精選版 日本国語大辞典 「柴田雄次」の意味・読み・例文・類語
しばた‐ゆうじ【柴田雄次】
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化学者。東京で薬学者柴田承桂(しょうけい)の次男に生まれる。1907年(明治40)東京帝国大学理科大学化学科卒業、1910年同大学講師、同年渡欧。ライプツィヒ大学のハンチ、チューリヒ大学のウェルナー、パリ大学のユルバンGeorge Urbain(1872―1938)に錯塩化学、分光化学などを学び、1913年(大正2)帰国。同年理科大学助教授となり、1919~1942年(昭和17)同教授を務めた。1942年名古屋大学初代理学部長となり、1948年(昭和23)退官。東京都立大学総長(1949~1972)、日本学士院院長(1962~1972)を歴任した。イギリスの分光分析装置を持ち帰り、金属錯塩やフラボン族色素の吸収スペクトルを系統的に研究、また兄桂太(けいた)とアントシアンによる花色変異や金属錯塩の酵素的作用を研究、日本の分光化学の基礎を築いた。東洋産含希土類元素鉱物の化学的研究を行い、日本の地球化学を創始し、古文化財の化学的研究も行った。広い視野をもち多数の化学者を育てた。1927年(昭和2)「金属錯塩の分光化学的研究」で学士院恩賜賞を受賞。著書に『分光化学』(1921)、『金属錯塩』(1929)、『無機化学Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』(1936、1940、1951)、『歌稿詩稿』(1969)などがある。
[道家達將]
『田中実著『日本の化学と柴田雄次』(1975・大日本図書)』
明治~昭和の日本の化学者.東京に生まれる.兄の柴田桂太は植物学者.1907年東京帝国大学理科大学化学科を卒業し,大学に残り,講師に就任.1910~1913年ヨーロッパに留学.帰国後,化学科無機化学講座助教授となり,1919年教授に昇任.錯塩化学(金属錯塩の酸化酵素的酸化還元作用),生化学(植物色素の吸収スペクトル分析で兄と共同研究),地球化学(発光スペクトルを利用した日本の含希土類元素鉱石の化学的研究),古文化財研究などの研究がある.とくに地球化学で,その分野名の提唱をはじめ,その初期の導入に貢献した.名古屋帝国大学理学部の創設に携わり,東京都立大学の初代総長(1948~1957年)や日本学士院院長(1962~1970年)などを歴任した.作曲家・音楽評論家の柴田南雄(1916~1996年)は息子.
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…1893年A.ウェルナーが立体構造を考えて初めて異性現象を説明し,錯体化学(錯塩化学あるいは配位化学ともいう)の基礎を築いた(〈配位説〉の項参照)。ウェルナーの研究室で1911‐12年に研究した柴田雄次が帰国後,錯体の吸収スペクトルを系統的に研究したのが日本における錯体化学の始まりである。 配位子には配位原子を1個だけしかもっていないもの(単座配位子あるいは一座配位子)と,複数個もつもの(多座配位子)とがある(錯体中での配位原子の位置を配位座とよぶ。…
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