精選版 日本国語大辞典 「杵屋六左衛門」の意味・読み・例文・類語
きねや‐ろくざえもん【杵屋六左衛門】
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長唄(ながうた)三味線方、唄方(うたかた)。現在まで15代を数えるが、それは勘五郎、喜三郎を含めた杵屋宗家の代数であり、3世杵屋勘五郎編の『杵屋系譜』によれば、2代、4代、6代、7代、そして9代目以降が六左衛門を名のっているが、7代目までは確証に乏しく、不明な点が多い。
[渡辺尚子]
(?―1819)3世田中伝左衛門の次男。宗家8代喜三郎の養子。前名3世六三郎。1797年(寛政9)六左衛門名義を復活襲名。『越後獅子(えちごじし)』『小原女(おはらめ)』などを作曲。その住所から「植木店(うえきだな)」とよばれ、以後、六左衛門家は植木店派とよばれることとなる。
[渡辺尚子]
(1800―58)9代の実子。前名4世三郎助。1830年(天保1)六左衛門を襲名。4世六三郎とともに長唄中興の祖といわれる。『供奴(ともやっこ)』『石橋(しゃっきょう)』『賤機帯(しずはたおび)』『秋色種(あきのいろくさ)』『鶴亀(つるかめ)』『翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)』などを作曲。
[渡辺尚子]
(1815ころ―77)10代の甥(おい)。前名5世三郎助。1861年(文久1)11代を襲名。後の3世杵屋勘五郎(同項目参照)。
[渡辺尚子]
(1839―1912)芳村(よしむら)孝三郎の実子。10代の養子。前名喜三郎。1868年(明治1)12代を襲名。おもに演奏方面で活躍。
[渡辺尚子]
(1870―1940)12代の実子。前名喜三郎。1894年(明治27)13世を襲名。のち寒玉(かんぎょく)と称す。弟の5世勘五郎とともに歌舞伎(かぶき)長唄の育成に力を入れる。『楠公(なんこう)』『五条橋』などを作曲。
[渡辺尚子]
(1900―81)13代の実子。本名杵家安彦。前名喜三郎。1916年(大正5)14世を襲名。三味線方としての家系ながら唄方に転向。4世吉住(よしずみ)小三郎(慈恭(じきょう))に師事し、伝統的な長唄の伝承とともに新しい長唄の発展にも力を注いだ。『母を恋ふるの記』『楢山節考(ならやまぶしこう)』などを作曲。日本芸術院会員。重要無形文化財保持者。昭和56年8月23日没。没後、次女の六左(1930― )が15代六左衛門を継ぐ。
[渡辺尚子]
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