信(やくしん)・聖宝(しょうぼう)が出て、益信の法流は宇多(うだ)法皇・寛空(かんくう)・寛朝に伝えられ、寛朝は京都・広沢(ひろさわ)に遍照寺(へんじょうじ)を建立して広沢流の祖となる。これは仁和(にんな)寺系の東密である。聖宝の流れは仁海(にんがい)が京都・小野に曼荼羅寺(まんだらじ)を建立して小野流の祖となる。これは醍醐(だいご)寺系の東密である。これらを野沢(やたく)二流といい、それぞれ六派に分かれたので野沢根本十二流という。その後、小野流に二十派、広沢流に四派が分流したので、鎌倉時代には東密三十六流とよばれた。このほか、高野山には中院流、持明院(じみょういん)流があり、総じて七十余流になった。
[宮坂宥勝]
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空海によって開かれた真言密教のこと。天台密教の台密に対する語で,鎌倉末期の「元亨(げんこう)釈書」が初見。入唐して恵果から伝法灌頂(かんじょう)をうけた空海が,帰国後の823年(弘仁14)教王護国寺(東寺)を与えられて根本道場としたことから東密とよばれた。平安時代に事相面から広沢流・小野流の2大潮流にわかれ,鎌倉時代は野沢(やたく)三六流に分派。13世紀末には古義派と新義派にわかれた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…日本の仏教宗派の一つ。真言陀羅尼(だらに)宗ともいい,また天台系の密教を台密というのに対して東密(東寺の密教)とも呼ばれる。宗祖は空海(弘法大師)。…
…帰国後,空海は独自の教判論を打ち立て,ダイナミックな思想大系をもつ真言密教を完成させた。真言系の密教は,両部不二の思想,つまり物質原理と精神原理の一元化をその特色とし,東密と呼ばれる。東密は,以後,平安末期の覚鑁(かくばん)の教学改革をも経ながら,めざましい発展を示して今日に及んでいる。…
※「東密」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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