改訂新版 世界大百科事典 「東芝」の意味・わかりやすい解説
東芝[株] (とうしば)
日立製作所と並ぶ,日本を代表する総合電機メーカー。1875年,天才発明家田中久重により田中製作所として個人創業されたのに始まる。電信機の製造を行ったが,93年三井銀行(1898年にはさらに三井鉱山)が継承し芝浦製作所と改称,1904年独立・改組して(株)芝浦製作所となった。09年ゼネラル・エレクトリック社(GE)と提携。芝浦製作所は当時一般機械類を主に,発電機,電動機などの電気機械を製造していたが,電力開発の活発化に伴い,各種重電機器の製造を中心とするようになり,大正末期には日本最大の重電メーカーになった。39年,同じく三井財閥と関係があった東京電気(株)を合併,ここに東京芝浦電気(株)(略称,東芝)が誕生した。東京電気は1890年設立の日本最初の電球メーカーである合資会社白熱舎に始まり,96年東京白熱電灯球製造(株)に改組・改称,98年三井鉱山の所管となり,99年東京電気(株)となったものである。この合併によって,東芝の製品は重電機器から家庭用電気機器,照明機器,無線通信機に至る主要電気機器を網羅するようになり,総合電機メーカーとしての地歩が固まった。その後も同社は合併を繰り返し,1941年に東部鋼業,42年には芝浦マツダ工業,43年には東洋耐火煉瓦などを吸収し,事業を拡大した。第2次大戦中は軍需生産優先の国策のもとに家庭電気器具の生産は中止され,また多くの工場は戦災を受けた。
第2次大戦後,景気低迷が続くなかで,企業再建整備法の適用によってとられた合理化案は,人員整理約6000人を含むものであったため,49年春には大争議が発生した。この収拾に辣腕(らつわん)を振るったのが,後に経団連第2代会長となった石坂泰三であった。同年暮には労働争議もいちおう収まり,復興金融公庫などの資金援助を受け,ようやく経営再建が軌道に乗った。50年から始まった新規の電源開発,第5次造船計画の具体化で,重電機に対する需要が増加し,また同年6月に勃発した朝鮮戦争による特需もあって,東芝もデフレ恐慌を乗り切ることができた。同年10月にはGE社との提携を回復。また50年代末からの消費革命により,電気洗濯機,電気冷蔵庫,電気釜,白黒テレビなどの家庭電化製品の販売が好調に伸びた。
ここに再び東芝は総合電機メーカーとして民生用・産業用の電気・電子機械部門のバランスのとれた発展を続けるようになり,今日に至っている。現在の事業は,原子力発電機器や電動機・変圧器などの重電機部門,放送装置やオフィスコンピューター,ワードプロセッサー,X線診断装置,ICなどの通信機器・電子機器部門,テレビやVTR,エアコン,電子レンジ,冷蔵庫などの家庭電器部門から成る。84年社名を東芝(株)とした。資本金2749億円(2005年9月),売上高5兆8361億円(2005年3月期)。
執筆者:青木 良三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報