松島(読み)マツシマ

デジタル大辞泉 「松島」の意味・読み・例文・類語

まつしま【松島】

宮城県中部、松島湾一帯の景勝地。海食により奇観を呈する大小260余の島があり、松が茂る。日本三景の一。大高森おおたかもり富山とみやま扇谷おうぎがやつ山・多聞山たもんざんからの眺望がすぐれ、松島四大観と称される。瑞巌寺・五大堂・塩竈しおがま神社観瀾かんらん亭などがある。[歌枕]
「―や雄島の磯にあさりせし海人あまの袖こそかくは濡れしか」〈後拾遺・恋四〉

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精選版 日本国語大辞典 「松島」の意味・読み・例文・類語

まつしま【松島】

  1. [ 一 ] 宮城県中部、松島湾の湾岸と湾内二六〇余の島々から成る景勝地。島と松と静海の美は日本三景の随一といわれ、大高森の壮観・富山の麗観・扇谷山の幽観・多聞山の偉観を松島四大観とする。塩竈神社・瑞巖寺・五大堂などの史跡がある。歌枕。
    1. [初出の実例]「松しまのあまのとま屋もいかならむすまの浦人しほたるるころ」(出典:源氏物語(1001‐14頃)須磨)
  2. [ 二 ] 葉茶壺の一つ。大名物。葉茶が七斤余もはいるルソンの大壺。贅(こぶ)が三〇余もあり、紫釉(むらさきぐすり)の真壺(まつぼ)の典型的なもの。本能寺の変で消失。
  3. [ 三 ] 常磐津。河竹黙阿彌作詞。六世岸沢式佐作曲。明治一七年(一八八四)発表。不和であった常磐津と岸沢両派の和解を記念して作ったもの。七世常磐津小文字太夫の出身地、松島の名勝風物を歌い、優雅上品な曲として祝儀物とされる。

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日本歴史地名大系 「松島」の解説

松島
まつしま

仙台湾のほぼ中央に位置して、松島湾はひときわ深く陸地に入込み、大小二〇〇有余の島々をそのうちに散在させている。宮戸みやと島・寒風沢さぶさわ島・野々のの島・かつら島・馬放まはなし島と、五つのかなり大型の島が東西に並んで湾の外縁を限り、その周辺と海岸沿いに、数多くの巌島が点在するが、いずれも松の緑をいただき、その裾は潮汐に洗われて千趣万態、海食の変相図を繰広げる。こうした景勝の地が「松島」と古くからよばれ、やがては「扶桑第一の好風」(おくのほそ道)、「境致之佳、与丹後天橋立安芸厳島、為三処奇観(日本事跡考)とまでいわれて、ひろくその名を知られるようになった。しかしその範囲が明確に定まるのは、明治末期に県立松島公園が設定されてからで、つづいて大正一二年(一九二三)に史蹟名勝天然記念物保存法により名勝に指定されるに及んで確定し、次いで昭和二七年(一九五二)にはさらに特別名勝に格上げされた。

特別名勝松島の指定範囲は、鳴瀬なるせ川河口から宮戸島東端沖合の島までの線を東辺とし、さらに波島からしちはま町の御殿ごてん崎を真一文字に見通す線を南辺としている。それゆえ、松島湾の島々はすべてその範囲に含まれ、関連の地区も松島町のほか七ヶ浜町・塩竈市・利府りふ町・桃生ものう郡鳴瀬町に及ぶ。名勝松島は松島湾の全域にわたり、いわばその別称でもある。

〔湾の成因〕

松島の景勝地形、さらには松島湾自体の成因については、地学による種々の解説がある。しかし、松島丘陵の末端部分が複雑な経過で海底に沈下して、その頂峰部分が現在島の形で残った。しかもその外縁部に比して、松島海岸―塩竈港を結ぶ沿岸筋の沈降がさらに進んだため、宮戸島・寒風沢島・野々島・桂島と比較的大型の島々が外側に残り、その内側に沿岸筋の水路が松島内湾と塩竈浦を結んで通じ、松島群島をそこに点在させるに至ったとする点では各説ほぼ一致している。そして松島の奇勝の成因にはおおむね、その母胎をなす松島丘陵末端部の特異な地質と複雑な地相、とくに多くの断層面の存在とその沈降と隆起の複雑な周期的変動をあげている。

〔諸島とその名称〕

「まつしまやをじまのいそにあさりせしあまのそでこそかくはぬれしか」(後拾遺集)、長保年間(九九九―一〇〇四)陸奥在住中に客死した源重之の詠歌をはじめ、松島の名称は平安期の歌集にまずあらわれ、やがて歌枕となった。中世以後には松島紀行の類も幾つかあり、さらに近世に及んでは詩歌・俳句に紀行文に、その名がまさに氾濫する。


松島
まつしま

[現在地名]島原市霊南・蛭子町・津町など

白土しらち町の東方、内海に突き出た島。延宝七年(一六七九)「松島宗像社」に高二石余の社領寄進があった(「寺社領寄付状并祝詞」松村家文書)。同社は島原藩主松平忠房が祀ったと伝える。寛政四年(一七九二)の島原大変以前の島原城下図(荒木家蔵)では東照宮(現霊丘神社)の南西に松島とともに宗像むなかた社がみえ、寄付高二石余で、九月一三日の祭礼に相撲が興行され、相撲場が記される。


松島
まつしま

[現在地名]平内町福館 雷電林

古く小湊こみなと川河口は深い入江であったが、上流からの土砂の堆積により埋立てられ三角洲となり、五〇〇メートルほど沖まで遠浅となり、干潮の時は海底を露出する。海岸から一〇〇メートルの所にある松島は、その名のように古松が十数本生え、満潮の時は海上に浮く。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松島」の意味・わかりやすい解説

松島(宮城県)
まつしま

宮城県中東部の松島湾一帯を示す通称で、安芸(あき)(広島県)の宮島(厳島(いつくしま))、丹後(たんご)(京都府)の天橋立(あまのはしだて)とともに「日本三景」の一つに数えられ、また特別名勝に指定されている。松島という地名は古代の記録に現れている。しかし、中世以前には松島湾の南西端にある塩竈の浦(しおがまのうら)(千賀の浦(ちかのうら))が歌に詠まれてはいたが、松島湾全体の風景はあまり知られてはいなかった。仙台藩祖伊達政宗(だてまさむね)による瑞巌寺(ずいがんじ)の再興後、ようやく知られるようになる。松島の風景を全国的に紹介したのは、1669年(寛文9)に訪れた伊勢(いせ)の俳人大淀三千風(おおよどみちかぜ)の『松島眺望集』で、その後、1689年(元禄2)に松尾芭蕉(ばしょう)が訪れ『おくのほそ道』のなかで最大級の賛辞を記している。日本三景の一つにあげられたのは、儒学者林鵞峰(がほう)が1714年(正徳4)に『日本事跡考』のなかに「三処の奇観」の一つとして述べたことに起因するという。

 近世には松島海岸の西にある長老坂により仙台と連絡していた。1890年(明治23)松島海岸の北約3キロメートルに東北線松島駅が開業し、さらに、1927年(昭和2)宮城電鉄松島公園駅(現在JR仙石(せんせき)線松島海岸駅)が開設されてから多くの観光客を集めるようになった。観光地松島は、文化財のある松島町の海岸部と、大小の島がある松島湾とに分けられる。瑞巌寺は松島海岸の観光船発着場の正面にある。838年(承和5)慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)が創建。その後衰微していたが、1609年(慶長14)に伊達政宗が再建し瑞巌円福禅寺と改称した。本堂、庫裡(くり)は後期桃山建築の様式をよく伝える国宝建造物である。その後も、陽徳院、円通院、天麟(てんりん)院など伊達家ゆかりの寺院が建てられた。陽徳院は政宗の正室愛(めご)姫の菩提寺で、愛姫の霊廟である陽徳院霊屋は国指定重要文化財。そのほかに、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の造営と伝えられる毘沙門(びしゃもん)堂を、のちに五大明王像を安置し政宗のときに修理した五大堂、仙台藩主の納涼と観月のための観瀾亭(かんらんてい)(松島博物館を併設)、僧頼賢(らいけん)の碑(国の重要文化財)のある雄島(おしま)などがある。松島湾内には大小260余といわれる島があり、クロマツ、アカマツが茂り、凝灰岩質の島は波に削られ、仁王島、よろい島などの奇勝を呈する。湾内を巡る定期観光船が就航しているが、高所からの展望もよく、宮戸(みやと)島の大高森(おおたかもり)(106メートル)の壮観、北東部の富山(とみやま)(117メートル)の麗観、北西部の扇谷(おうぎがやつ)山(70メートル)の幽観、南西部の多聞山(たもんざん)(56メートル)の偉観は、「松島四大観」と称される。大高森の頂上からは、奥羽山脈、北上(きたかみ)山系、福島県相馬(そうま)地方までを眺望することができる。四季を問わず観光客が多く、8月の盆には灯篭(とうろう)流しと花火大会が行われる。なお、外洋に面した嵯峨渓(さがけい)付近の海岸は奥松島とよばれている。

[後藤雄二]



松島(町)
まつしま

宮城県中東部、宮城郡の町。松島湾北西岸に位置する。1928年(昭和3)町制施行。JR東北本線と仙石(せんせき)線、国道45号、346号、三陸自動車道が通じ、松島大郷(おおさと)、松島北の各インターチェンジがあるほか、松島パノラマラインが通じる。江戸時代に品井沼(しないぬま)干拓のためつくられた人工河川の高城川(たかぎがわ)が南流し、河口の高城は仙台藩政期から塩田、宿場町として繁栄、現在は町役場が置かれている。その東の手樽湾(てたるわん)は1968年(昭和43)に干拓が完成し、1102ヘクタールの水田が造成された。米作のほか、畜産や施設園芸が行われている。松島湾ではノリやカキ、アサリの養殖が盛ん。松島海岸は日本三景の一つ特別名勝松島の中心で、国宝、重要文化財を多く有する瑞巌寺(ずいがんじ)をはじめ多くの名所があり、観光客が絶えない。国指定史跡に西の浜貝塚がある。面積53.56平方キロメートル、人口1万3323(2020)。

[境田清隆]

東日本大震災〕2011年(平成23)の東日本大震災では、湾内の島々に守られ津波の最大高が4メートル弱と、周辺市町村に比べて低かったとはいえ、死者7人、住家全壊221棟・半壊1785棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。基幹産業である観光業をみると、2015年度の観光客入込数は272万7000人、うち宿泊者数65万5000人で、震災前の2009年度の数値(観光客入込数368万6000人、うち宿泊者数67万9000人)を取り戻すにはいたっていない(松島町統計資料)。

[編集部 2019年10月18日]

『『松島町誌』(1960・松島町)』『『松島町史』全4巻(1989~1991・松島町)』



松島(熊本県)
まつしま

熊本県南西部、天草上島(あまくさかみしま)の北東部を占める天草郡にあった旧町名(松島町(まち))。現在は上天草市(かみあまくさし)の北部を占める地域。旧松島町は1956年(昭和31)町制施行。2004年(平成16)大矢野(おおやの)、姫戸(ひめど)、龍ヶ岳(りゅうがたけ)の3町と合併、上天草市となる。旧町名は、眺望が日本三景、宮城県の松島に似ていることに由来する。旧町域は、国道266号、324号が通じる天草上島東北部を主として大小約30の島々からなる。全体に山頂高度の異なる小地塊山地からなり、平地は合津(あいつ)港から松の本峠までの国道324号沿いと、倉江川の本・支流沿いに樹枝状にみられるだけである。このため、農業はその耕地の半分近くを棚田や段々畑に依存している。米、麦、サツマイモ、養蚕、葉タバコ、イグサなどが伝統的な農作物であったが、天草五橋開通(1966)で、大矢野島経由で九州本土と結ばれて以降はミカン、花卉(かき)の栽培が急速に拡大した。また架橋の影響は漁業にも現れ、タイ、ハマチ、クルマエビなどの養殖が飛躍的に伸びたほか、電機、精密機器などの工場も労働力を求めて進出してきた。国道266号と324号の接点にある合津は松島観光の玄関口で、同港からは八代(やつしろ)港へフェリーが出ている。かつて県下第一を誇った海運業は衰えた。養殖真珠は、合津石とともに土産(みやげ)物店の主役である。大戸鼻古墳群(おおとばなこふんぐん)は県史跡。

[山口守人]


松島(長崎県)
まつしま

長崎県西彼杵半島(にしそのぎはんとう)の西方海上の島。西海市(さいかいし)に属する。もとは西彼杵郡大瀬戸(おおせと)町に属していたが、2005年(平成17)大瀬戸町の西海町ほかとの合併により西海市域となった。面積6.38平方キロメートル。寛文(かんぶん)年間(1661~1673)大村(おおむら)藩の深沢儀太夫(ふかざわぎだゆう)がここで捕鯨業を始め、西海捕鯨の基地として栄えた。明治以後は海底炭田の島として発展し人口も1万を数えたが、1934年(昭和9)鉱内の水没(海水浸入の事故)によって閉山し、島の荒廃が著しかった。1973年(昭和48)電源開発株式会社によって松島火力発電所(総出力100万キロワット)が建設され、1981年の運転開始当時は、海外炭を主燃料とするわが国最大の石炭専焼火力発電所であった。人口635(2009)。

[石井泰義]

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改訂新版 世界大百科事典 「松島」の意味・わかりやすい解説

松島 (まつしま)

宮城県中部,仙台湾の支湾松島湾の沿岸部および松島湾に散在する島嶼(とうしよ)群の総称。日本三景の一つで,特別名勝。松島丘陵の南東部が,沈水して形成された湾入が松島湾で,沿岸は海食台地の隆起した比較的平たんな丘陵となり,沈水部の高所は段丘地形をもつ大小260余の島々や屈曲の多い岬となっている。これらは南東~北西方向の断層・褶曲系に支配されて規則的配列を示している。第三紀の凝灰岩,砂岩,レキ岩,泥板岩などからなる島のうち60余島にはクロマツ,アカマツが繁り,千貫島,兜(かぶと)島,仁王島など垂直の断面や水平の縞模様,波形の海食崖など特殊な海食地形を示す。沿岸付近の丘陵からの眺望がよく,大高森(105m。宮戸島),富山(124m),扇谷,多聞(たもん)山(50m)は松島四大観(壮観,麗観,幽観,偉観)と称される。

 海岸付近には史跡が多く,1609年(慶長14)に再建され,国宝・重要文化財の多い伊達家の菩提寺瑞巌(ずいがん)寺,藩主の観月の場となり〈月見の御殿〉と呼ばれた観瀾亭,坂上田村麻呂の創建と伝え,後に伊達政宗が再建した五大堂,円通院霊屋,陽徳院霊屋があり,渡月橋を渡った雄島(千松島)には奥州三古碑の一つといわれる頼賢(らいけん)碑があり,岩壁には卒塔婆の形を彫った跡が多い。松島湾の支湾塩釜湾の奥には奥州一宮の塩竈(しおがま)神社が鎮座する。松島は歌枕としても著名で,源重之の〈まつしまやをじまのいそにあさりせしあまのそでこそかくはぬれしか〉(《後拾遺集》),藤原俊成の〈立ちかへり又もきて見む松しまやをじまのとまや浪にあらすな〉(《新古今集》)などの歌があり,芭蕉は〈松嶋は扶桑第一の好風にして,凡洞庭・西湖を恥ず〉〈造化の天工,いづれの人か筆をふるひ詞を尽さむ〉(《おくのほそ道》)と記している。

 湾内ではカキ,ノリの養殖が盛んであり,外洋に面する島々の間の5水道は,明治初期には潜ヶ浦(かつぎがうら),寒風沢(さぶさわ),石浜などが汽船の停泊地として栄えた。馬放(まはなし)島,桂島,宮戸島では水産養殖が行われるほか,海水浴場,キャンプ場としてもにぎわう。8月15日には瑞巌寺の大施餓鬼とともに灯籠流しが行われる。東北本線,仙石線が通じ,観光用のパノラマラインもあり,湾内には巡航船,遊覧船の便がある。博物館,水族館,松島タワー(64m)などもある。
執筆者:


松島[町] (まつしま)

宮城県中部,宮城郡の町。人口1万5085(2010)。松島丘陵の東部を占め,松島の浮かぶ松島湾に面する。高城(たかぎ)川河口にある高城が中心集落で,近世には宿場町,漁港であった。松島観光の一中心で,伊達氏代々の菩提寺瑞巌(ずいがん)寺,五大堂,観瀾亭や水族館があり,観光船が発着する桟橋の周辺に多くの旅館,みやげ物店が集まる。松島湾ではカキ,ノリの養殖のほか,サケの孵化なども行われている。旧品井沼干拓地と手樽湾干拓地には水田が広がる。JR東北本線,仙石線が通じる。
執筆者:


松島(熊本) (まつしま)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松島」の意味・わかりやすい解説

松島
まつしま

宮城県中部,松島湾とその沿岸一帯の地域。日本三景の一つ。塩竈市と,松島町東松島市七ヶ浜町にまたがる。1902年松島県立自然公園に,1952年国の特別名勝に指定された。新第三紀の凝灰岩や頁岩からなる 260余の島と海岸は,海食を受けて種々の奇観を呈す。周辺の丘陵とともにクロマツに覆われているので「松島」の名が生まれた。湾口の七ヶ浜半島の多聞山(たもんざん。56m)からの眺望を「偉観」と呼び,宮戸島大高森(106m)からの眺めの「壮観」,湾北部の富山(117m)からの「麗観」,西岸の扇谷双観山(56m)からの「幽観」を合わせて,古来より松島四大観というように,松島の景観は場所により季節により変化に富む。湾内の内松島と湾外の外松島は対照的な景観を呈す。西岸の姉取山(138m)に有料道路パノラマラインもある。松島湾北西部の松島海岸は,交通の便がよいことから松島観光の中心で,雄島(おしま),福浦島などの松島八島と,国宝の瑞巌寺本堂(1953指定),国の重要文化財の五大堂(1901指定),観瀾亭などがあり,水族館,遊覧船の船着場,ヨットハーバー,ホテルや旅館,みやげ物店も多い。松島湾東部の宮戸島,寒風沢島(さぶさわじま),野々島,小烏帽子列島のあたりを奥松島と呼び,静けさが賞され,宮戸島の東側に海食崖の嵯峨渓がある。

松島
まつしま

熊本県南西部,天草諸島上島北東部にある地区。旧町名。 1955年今津 (いまつ) ,阿 (あ) ,教良木河内 (きょうらぎかわち) の3村が合体して松島村となり,1956年町制。 2004年3月大矢野,姫戸,龍ヶ岳の3町と合併,上天草市となる。旧町名は付近一帯の景観が日本三景の一つ松島に似ていることに由来する。エビ,真珠の養殖が行なわれる。阿村港は木造・機帆船の本拠地。天草五橋を結ぶ天草パールライン (国道 266号線) が通り,合津 (あいつ) 港では三角 (みすみ) ,八代,島原の各港へのフェリー,天草松島の遊覧船が発着する。千巌 (せんがん) 山および高舞登 (たかぶと) 山 (ともに国指定名勝) からの天草松島の眺望は特にすばらしく,一部は雲仙天草国立公園に属する。合津付近で国道 266号線と 324号線 (ロザリオライン) が分岐。

松島
まつしま

長崎県中部,西彼杵半島西岸から約 1km西方にある島。旧村域。 1955年近隣町村と合体して大瀬戸町となり,2005年西海市に属する。大正期に炭鉱が開発され,人口も 1920年には1万 4000に達したが,1934年の水没事故で閉山。釜ノ浦は江戸時代に風待ち港,潮待ち港として栄え,後期には捕鯨の基地でもあった。農業と漁業の島。 1981年北部に主として石炭を燃料とする出力 100万 kWの火力発電所が建設された。佐世保港,および対岸の瀬戸港から船の便がある。面積 6.24km2。人口 789 (2000) 。

松島
まつしま

旧日本海軍の軍艦。日清戦争当時の『厳島』『橋立』と並ぶ日本主力艦3隻の一つ。 1891年に進水し,排水量 4300t,速力 16kn,主砲 32cm砲1,12cm砲 11。黄海海戦で活躍。『厳島』の2代目は敷設艦で,排水量 1970t,速力 17kn,機雷 300搭載。 (→三景艦 )  

松島
まつしま

常磐津節の曲名。本名題『岸さざなみ常磐松島 (きしのさざなみときわのまつしま) 』。河竹黙阿弥作詞,6世岸沢式佐作曲。 1884年常磐津と岸沢両派の和解を記念して作られたもので,東北の名勝地松島を歌う。

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百科事典マイペディア 「松島」の意味・わかりやすい解説

松島【まつしま】

宮城県中部,松島湾一帯の景勝地(特別名勝)。日本三景の一つ。湾内に散在する260余の島々は沈水した松島丘陵のかつての高所で,波食により奇景を呈し,白い岩肌(いわはだ)と松が調和している。平安期の歌集にみえる歌名所で,天台密教など霊場としても知られた。湾岸に瑞巌寺,五大堂,観瀾亭,塩竈神社がある。大鷹森,富山,多聞山,扇谷からのながめを〈四大観〉と呼ぶ。東北本線,仙石線が通じ,バス交通も発達,湾内に観光船が就航。
→関連項目象潟[町]松島[町]松島湾

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デジタル大辞泉プラス 「松島」の解説

松島〔佐賀県〕

佐賀県唐津市、呼子港の北北西約7キロメートルに位置する玄海諸島の島。面積約0.63平方キロメートル。安政年間に東隣にある加唐島からの入植者が島を開拓。その後、長崎の黒島から隠れキリシタンが移り住み、キリスト教が定着した。現在に至るまで住民の大半がカトリック信者で、“ロザリオの島”とも呼ばれる。

松島〔長崎県〕

長崎県西海市大瀬戸町、福島郷から松島水道を隔てた西沖に位置する島。面積約6.39平方キロメートル。江戸時代には捕鯨基地として栄えた。天明年間に石炭採掘が始まり、以後は炭鉱の島として発展したが、昭和初期に相次いだ出水事故を経て閉山。島内にはいくつかの炭鉱遺構が残る。島の北部に火力発電所がある。

松島〔宮城県〕

宮城県中部の塩釜市、松島町、七ヶ浜町など2市3町にまたがる景勝地。松島湾一帯の大小260あまりの島や白砂の菖蒲田浜(しょうぶだはま)、アカマツやクロマツの林が織り成す景観美は日本三景にも数えられ、湾周辺の松島丘陵も含めた一帯は特別名勝に指定されている。

松島〔岡山県〕

岡山県倉敷市、下津井半島先端の久須美鼻の沖合い、約400メートルに位置する島。児島諸島に属する県内最小の有人島で、面積は約0.08平方キロメートル。瀬戸大橋を望み、藤原住友ゆかりの住友神社がある。

松島〔島根県〕

島根県隠岐郡海士町、中ノ島の東北約2.7kmに位置する無人島。周辺の海はサンゴも見られるダイビングスポットとして知られる。

松島〔兵庫県〕

兵庫県姫路市、西島の南約4.6kmに位置する播磨灘の無人島。松島灯台がある。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「松島」の解説

松島
(通称)
まつしま

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
岸漣猗常磐松島 など
初演
明治34.7(東京・東京座)

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事典・日本の観光資源 「松島」の解説

松島

(宮城県塩竈市・東松島市・宮城郡松島町・七ヶ浜町・利府町)
日本の白砂青松100選」指定の観光名所。

松島

(宮城県宮城郡松島町)
日本十二景」指定の観光名所。

松島

(宮城県宮城郡松島町)
日本三景」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

事典 日本の地域遺産 「松島」の解説

松島

(宮城県東松島市)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松島の言及

【日本三景】より

…宮城県の松島,京都府の天橋立(あまのはしだて),広島県の厳島(いつくしま)を日本三景と称している。松島や天橋立はすでに平安時代中期までに,京都の貴族たちには広く知られた名勝地で,歌や名所絵のよき題材とされていた。…

※「松島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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