(読み)アズマ

デジタル大辞泉 「東」の意味・読み・例文・類語

あずま〔あづま〕【東/×吾妻/××嬬】

東の方。東方。
東琴あずまごと」の略。
東下駄あずまげた」の略。
上代、都から東方の諸国の総称。東国。
「いにしへは相模さがむ国足柄の岳坂やまさかより東のもろもろあがたはすべて―の国といひき」〈常陸風土記
中世、京都からさして、鎌倉、また鎌倉幕府をいう。
「―のあるじ(=鎌倉幕府ノ将軍)になしきこえてん」〈増鏡・内野の雪〉
近世、上方かみがたからみて、江戸をいう。
「都では芸子と名付け―では踊らぬ時も踊り子のすんとして」〈浄・矢口渡
[補説]日本武尊やまとたけるのみことが東征の帰途、碓氷うすい(景行紀による。古事記では足柄あしがら)から諸国を眺め、犠牲となって投身したきさき弟橘媛おとたちばなひめをしのんで「あづまはや」と呼びかけたという地名起源説話がある。また、東国の範囲については、時代・文献により異同が多く、(1)現在の関東地方、(2)三河以東、陸奥むつを含む、(3)伊勢尾張を含む、などの説がある。

とう【東】[漢字項目]

[音]トウ(漢) [訓]ひがし あずま
学習漢字]2年
〈トウ〉
ひがし。「東国東西東洋以東関東極東中東北東
「東京」の略。「東名
〈ひがし〉「東風東側
[名のり]あきら・こち・はじめ・はる・もと
[難読]東風こち東雲しののめ

ひがし【東】

《「ひんがし」の音変化》
太陽の出る方角。東方。⇔西
東洋。
「―に還る今の我は」〈鴎外舞姫
東風。
相撲の番付で、向かって右側の称。「西」より上位。「の大関」
歌舞伎劇場内で、江戸では舞台に向かって右側、京坂では左側をいう。
京都に対して鎌倉幕府をいう。
「―ざまにも、その心づかひすべかんめり」〈増鏡・新島守〉
[類語](1西

ひがし【東】[浜松市の旧区名]

浜松市の旧区名。令和6年(2024)に区の一部・区・区・西区と統合され中央区となった。

とう【東】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「東」姓の人物
東常縁とうつねより
東常縁とうのつねより
東野州とうやしゅう

ひがし【東】[福岡市の区]

福岡市の区名。市東部から、博多港沿いに志賀島までを占める。香椎宮筥崎宮などがある。

ひがし【東】[地区の俗称]

江戸城の東の、深川遊里の俗称。→西

ひんがし【東】

《「ひむかし」の音変化。「日向かし」の意》「ひがし(東)1」に同じ。
「―の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」〈・四八〉

ひがし【東】[名古屋市の区]

名古屋市の区名。中心地区の東部を占め、徳川美術館、市政資料館などがある。

ひがし【東】[堺市の区]

堺市の区名。灌漑かんがい用のめ池が点在する。

ひがし【東】[熊本市の区]

熊本市の区名。阿蘇山外輪山から連なる丘陵地帯。

ひがし【東】[新潟市の区]

新潟市の区名。新潟空港がある。

ひがし【東】[岡山市の区]

岡山市の区名。西大寺がある。

ひがし【東】[札幌市の区]

札幌市の区名。丘珠おかだま空港がある。

ひがし【東】[大阪市の旧区名]

大阪市の旧区名。平成元年(1989)南区と合併し中央区となった。

ひがし【東】[広島市の区]

広島市の区名。市中央部の東寄りに位置する。

ひがし【東】[東本願寺]

東本願寺、また、東本願寺派のこと。お東。

ひむかし【東】

ひんがし

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精選版 日本国語大辞典 「東」の意味・読み・例文・類語

ひがし【東】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 ( 「ひむかし・ひんがし(東)」の変化した語 )
    1. 方角の名。日の出る方向。西の対。十二支では卯(う)をあてる。ひんがし。
      1. [初出の実例]「勢多の橋を東に渡れば」(出典:海道記(1223頃)序)
      2. 「菜の花や月は東に日は西に〈蕪村〉 山もと遠く鷺かすみ行〈樗良〉」(出典:俳諧・続明烏(1776)春)
    2. 東方から吹いてくる風。東風。こち。
      1. [初出の実例]「さし渡したるひたえのひさごの、〈略〉西ふけば東になびき、東ふけば西になびくを見て」(出典:更級日記(1059頃))
    3. インドや中国からみて東方にある国。すなわち、日本。
      1. [初出の実例]「身を投ふして数回、東(ヒガシ)のかたを拝し給へば」(出典:読本・椿説弓張月(1807‐11)残)
    4. 京都、大坂に対して、鎌倉や、江戸をさしていう。
      1. [初出の実例]「さすがじゃはまつはひがしへながれても」(出典:雑俳・削かけ(1713))
    5. 相撲などの番付で、右側の称。「西」より上位とされる。
      1. [初出の実例]「後には大ずまふになった所で、ひがしのかたから、ちひさひおとこが出て」(出典:虎明本狂言・飛越(室町末‐近世初))
    6. 歌舞伎劇場で、江戸では舞台に向かって右側、京坂では左側の称。
      1. [初出の実例]「又東に而『勘解由の次官師方参向』と呼ぶ」(出典:歌舞伎・名歌徳三舛玉垣(1801)三立)
    7. 義太夫節の豊竹派の称。竹本派を「西」というのに対していう。
      1. [初出の実例]「豊竹越前掾の方、若太夫・梺太夫・駒太夫のたぐひを東といふ」(出典:滑稽本・浮世風呂(1809‐13)前)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] ( 江戸城の北の吉原、南の品川、西の新宿に対して ) 江戸、深川の遊里をいう。
    2. [ 二 ] 京都賀茂川の東、四条辺をいう。男色、女色の遊所が多い。
    3. [ 三 ] 西本願寺に対する東本願寺、また、東本願寺派のこと。
    4. [ 四 ] 北海道札幌市の行政区の一つ。札幌市の東北部を占める。鉄道車両・ビールなどの工場があり、北端に札幌(丘珠)空港がある。昭和四七年(一九七二)成立。
    5. [ 五 ] 愛知県名古屋市の行政区の一つ。名古屋市の中心部の東側を占める。徳川美術館がある。明治四一年(一九〇八)成立。
    6. [ 六 ] 大阪市の旧区。明治二二年(一八八九)成立。平成元年(一九八九)南区と合併して中央区となる。
    7. [ 七 ] 広島市の行政区の一つ。市の中央部やや東寄りに位置する。昭和五五年(一九八〇)成立。
    8. [ 八 ] 福岡市の行政区の一つ。福岡市の東部にあり、石堂川(御笠川)河口以東の博多湾に面する地域および海の中道とその先端の志賀島を含む。昭和四七年(一九七二)成立。

あずまあづま【東・吾妻】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 東の方。東方。
    1. [初出の実例]「上(ほ)つ枝は 天を覆(お)へり 中つ枝は 阿豆麻(アヅマ)を覆へり 下(し)づ枝は ひなを覆へり」(出典:古事記(712)下・歌謡)
  3. 都から東の方の諸国の称。東国。時代や文献によってその範囲が異なる。広くは東海道、東山道以東陸奥国までもいったが、奈良朝以降次第に現在の関東地方を指すようになった。
    1. [初出の実例]「すめろきの御世さかえむと阿頭麻(アヅマ)なるみちのく山に黄金花咲く」(出典:万葉集(8C後)一八・四〇九七)
  4. 鎌倉、室町時代に、京都から特に鎌倉または鎌倉幕府を指していう。→東の主(あるじ)
    1. [初出の実例]「あづまにてすむ所は、月かげのやつとぞいふなる」(出典:十六夜日記(1279‐82頃))
  5. 江戸時代、上方から特に江戸を指していう。
    1. [初出の実例]「折ふし吾妻(アヅマ)の大臣始て上方見物に上られしを」(出典:浮世草子・傾城色三味線(1701)京)
  6. あずまつ
    1. [初出の実例]「辺鄙 文選云蚩胘辺鄙〈師説辺鄙 阿豆万〉世説注云東野之鄙語也〈今案俗用東人二字、其義近矣〉」(出典:十巻本和名抄(934頃)一)
  7. あずまごと(東琴)」の略。
    1. [初出の実例]「あづまをすがかきて、常陸には田をこそ作れといふ歌を、声はいとなまめきてすさび居給へり」(出典:源氏物語(1001‐14頃)若紫)
  8. あずまげた(東下駄)」の略。
    1. [初出の実例]「ざんぶりとあづまねだって居る雪踏」(出典:雑俳・若とくさ(1790))

東の補助注記

はあるいは「十巻本和名抄」の誤記か。

東の語誌

( 1 )元来は東を示す普通名詞だが、都より東方の諸国を指す用例が多い。「万葉集」の東歌など上代文献には現在の関東地方を指すものや、より広く現在の長野県・静岡県・岐阜県や東北地方を指すものもある。
( 2 )平安京への遷都によって範囲が変動し、現在の三重県をも含めて、都から東方への道筋、東海道・東山道の諸国を指し、鎌倉時代以降は、京・上方に対峙する地域として、鎌倉や江戸を指していうようになった。


ひんがし【東】

  1. 〘 名詞 〙 ( 古くは「ひむかし」で「日向し」の意という ) =ひがし(東)[ 一 ]
    1. [初出の実例]「東(ひむかし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」(出典:万葉集(8C後)一・四八)
    2. 「かぢとりしてぬさたいまつらするに、ぬさのひむかしへちれば」(出典:土左日記(935頃)承平五年一月二六日)

東の語誌

( 1 )方位を表わす「東」について、上代に仮名書き例はない。「万葉集」の「東」はアヅマと訓むとともに、四音としてヒムカシ、ヒムガシとも訓む。仮名書きは、「二十巻本和名抄‐五」の官名に「東市司〈比牟加之乃以知乃官〉」、同じく畿内郡に「東生〈比牟我志奈里〉」、また挙例の「土左日記」が古い。中古の仮名文学では「ひうがし」「ひんがし」「ひむかし」などが見られるが、「ひがし」の確例が見られるのは「名語記」(一二七五)である。
( 2 )万葉仮名による表記例は先述の「二十巻本和名抄」よりさかのぼれないため、上代特殊仮名遣におけるヒの甲乙は不明。第二音節はムが古形。第三音節の清濁も不明であるが、「観智院本名義抄」では濁音符が付されたものと付されていないものの両方がある。
( 3 )「古事記伝」の語源説によると、古形はヒ甲類で第三音節は清音。シは、「にし」「あらし」などのシかと考えられる。このシには風の意があり、そうすると、元来は東風を表わす語であったということになる。「更級日記」の「西ふけば東になびき、東ふけば西になびくを見て」の「東」がその例かとされるが、漢字表記のため語形は不明。
( 4 )ヒムカシは、撥音化したヒンガシを経て、中世頃にはヒガシになったと推定される。「東大寺要録‐二・供養章第三」には「比美加之(ヒミカシ)」の例がある。撥音の異表記としては時期が早過ぎるため、転訛例とするのが妥当と考えられる。


とう【東】

  1. 〘 名詞 〙
  2. とうごく(東国)」または、「かんとう(関東)」の略。→東八箇国(とうはっかこく)
  3. 古く声調を示す語で、下降調に当たるものをいう。声点の位置は平声軽。

ひむかし【東】

  1. 〘 名詞 〙ひんがし(東)

とう【東】

  1. 姓氏の一つ。

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普及版 字通 「東」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 8画

[字音] トウ
[字訓] ひがし・あずま

[説文解字]
[甲骨文]
[金文]

[字形] 仮借
東はもと(ふくろ)の象形字で、(たく)の初文。のち仮借して方位の東の意に用い、本義の(ふくろ)の意に用いることはない。本義を失った字であるから、仮借とする。〔説文〕六上に「動くなり」と訓するのは、春に蠢動(しゆんどう)する意とするもので、音義説である。曹はもと二東に従う形で、裁判を求める当事者が、束矢鈞金(きんきん)をに入れて提供し、裁判が行われた。東がの形であることは、そのことからも知られる。〔説文〕に字形を「日の木中に在るに從ふ」とし、榑桑(ふそう)神木の意とするのは誤りである。

[訓義]
1. ひがし、あずま。
2. 東方の地。
3. 主人、東道(案内)する人。

[古辞書の訓]
〔名義抄〕東 ヒムガシ/東西 ヤマトカフチ 〔字鏡集〕東 ヒムガシ・ハジメ

[声系]
〔説文〕に東声として棟・重・・凍・五字を収める。重・(童)もその声系に属する。

[語系]
東tong、thakは声近く、東がの初文。のち形声字のが作られ、語が分岐した。

[熟語]
東夷・東・東雲・東栄・東・東楹・東裔・東園・東海・東崖・東郭・東学・東壑・東観・東・東旭・東極・東隅・東宮・東君・東京・東経・東闕・東郊・東・東皇・東西・東作・東施・東日・東主・東・東塾・東序・東箱・東廂・東上・東津・東窓・東第・東旦・東廚・東・東丁・東帝・東天・東渡・東頭・東道・東藩・東鄙・東風・東壁・東辺・東偏・東圃・東邦・東溟・東面・東・東洋・東来・東籬・東流・東隣・東籠
[下接語]
遠東・河東・郭東・桓東・関東・帰東・居東・極東・近東・湖東・顧東・江東・山東・西東・征東・泰東・大東・雉東・丁東・日東・望東・門東・洛東・籠東

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改訂新版 世界大百科事典 「東」の意味・わかりやすい解説

東 (ひがし)

観測者から見た地平面の方向を方位といい,東西南北の4基点をもとに北,北北東,……,東北東,東,東南東,……など16方位で呼ぶのが一般的である。東は,太陽の昇る方向で,英語のeast,ドイツ語のOstなどはギリシア神話の曙の女神エオスĒōsに由来している。古来,中国や日本では十二支(干支(かんし))で方位を呼び,東は卯(ぼう)に当たる。

伝統的日本人の〈東〉に対する方位感覚もしくは思想的解釈は,基本的には古代中国人の地理学的世界観もしくは陰陽五行的天文学思想の忠実な受容にすぎなかったのだが,かなり特殊なものである。

 第1に,古代このかた,日本人は自分たちが〈東の辺境〉の島々に住まう民であるという認識をもっていた。607年(推古15)の遣隋使派遣に関して,相手方の《隋書》東夷伝は〈日出る処の天子,書を日没する処の天子に致す〉との国書が日本から提出された旨の記事を載せている。ところが《日本書紀》のほうにはこの記載はなく,翌年のこととして〈東天皇敬白西皇帝〉との国書を提出した旨の記録がみえる。明らかに,7世紀初めごろの日本知識階級は自分たちの国土を〈日出処〉ないし〈東〉とみなす対外交渉意識をもっていた。さらに《続日本紀》慶雲1年(704)7月の条にみえる,この月に帰朝した遣唐使の粟田朝臣真人に関する旅行体験談には,〈海東〉とか〈大倭国〉とか〈君子国〉とかの語がちりばめられている。

 平安時代に入ってから用いられた〈扶桑(ふそう)〉とか〈夫木(ふぼく)〉とかの日本国の別称も,もともと,中国古代神話において,東海のかなた太陽の出る所にあると信じられた大きな神木をさし,またその地をさしていた。中世から近世にかけて,日本の知識人は自国の異称に〈東海〉〈東洋〉〈東瀛(とうえい)〉〈東鯷(とうてい)〉などの語をそのまま用いたが,これらの異称は,いずれも東シナ海の東方に存在する島国という意味である。別に〈日東〉という異称も頻繁に用いられていた。

 かくて伝統的に日本人が自分たちを〈ひがしの民〉としてとらえてきたことは疑いない。ラフカディオ・ハーンが,熊本時代の作品に《東の国からOut of the East》の表題を付したことは,まことに正しかった。日本人は,現在でも,自分たちがユーラシア大陸の〈東のはて〉に住まう民であるとの意識をもつ。ちょうど,アイルランド人がユーラシア大陸の〈西のはて〉に住まう民と信じているのと同じように。

 また,日本人の特殊な東についての解釈の第2は,国内政治的な次元において(当然,それに付帯する神話的=祭祀的次元においても)日本を東西に二分する考え方が早くから成立しており,そればかりでなく〈東(あずま)〉〈東国(あずまのくに)〉〈阿豆麻(あずま)〉という語がつねに古代国家からみてへんぴな地方,辺境,未開地域,植民地を意味する特別な概念として用いられていたという点に見いだされる(東国(とうごく))。

 ところで,伊勢神宮とか熱田神宮とかの大和朝廷にとって最高の霊格の鎮座する宮居が,なぜ〈東国〉にまつられねばならなかったか。さらに,香取神宮とか鹿島神宮とかの国土平定の武神の霊格が,なぜはるか東国経営の最前線にまつられねばならなかったか。政治的理由づけとしては,東国経営は大和国家にとってそれほどまでに重大課題であったので,皇祖神を先頭に立てて総力戦を遂行すべき旨の決意を示し,かつその加護を祈ったことのあらわれである,と説明すれば足りるであろう。ふつうにはこの説明が行われている。だが,このほかに,天武朝時代に盛行を極めた陰陽五行思想とのかかわりにおいて,〈国譲り〉や〈皇祖神鎮祭〉などの日本古代信仰が,鹿島・出雲,伊勢・大和の二つの〈東西軸〉上のできごとであることを説明しようとする学説もある。中国哲学すなわち陰陽五行哲学が導入され,定着してからは,国土の東端に鎮座すると考えられた鹿島神は〈東〉〈木気〉〈春〉〈青和幣(あおにぎて)〉〈雷〉〈地震〉などの霊的な性質を帯びるようになり,ついには木気の地震神を金気の石で取り鎮める呪術としての〈要石(かなめいし)〉や〈鯰絵(なまずえ)〉までがつくりだされることになる。一方,沖縄の島々にあっては,強烈な朝日が輝き,巨大な夕陽が一瞬のうちに夜闇をもたらす対比から,人々は,東をアガリと呼び西をイリと呼び,とくに東方はるかかなたの海と空とが一つになった場所にニライカナイ(常世国)を想定している。

 〈ひがし〉の語源については,日が出る方向に由来すると説く貝原益軒・新井白石の流儀と,ヒムカシという風の名前に由来すると説く本居宣長の流儀との二つが行われ,近代現代の国語辞典はこの太陽説か風説かのどちらかを採択して載せている。

 貝原益軒《日本釈名》(1700)には,〈東(ひがし) 日頭(ひがしら)なり。らの字を略す。日のはじめて出る所,かしら也。西 いにし也。日は西へいぬる日のいにしと云意。いを略す。南 万物皆みゆる意。日の南にある時,あきらかにしてみな見ゆる也。北 直指抄云,北方は其色黒し。上古には黒き色をきたなしと云。なしの文字は無の字の義にあらず,語の助也〉とある。また,新井白石《東雅(とうが)》(1719)には,東西南北の方位に関する語源がいっこうにはっきりしないので〈我疑ひ思ふ所をしるしぬるなり〉と前置きして,〈東をヒムガシいひしは。ヒは日也。ムカとは向也。シと云ひしは語助也〉と述べられている。

 次に,〈ひがし〉という語はもともと風の名〈ひがし〉に淵源しているとする説は本居宣長によって唱えられた。《古事記伝》に,仁徳天皇の大后石之日売(いわのひめ)の嫉妬(うわなりねたみ)を受けて吉備国に逃げ帰った黒日売(くろひめ)の歌〈倭方(やまとへ)に西風(にし)吹き上げて雲離(くもばな)れ退(そ)き居(を)りとも我(われ)忘れめや〉に次のごとき注釈を加えている。〈此歌に依て考るに,比牟加斯(ひむかし)爾斯(にし)と云は,もと其方より吹風(ふくかせ)の名にて,比牟加斯は東風,爾斯は西風のことなりしが転(うつり)て,其吹方(そのふくかた)の名とはなれるなるべし〉〈斯(し)は風にて,風神(かぜのかみ)を志那都比古(しなつひこ)と申す志(し),又嵐(あらし)飇(つむじ)などの志(し)も同じ〉〈さて東風(ひむかし)西風(にし)と云名の意は,比牟加斯(ひむかし)は,日向風(ひむかし)なり〉というのである。
執筆者:

東の文字は,太陽が地上に現れ,木の間ごしに日が射してきた状態を示している。いったん西に沈んだ太陽が,翌日は必ず東から昇って万物をはぐくむ力に,古代人は神秘を感じたにちがいない。エジプトの壁画に描かれた霊鳥フェニックスが,東方の不死と青春の泉に生きた後アラビアに去って灰となり,再生して東方に現れるという伝説や,秦の始皇帝が不死の薬を求めて採薬使を派遣したという話は,東方への限りないあこがれを示している。10世紀に日本で撰集された《医心方》にみられる隋・唐代以前の中国の医書でも,〈東〉の蘇生力をきわめて重要視していたことがうかがわる。5~6世紀の陶弘景は〈つねに日光に当たっている東に面した壁の上側の土〉を東壁土といい,小児の臍風瘡の薬としており,脱肛やしりのできものに塗布したり,悪寒発熱や黄疸に熱湯を注いで汁をとって服用したり,キノコの解毒剤として用いた。《枕中方(ちんちゆうほう)》には老子の〈東に伸びた桃の枝を採り,日の出前に三寸の木人を作って衣服や帯の中に入れると,世人から貴ばれ,敬愛される〉という言葉がある。そのほか《如意方(によいほう)》の長髪術では薬剤に東へ向かってはっている桑の根を用い,葛洪(かつこう)は《抱朴子(ほうぼくし)》で月が東井(とうせい)という星座に宿る日に洗髪入浴すると病気にかからないと説いている。東を流れる川の水も,東の井戸の水も薬効や呪力を強める力があると信じられていた。竜樹は相愛術で〈望む相手の名を紙に書き,東を向いて日の出を正視しながら,最初にくんだ井戸水でのめ〉と指示している。

 東は陰陽学では春を意味し,干支では甲乙(きのえきのと)で首位や芽立ちの象意があり,五行では木をあらわす。皇位継承の皇子を東宮または春宮というのもこのためで,東風は万物を育成する風で,清風,明庶風,嬰児風などと呼ぶ。こうした考え方が古代医術の理論の根底にあったのである。
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東[村] (ひがし)

沖縄県国頭(くにがみ)郡の村。人口1794(2010)。沖縄島(本島)北部にあり,東は太平洋に面し,南西は名護市に接する。北東の伊湯岳(446m),玉辻(たまちじ)山(289m)などの脊梁山地から開析された隆起海食台地が緩傾斜で南に開け,平良(たいら)湾岸に平地がある。かつては交通の困難な隔絶地域で,1960年代前半までは林業が主産業であったが,その後,段丘面の開発が進み,パイナップル栽培が行われる。近年は,花卉栽培のほか,豚・肉用牛の畜産も盛んである。伊湯岳からの支流を集め平良湾に注ぐ福地(ふくじ)川は長さ19.1km,流域面積36km2。74年に同島最大の福地ダムがつくられ,77年には北部の新川(あらかわ)川に新川ダムが完成して,ともに沖縄島中南部へ飲料水や工業用水を供給している。東村北部から国頭村南部にわたる広大な地域は,アメリカ軍の北部訓練場となっている。慶佐次(げさし)川下流のヒルギ林(マングローブ林)は国の天然記念物。
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東(群馬,吾妻郡) (あずま)


東(群馬,旧佐波郡) (あずま)


東(群馬,旧勢多郡) (あずま)


東(鹿児島) (あずま)


東(茨城) (あずま)


東(福島) (ひがし)

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日本歴史地名大系 「東」の解説


ひがし

[現在地名]嘉手納町東

比謝ひじや川南岸屋良やら地区の南にあり、かつては西には耕地(現嘉手納飛行場)が広がる。もとは屋良村内の屋宜やーじ野理原のーりばる伊金堂いきんどーの三ヵ所の屋取集落で、最初の移住者は一八世紀後半に那覇から来たと伝える(嘉手納町史)

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百科事典マイペディア 「東」の意味・わかりやすい解説

東[区]【ひがし】

新潟市北部を占める区。2007年4月,新潟市が政令指定都市となり,秋葉区,区,江南区,中央区,西蒲区,西区,区とともに区設置。北部を日本海に面し,西部を信濃川,東部を阿賀野川が流れる。日本海東北自動車道,国道7号線,113号線,信越本線白新線が通じる。北部海岸沿いに新潟空港,北西部には,新潟港がある。38.62km2。13万8096人(2010)。

東[区]【ひがし】

浜松市南東部を占める区。2007年4月,浜松市が政令指定都市となり,区,天竜区,区,西区,浜北区,区とともに区設置。東部に天竜川が流れ,東名高速道路,国道1号線,152号線,遠州鉄道が通じる。東部の天竜川橋南は東海道の渡船場跡。電気機械部品の製造が盛ん。46.29km2。12万6609人(2010)。

東[区]【ひがし】

福岡県福岡市北東部の区。1972年区制。博多湾を抱く志賀島(しかのしま),海ノ中道玄海(げんかい)国定公園の中心。多々良川以北は香椎(かしい)浜,高美台などに大住宅団地を造成。福岡女子大学,九州産業大学などがあり,香椎地区は市東部の中心部。多々良川以南は,都市高速道路など交通網を背景に箱崎埠頭などに流通基地を形成。九州大学香椎宮筥崎宮(はこざきぐう)がある。博多湾内に人工島アイランドシティが造成中。69.36km2。29万2199人(2010)。

東[区]【ひがし】

岡山市東部を占める区。2009年4月,岡山市が政令指定都市となり,区,区,区とともに区設置。東部に吉井川が貫流し,一部が瀬戸内市との境界をなす。南側を瀬戸内海や児島湾に面し,国道2号線,250号線,山陽新幹線,山陽本線,赤穂線が通じる。中心は,区役所がある西大寺。160.53km2。9万6948人(2010)。

東[区]【ひがし】

堺市東部を占める区。2006年4月,市が政令指定都市となり,区,区,西区,区,区,美原区とともに設置。南海高野線,国道310号線が通じる。10.49km2。8万5444人(2010)。

東[区]【ひがし】

熊本市東部を占める区。2012年4月,熊本市が政令指定都市となり,中央区,西区,区,区とともに区設置。西部にJR豊肥本線が通じる。九州自動車道と国道57号線が熊本ICで交差しており,熊本北バイパスも通じて道路交通の要衝となっているほか,熊本空港にも近い。県民総合運動公園や陸上自衛隊西部総監部など,大規模施設も立地。50.19km2。18万8082人(2010)。

東[町]【あずま】

茨城県南部,稲敷郡の旧町。1996年9月1日,東村から町制。北は霞ヶ浦に,南は利根川をはさんで千葉県に臨む。かつて洪水に悩まされたが,第2次大戦後,水利改良事業により解消され,整然とした水田地帯が広がる。近年は酪農や花卉,野菜栽培も行われる。1990年筑波東部工業団地が造成され,企業誘致が進められている。2005年3月稲敷郡江戸崎町,新利根町,桜川村と合併し市制,稲敷市となる。61.45km2。1万2745人(2003)。

東[区]【ひがし】

広島県広島市中部の区。1980年区制。太田川左岸,山陽本線北側を占める。住宅地をなす。呉娑々宇(ごさそう)山,二ヶ城(ふたつがじょう)山など山地が多い。市街地は鉄道沿線沿いや西端の西区境付近に発達。1986年北東部の山地を貫く安芸府中道路(広島高速1号線)が開通。付近には鮎信団地など新しい住宅地の造成が進む。1988年山陽自動車道広島東インターチェンジ開設。牛田(うした)新町には国宝の不動院金堂があり,北郊に森林公園,牛田東に広島女学院大学がある。39.42km2。12万751人(2010)。

東[町]【あずま】

鹿児島県北西部,長島の東半と付近の小島を含む出水(いずみ)郡の旧町。果樹栽培,畜産が盛んで,園芸作物も産する。タイ・ブリ・フグなどの養殖漁業も行う。北部海岸と島々は雲仙天草国立公園に属する。2006年3月長島町へ編入。71.04km2。7534人(2003)。

東[区]【ひがし】

北海道札幌市北東部の区。1972年区制。区内中央部を伏籠(ふしこ)川が北流。地下鉄東豊線が通る。平坦な地形でタマネギ(札幌黄(さっぽろき))の産地であるが,1960年代後半から区南西部を中心に宅地化が進む。丘珠(おかだま)地区に鉄工団地,丘珠空港,苗穂(なえぼ)地区にJR苗穂工場,サッポロビール園,美香保公園などがあり,東部のモエレ沼の一角にモエレ沼公園,サッポロさとらんどを造成。56.97km2。25万5873人(2010)。

東[区]【ひがし】

愛知県名古屋市中央北部の一区。市街中央部の久屋大通りから東へ大曾根(おおぞね)地区を経て矢田川に至る地域。大部分が商業・住宅地区であるが,南西部は愛知芸術文化センター,オアシス21などのある文教地区,北東部にナゴヤドームが1997年に完成した。徳川美術館,徳川園,建中寺などがある。中央本線,名鉄瀬戸線,市営地下鉄各線,名古屋ガイドウェイバスが通じる。7.71km2。7万3272人(2010)。

東[区]【ひがし】

大阪府大阪市の旧区。1989年南区と合区,中央区となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東」の意味・わかりやすい解説

東(村)
ひがし

沖縄県国頭郡(くにがみぐん)にある村。沖縄本島北部の東海岸にある。1923年(大正12)久志(くし)村(現、名護(なご)市の一部)から分村。伊湯(いゆ)岳・玉辻(たまちぢ)岳を主峰とする脊梁(せきりょう)山地から開析された隆起海食台が、緩傾斜をなし海に迫る。かつては交通困難な地域であったが、現在は道路が整備され、国道331号、主要地方道国頭東線が通じる。第二次世界大戦前から林産物の供給地で林業が主産業であったが、近年、台地上でパイナップル栽培が盛ん。県最大の福地ダムがある。やんばる国立公園に含まれる。慶佐次(げさし)川入り江にあるヒルギ(マングローブ)林は国指定天然記念物。面積81.88平方キロメートル、人口1598(2020)。

[堂前亮平]

『『東村史』全3巻(1982~1987・東村)』



東(方角)
ひがし
east

方角の一つ。日の出る方向で、日の没する方向の西と相対し、南北の間をいう。「ひがし」は「ひむがし」がつづまったもので日向風(ひむがし)であり、もともと日の出る方向から吹いてくる風についていわれた。東風にはこのほか「あがり」(南西諸島)、「こち」などの呼称があるが、前者は太陽の昇る方向という意味である。方角に十二支を配当する場合には卯(う)の方向にあたる。天頂を通り南北を結ぶ線を子午線というのに対し、東西を結ぶ線を卯酉線(ぼうゆうせん)という。

 歴史的には東は、京都に対して東方の鎌倉幕府を示すことが多かった。諺(ことわざ)に「東侍(さむらい)、西坊主(ぼうず)」というのがあるが、これは、東国では武士、西の京都では僧侶(そうりょ)が権勢があることをいったものである。

[根本順吉]

 語源的には「ひがしら(日頭、日首)」とする『日本釈名(にほんしゃくみょう)』『類聚(るいじゅう)名物考』などの説、日を木が貫く形として「ひぐし(日串)」の転とする『塵袋(ちりぶくろ)』、「ほし(星)かたしり」の反とする『名語記』などの諸説がある。古典文学上では日本の異名として用いられたりするが、これは、日本が中国や天竺(てんじく)(インド)からみて東に位置したからである。仏教では、浄土真宗の東本願寺または東本願寺派をいい、江戸の歌舞伎(かぶき)では舞台に向かって右側(上方では左側)半分をさす。相撲(すもう)などの左右対称の番付でも右側をいい、西より一枚格上とされる。

[宇田敏彦]


東(茨城県)
あずま

茨城県南部、稲敷郡(いなしきぐん)にあった旧町名(東町(まち))。現在は稲敷市の南東部を占める地域。1955年(昭和30)十余島(とよしま)、伊崎(いさき)、本新島(もとしんしま)の3村が合併して東村となり、1958年大須賀(おおすか)村を編入、1996年(平成8)町制施行。2005年(平成17)、稲敷郡江戸崎町(えどさきまち)、新利根町(しんとねまち)、桜川村(さくらがわむら)と合併して市制施行、稲敷市となった。旧町域は郡の東端にあり、旧町名は、光は東方よりの意義。利根(とね)川下流の低湿地で、気候は温暖。国道51号と125号が走る。1946年以来の国営灌漑(かんがい)排水事業と、本新島干拓で水田が整い、茨城県最大の米作地帯である。本新島干拓地のなかの本新では酪農も盛んに行われている。北畠親房(きたばたけちかふさ)ゆかりの阿波崎(あばさき)城跡がある。

[櫻井明俊]


東(福島県)
ひがし

福島県中通り南部、西白河郡(にししらかわぐん)にあった旧村名(東村(むら))。現在は白河市の東部を占める地域。旧東村は、1955年(昭和30)釜子(かまこ)、小野田(おのだ)の2村が合併して成立。2005年(平成17)表郷(おもてごう)、大信(たいしん)の2町とともに白河市に合併した。阿武隈(あぶくま)川と社(やしろ)川の間の丘陵地域を占め、おもな居住地は社川の支流矢武(やぶ)川沿いの平坦(へいたん)地にある。米作を主とし、葉タバコ・果樹栽培、養豚などの農業を行う。また、地域内には東工業団地がある。中心地区の釜子は近世には水戸街道の宿駅であり、また一時越後(えちご)高田藩の陣屋があった。東部の丘陵地には広大なゴルフ場がある。

[渡辺四郎]

『『東村史』上下(1976・東村)』


東(群馬県佐波郡)
あずま

群馬県東南部、佐波郡(さわぐん)にあった旧村名(東村(むら))。2005年(平成17)伊勢崎市(いせさきし)に合併。現在は伊勢崎市の北東部を占める一地区。旧東村地域は、かつて全耕地面積の70%が畑で、その40%を桑園が占め(1980)、養蚕業が盛んであったが、宅地化が進み養蚕農家は減少を続けている。キュウリなどの野菜栽培が盛んで、酪農や養豚も行われる。地域の南端には伊勢崎東流通団地がある。北部をJR両毛(りょうもう)線が走り、その国定(くにさだ)駅に近い養寿(ようじゅ)寺には、侠客(きょうかく)国定忠治の墓がある。

[村木定雄]


東(群馬県勢多郡)
あずま

群馬県中東部、勢多郡(せたぐん)にあった旧村名(東村(むら))。現在はみどり市の北部を占める地域。2006年(平成18)、新田(にった)郡笠懸(かさかけ)町、山田(やまだ)郡大間々(おおまま)町と合併して市制施行、みどり市となる。旧村域は北は栃木県日光(にっこう)市に接する山村。ほぼ中央を北東から南西に流れる渡良瀬川(わたらせがわ)に沿って集落がある。江戸時代足尾銅山から銅を運んだ銅街道(あかがねかいどう)や、わたらせ渓谷鉄道、国道122号が通じる。マンガン鉱と花崗(かこう)岩が特産。村域の約90%が山林で、林業が盛ん。1977年(昭和52)草木ダム(くさきだむ)が完成し、県営の東発電所もできた。

[村木定雄]

『『勢多郡東村誌』(1998・東村)』


東(鹿児島県)
あずま

鹿児島県北西部、出水郡(いずみぐん)にあった旧町名(東町(ちょう))。現在は長島(ながしま)町の東部を占める。本土と黒之瀬戸を隔てる長島の東半分と、獅子(しし)島、諸浦(しょうら)島、伊唐(いから)島などからなる。1956年(昭和31)町制施行にあたり東長島村を東町と改称。2006年(平成18)長島町に合併。古くは天草(あまくさ)領であったが、戦国時代島津氏の勢力拡大により薩摩(さつま)領となる。リアス海岸で平地に乏しく、丘陵地帯では酪農や肉牛の飼育、ミカンなど果樹栽培が行われ、沿岸では入り江を利用したブリ、タイなどの養殖業が盛んである。1974年に島民待望の黒之瀬戸大橋(国道389号)が完成、本土と陸続きになり、天草とを結ぶ観光ルートとして年間多数の観光客が訪れている。

[平岡昭利]


東(群馬県吾妻郡)
あづま

群馬県中西部、吾妻郡(あがつまぐん)にあった旧村名(東村(むら))。現在は東吾妻町(ひがしあがつままち)の東部を占める地域。2006年(平成18)同郡吾妻町と合併して東吾妻町となる。旧村域は東南を渋川(しぶかわ)市に接する。榛名(はるな)山の北麓(ほくろく)を占めるので日蔭通(ひかげどお)りの地域といわれ、火口瀬の沼尾(ぬまお)川の流域は、乏水性地域で、江戸初期に開発された。水田のほかに、コンニャクイモと花卉(かき)の栽培が行われ、林業やマス、ヤマメなどの養殖も盛ん。吾妻川右岸の箱島(はこしま)には不動尊、「日本名水百選」の箱島湧水(ゆうすい)や箱島発電所(最大出力2万4800キロワット)がある。

[村木定雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東」の意味・わかりやすい解説


あずま

茨城県南部,稲敷市南東部の旧町域。霞ヶ浦利根川の間に位置する。 1955年十余島村,本新島村,伊崎村の3村が合体して東村となり,1958年大須賀村を編入。 1996年町制。 2005年江戸崎町,新利根町,桜川村と合体して稲敷市となった。中央部を新利根川が東流。水郷の水稲単作早場米地帯。第2次世界大戦後に干拓が進み,大農場式の開拓農場も開かれた。農業基盤整備事業により機械化されている。


あずま

鹿児島県北西部,長島町東部の旧町域。長島の東半部と獅子島伊唐島,諸浦島 (しょうらじま) およびその属島からなる。 1889年獅子島村,浦底村,鷹巣村,諸浦村,川床村,山門野村の6村が合体して東長島村となり,1956年東町に改称し町制。 2006年長島町と合体。米,サツマイモ,ミカン,エンドウなどの栽培のほか,畜産,沿岸漁業などが行なわれる。北部の海岸は雲仙天草国立公園に属する。黒之瀬戸大橋の開通によって九州本島との連絡が容易になった。


あずま

群馬県東部,みどり市北部の旧村域。渡良瀬川上流域に位置し,足尾山地の西部を占める。勢多東 (せたあずま) と呼ぶ。 2006年笠懸町,大間々町と合体して,みどり市となった。主産業は石材業と林業で,シイタケ,ナメコの栽培が行なわれ,花崗岩を特産する。かつてはマンガン鉱を産した。 1977年に完成した草木ダム,県営の東発電所がある。


ひがし

福島県南部,白河市南東部の旧村域。白河盆地東部,阿武隈川右岸の台地にある。 1955年小野田村と釜子村が合体して成立。 2005年白河市,表郷村,大信村と合体して白河市となった。農林業が主産業。中心地区の釜子は会津地方と水戸を結ぶ茨城街道の要地として栄えた。リンゴを主とする果樹栽培が行なわれている。


あづま

群馬県中部,東吾妻町東部の旧村域。榛名山北東斜面から吾妻川中流の右岸を占める。吾妻東 (あがつまあづま) と呼ぶ。 1889年村制施行。 2006年吾妻町と合体して東吾妻町となった。耕地はおもに吾妻川の河岸段丘上にあり,米作,養豚のほかコンニャクイモの栽培が行なわれる。東南端の箱島では箱島不動尊の境内から湧出する地下水を利用して,マスの養殖が営まれる。


あずま

群馬県南東部,伊勢崎市北東部の旧村域。佐波東 (さわあずま) と呼ぶ。利根川中流左岸の台地にある。 2005年伊勢崎市,赤堀町,町と合体して伊勢崎市となる。近郊野菜のハウス栽培,露地栽培が行なわれる。北部の国定地区に国定忠次の墓がある。


あずま

長野県北東部,須坂市南東部の地区。旧村名。 1971年須坂市に編入。四阿山 (あずまやさん) 北西麓を占め,一部は上信越高原国立公園に属する。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【北】より

…観測点から見た地平面の方向を方位といい,東西南北の4基点をもとに北,北北東,北東,東北東,東……など16方位で呼ぶのが一般的である。北は,観測者が太陽の昇る方向(東)に向いたとき左手に当たる方向で,英語のnorthもインド・ヨーロッパ語系のner(on the leftの意)に由来している。…

※「東」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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