桂文枝(読み)カツラブンシ

デジタル大辞泉 「桂文枝」の意味・読み・例文・類語

かつら‐ぶんし【桂文枝】

上方落語家
初世)[1819~1874]江戸後期から明治の落語家。大坂の人。「三十石」を得意とし、上方落語中興の祖と称される。
(5世)[1930~2005]大阪の生まれ。本名、長谷川多持。音曲入りを得意とし、上方落語の復興尽力。当たり芸に「立ち切れ線香」「たこ芝居」など。

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世界大百科事典 第2版 「桂文枝」の意味・わかりやすい解説

かつらぶんし【桂文枝】

落語家。(1)初代(1819‐74∥文政2‐明治7) 俗に藤兵衛という。上方の3代桂文治門下。上方落語の代表的演目三十石(さんじつこく)》は彼の作といわれ,得意の演目でもあった。幕末の上方落語界の重鎮。(2)2代(1844‐1916∥弘化1‐大正5) はじめ桂万光(まんこう)に入門して南光,のち立川三光門下となって三木助(桂三木助)となり,のち初代桂文枝の門に転じて文三(ぶんざ)から2代襲名。還暦の際に,弟子の桂小文枝に3代目をゆずって桂文左衛門改名

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世界大百科事典内の桂文枝の言及

【落語】より

…円朝が江戸落語の完成者とすれば,円遊は近代落語の祖ともいえよう。 上方では,幕末の落語界を牛耳っていた林家派に対して桂派が台頭し,桂文枝(ぶんし)襲名をめぐる争いから2代桂文都(ぶんと)(1844‐1900)を中心とする浪花三友(なにわさんゆう)派が生まれ,2代文枝を中心とする桂派との競争によって黄金時代を迎えていた。
[落語研究会結成]
 1897年に春錦亭柳桜が,1900年に円朝,燕枝が死去した東京落語界は,円朝没後の三遊派を統率していた4代円生をも04年に失い,上方落語界の隆盛ぶりを見るにつけても善後策をたてねばならなかった。…

※「桂文枝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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