精選版 日本国語大辞典 「核不拡散条約」の意味・読み・例文・類語
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正式には「核兵器の不拡散に関する条約」。核拡散防止条約ともいう。略称NPT。1960年のフランスの最初の核実験に続いて中国の実験も予想されるようになり、さらに西ドイツなどへの核拡散も懸念されたため、アメリカ、ソ連が1964~1965年ごろから軍備管理の主要課題として取り上げ始めた。最初に米ソ交渉によって条約草案を作成し、その後非核兵器国との交渉を行ったが、大きな修正はないまま、1968年6月12日国連総会本会議でこの条約の推奨決議が採択された。米ソの批准書寄託が完了した1970年3月に発効した。加盟国は2010年6月時点で、190か国。
この条約は、アメリカ、ソ連(1991年のソ連解体後はロシア)、イギリス、フランス、中国を核兵器国と規定し、第1条で、これら核兵器国が非核兵器国に核兵器、その他の核爆発装置、その管理、あるいはその製造の援助を与えないこと、第2条で、非核兵器国が核兵器、その他の核爆発装置、その管理の受領、あるいはその製造について援助を受けてはならないこと、第3条で非核兵器国が義務の履行を確実にするため国際原子力機関(IAEA)と査察を含む保障措置協定を結ぶことを義務づけている。第4条は締約国の原子力平和利用が奪いえない権利であること、また第6条では締約国が核軍縮条約に向けて誠実に交渉を行うことを規定する。この条約の主たるねらいは第2条のいわゆる「横の核拡散」(核兵器国の増加)防止にある。この意味で冷戦時代にはこの条約は米ソ体制の法的な枠組みと性格づけられた。発効後5年ごと(1975年~)に条約の運用検討会議(当初は「再検討会議」とよばれたが、2000年前後からこの呼称が一般化)が開催されている。この会議の大きな焦点は「横の核拡散」禁止の義務を負う非核兵器国と、「縦の核拡散」(核軍備の増強)を続ける核兵器国の対立である。第6条に規定される核軍縮の遅れに不満を強める非同盟諸国などは、縦・横の拡散防止措置を連動させることを主張して毎回核兵器国と鋭く対立したが、冷戦期には核兵器国の譲歩はほとんど得られなかった。冷戦の終結期になり中距離核戦力全廃条約(1987)、第一次戦略兵器削減条約(START‐Ⅰ、1991年調印)など核軍縮の方向が見えたこと、並行して拡散が懸念されていたアルゼンチン、南アフリカ共和国などのほか、米ソ支配を嫌って未加盟だったフランス、中国も加盟し、NPT体制は強化されたかにみえた。
しかし冷戦終結後この条約は新たな挑戦を受けた。湾岸戦争(1991)後の査察でNPT加盟国であるイラクの核開発が発覚した。直後に北朝鮮の核開発疑惑も浮上し、さらにリビア、イラン、シリアなどが続くことが懸念されたのである。アメリカはじめ主要国はNPT体制の強化に動き、条約期限満了を迎えた1995年の運用検討・延長会議でNPTは無期限延長された。軍事転用防止の保障措置体制を強化するため、IAEA査察を核物質を扱わない未申告施設などに拡大し、核活動に伴う放出同位元素採取(環境サンプリング)などを可能にするモデル追加議定書(INFCIRC/540、1997年)も作成された(2009年1月、88か国加盟)。しかし決意して核開発に踏み出す国家にはNPT強化で対処することはむずかしい。湾岸戦争以来大量破壊兵器開発を阻止する国連査察が続いたイラクでは、査察への非協力を一つの理由に2003年、アメリカ中心の有志連合軍が進攻、サダム・フセイン政権を倒した。北朝鮮問題では1993年に米朝協議、2003年に米中朝協議を経て日本、韓国、ロシアを加えた六者会合の場が設けられた。また2002年8月にウラン濃縮が暴露されたイランに対してはイギリス、フランス、ドイツ(EU3)、ついで2006年安全保障理事会制裁が検討される段階からはアメリカ、ロシアを加えた6か国(安全保障理事会常任理事国P5+ドイツ)の枠組みが設けられ、対応は個別の交渉枠組みと国連安保理へと移った。しかし安保理による制裁はNPTを超える義務(ウラン濃縮放棄)をイランに負わせる画期的なものであるが、NPT第4条に基づいて平和利用を主張するイランの濃縮活動に歯止めをかけることはできていない。北朝鮮も2003年にNPT脱退を宣言、2006年、2009年には核実験を行った。
もう一つの大きな挑戦は、1998年にNPT未加盟のインドとこれに対抗するパキスタンが核実験を行ったことである。未加盟国にNPTで対処することはできないが、5か国を核兵器国と規定するNPTの基盤を揺るがすできごとではあった。当初は非難し制裁を課した国際社会は、アメリカにおける「9・11同時多発テロ」、アフガニスタン戦争の後には態度を変え、アメリカはインドの平和利用分野にIAEA保障措置を適用するとしたうえで、2008年にインドと原子力協力協定を締結した。それ以降ロシア、フランス、カナダ、カザフスタン、韓国が続き、さらに日本も原子力協力のための作業グループを立ち上げ、インドを事実上の核兵器国として認知する流れができつつある。これに対し2010年6月、中国はパキスタンに2基の原子炉を輸出することを明らかにした。原子力供給国グループ(NSG)が反対しているとはいえ、印パ選別の論理をつくるのはむずかしく、長期的にはこの問題も核不拡散体制に深刻な影響を与えるであろう。
このような厳しい挑戦の下で、2010年5月に8回目の運用検討会議が開かれた。前回2005年には手続問題に手間どったうえ、アメリカのブッシュ政権が核軍縮には意欲をみせない一方でウラン濃縮・プルトニウム再処理施設・技術の新規取得禁止などを主張して非核兵器国の反発を買い、最終文書を採択できなかったため今回は危機感があった。オバマ政権は「核なき世界」演説(2009年4月)に続き、アメリカ、ロシアの新戦略兵器削減条約調印(新START条約、2010年4月)、核戦力の削減と役割低下の姿勢を表明(核戦力態勢見直し(NPR)2010年4月)、準備を整え会議に臨んだ。条約の運用検討については議長作成の文書に留意がなされ、行動計画が採択されたことで危機にあるNPT体制はひとまず救われた。行動計画には、核廃絶の「明確な約束」(2000年最終文書)の再確認、核兵器国は核軍縮措置を検討し2014年の運用検討会議準備会合に報告、締約国には追加議定書への加盟の奨励、また2012年に中東非大量破壊兵器地帯設置の国際会議を開催することへの支持、などが盛り込まれた。しかし困難な問題を先送りしており、核不拡散体制強化に進展があったとはいえない。冷戦後20年間の動向は、時代環境が条約作成時とはさま変わりし、核不拡散問題はNPT体制を維持しながら、制度外での外交枠組み、危機管理体制、地域的な制度、安全保障理事会の活用、など多元的な補完体制に依存せざるをえない時代を迎えたことを示している。
[納家政嗣]
『納家政嗣・梅本哲也編『大量破壊兵器不拡散の国際政治学』(2000・有信堂高文社)』▽『浅田正彦・戸崎洋史編『核軍縮不拡散の法と政治』(2008・信山社出版)』▽『岩田修一郎著『核拡散の論理』(2010・勁草書房)』
(坂本義和 東京大学名誉教授 / 中村研一 北海道大学教授 / 2007年)
(渥美好司 朝日新聞記者 / 2008年)
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…原子力産業の発展は必然的にこれらの特殊核物質の世界的拡散を生ずることとなり,原子力技術情報の拡散とあいまって,それらが軍事転用される危険が生ずることとなる。それを防ぐことを目的とする条約が核不拡散条約であり,それを批准した国々では国際原子力機関との間で保障措置協定を結び,自国の原子力産業に対する査察を認めることとなる。米ソ両大国の合意のもとに成立したこの条約は,両大国の核軍拡をまったく規制することなく,他の国々が核兵器を持つことを防止し,かつ原子炉等の輸出なども妨げないという矛盾に満ちた内容をもっている。…
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