精選版 日本国語大辞典 「東方会」の意味・読み・例文・類語
とうほう‐かい トウハウクヮイ【東方会】
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中野正剛(せいごう)が主宰した国家社会主義系右翼政党。最初は1933年(昭和8)に思想団体として発足したが、36年政治結社に改組。さらに思想団体振東社、政治結社東方会、思想団体東方同志会と二転三転した。36年の綱領五条は、「全体主義に則(のっと)り、階級的特権を廃し階級闘争を排除すべし」とある。労働者、農民、中小企業者などを組織対象に、ナチスばりの制服で運動した時期もあった。43年10月東方同志会と「勤王まことむすび」の両会に不穏計画ありとして、両団体で100余名逮捕され、中野の自殺で壊滅的打撃を受けた。44年3月23日に東方同志会は解散したが、敗戦後一時東方会として復活したこともある。同人に三田村武夫、木村武雄、進藤一馬(しんどうかずま)などがいた。
[大野達三]
『山本彦助著『国家主義団体の理論と政策』(『思想研究資料特輯』第84号所収・1941・司法省刑事局/『現代史資料23 国家主義運動3』所収・1974・みすず書房)』
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昭和前期の政党。中野正剛の主宰する思想団体を1936年(昭和11)政治団体に改組したもので,衆議院には最大時12議席をもった。はじめ立憲民政党以来の中野系代議士を中心とし,38年頃から労働・農民運動指導者を吸収,全体主義的国民運動を標榜した。39年社会大衆党との合同を試みて失敗。新体制運動に積極的に参加したが,41年に大政翼賛会を離脱。その後東方同志会と改称し,43年には東条英機内閣打倒運動を展開。中野の検挙・自殺後,一斉検挙で壊滅した。
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