…文帝のもとで新都大興(唐の長安の前身)の都市計画を主導し,渭水と黄河を結ぶ広済渠の開削,仁寿宮の建設を総督。煬帝(ようだい)のもとで東都(唐の洛陽の前身)の建設を主導し,将作大匠から工部尚書となった。また長城の修築,高句麗征伐の浮橋の架設,輿服の制定,漏刻(水時計)の設計も担当した。…
…この後,本省は戦乱と北方遊牧民族の侵入によって荒廃したが,ついに北魏は華北を平定し,孝文帝のときにいたって洛陽に都を移した。 南北朝時代をへて隋が起こると,長安を国都として政治,軍事の中心にするとともに,洛陽にも大都市を建設して東都と称し,経済の中心とした。それは長安に比べて水路交通が発達し,物資の集散に便利だったからである。…
…しかし,この繁栄も北魏末の兵乱の結果,わずか40年ほどで完全に荒廃してしまう。 隋の統一後,2代煬帝(ようだい)は荒廃した北魏洛陽城の西15kmの地に大規模な新城を築き,天下の大商人数万戸を強制移住させ,西都大興城(唐の長安城)に対して東都とした(605)。次いで唐の則天武后期に外城が築かれ,都城としての形が整備された。…
※「東都」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新