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                            「松根東洋城」の意味・読み・例文・類語
                    
                
		
                    まつね‐とうようじょう〔‐トウヤウジヤウ〕【松根東洋城】
        
              
     
    
        
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                    まつね‐とうようじょう【松根東洋城】
        
              
                        - 俳人。本名、豊次郎。東京出身。京大法科卒。夏目漱石に師事し「ホトトギス」に参加。河東碧梧桐の新傾向俳句に対抗。大正四年(一九一五)「渋柿」創刊。著に「黛」「薪水帖」など。明治一一~昭和三九年(一八七八‐一九六四)
 
                                                          
     
    
        
    出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
	
    
  
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                    松根 東洋城
マツネ トウヨウジョウ
        
              
                        明治〜昭和期の俳人 「渋柿」主宰。 
- 生年
 - 明治11(1878)年2月25日
 
- 没年
 - 昭和39(1964)年10月28日
 
- 出生地
 - 東京・築地
 
- 出身地
 - 愛媛県宇和島市
 
- 本名
 - 松根 豊次郎
 
- 別名
 - 号=秋谷立石山人
 
- 学歴〔年〕
 - 京都帝大法科大学〔明治38年〕卒
 
- 主な受賞名〔年〕
 - 勲三等瑞宝章〔昭和39年〕
 
- 経歴
 - 宇和島藩城代家老・松根図書の長男。松山中学時代に漱石を知り、句作を始める。明治38年京都帝大卒業後、宮内省に入り、式部官、宮内書記官、帝室審査官などを歴任。碧梧桐の新傾向に対抗して虚子らと定型句を主張し、「ホトトギス」「国民俳壇」などに句作を発表。大正4年「渋柿」を創刊して主宰する。5年、一時小説に走った虚子が「国民俳壇」の選者に復帰したことにより、以後、虚子および「ホトトギス」と訣別した。8年宮内省を退官し、以後俳句に専念。昭和29年芸術院会員となったが、生前に句集はなく、没後の41年から42年にかけて「東洋城全句集」(全3巻)が刊行された。ほかに「漱石俳句研究」「俳諧道」「黛」「薪水岾」などの著書がある。
 
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
	
    
  
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    出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
	
    
  
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                    松根東洋城
まつねとうようじょう
(1878―1964)
        
              
                        俳人。東京の生まれ。本名豊次郎。東京帝国大学より京都帝国大学仏法科に転じ、卒業後宮内省に入り、式部官、会計審査官等を歴任した。松山中学、旧制一高時代から夏目漱石(そうせき)に師事し、『ホトトギス』に投句、『国民新聞』の俳壇選者となる。1915年(大正4)『渋柿(しぶがき)』を創刊してこれに拠(よ)り、芭蕉(ばしょう)を宗とする独自の俳諧(はいかい)道を提唱、門下より多数の優秀作者を出し、52年(昭和27)『渋柿』を野村喜舟(きしゅう)に譲った。54年芸術院会員。『俳諧道』(1938)、『黛(まゆずみ)』(1941)など著書多く、没後、全句集などが刊行された。
[村山古郷]
 恰(あたか)もや秋篠寺(あきしのでら)の秋の暮
『松根宗一編『東洋城全句集』全三巻(1966~67・海南書房)』
                                                          
     
    
        
    出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
	
    
  
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                    松根東洋城 まつね-とうようじょう
        
              
                        1878-1964 明治-昭和時代の俳人。
明治11年2月25日生まれ。松根図書(ずしょ)の孫。宮内省にはいり,式部官,会計審査官などを歴任。夏目漱石(そうせき)に師事し,「ホトトギス」に投句。明治41年高浜虚子のあとをうけて「国民新聞」俳壇選者となる。大正4年「渋柿(しぶがき)」を創刊。芸術院会員。昭和39年10月28日死去。86歳。東京出身。京都帝大卒。本名は豊次郎。著作に「俳諧(はいかい)道」「黛(まゆずみ)」など。
【格言など】絶壁に眉つけてのむ清水かな(「東洋城全句集」)
                                                          
     
    
        
    出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
	
    
  
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                    松根東洋城
まつねとうようじょう
        
              
                        [生]1878.2.25. 東京
[没]1964.10.28. 東京
俳人。本名,豊次郎。第一高等学校,東京大学を経て 1905年京都大学仏法科卒業。中学時代から夏目漱石に師事して『ホトトギス』に参加。高浜虚子の小説転向に際し『国民新聞』俳壇の選者を受継ぎ (1908) ,『新春夏秋冬』 (4巻,08~15) を刊行,さらに俳誌『渋柿』を創刊 (25) 。著書に『漱石俳句研究』 (25) ,『渋柿句集』 (4巻,33) ,『俳諧道』 (38) などがある。
                                                          
     
    
        
    出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
	
    
  
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                    松根 東洋城 (まつね とうようじょう)
        
              
                        生年月日:1878年2月25日
明治時代-昭和時代の俳人。「渋柿」主宰
1964年没
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
	
    
  
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