桓武平氏(読み)カンムヘイシ

デジタル大辞泉 「桓武平氏」の意味・読み・例文・類語

かんむ‐へいし〔クワンム‐〕【桓武平氏】

桓武天皇の子孫で、たいらの姓を賜った家系。中でも葛原かつらばら親王の孫高望王たかもちおうの流れが有名で、伊勢平氏北条氏・畠山・千葉・三浦・梶原などの諸氏を輩出。

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精選版 日本国語大辞典 「桓武平氏」の意味・読み・例文・類語

かんむ‐へいしクヮンム‥【桓武平氏】

  1. 桓武天皇の賜姓皇子の子孫。なかでも葛原親王流(のち高棟王流と高望王流)が有力。高望王は桓武天皇の玄孫のため寛平元年(八八九)に平姓を賜い、上総介に叙任。子孫は東国地方に土着し豪族となる。伊勢平氏や北条・土肥・畠山・三浦・和田・梶原などは、この類族である。

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改訂新版 世界大百科事典 「桓武平氏」の意味・わかりやすい解説

桓武平氏 (かんむへいし)

賜姓平氏のうち桓武天皇の皇子・皇孫に系譜をもつものの称。桓武平氏に葛原(かつらはら)親王流・万多(まんだ)親王流・仲野親王流・賀陽(かや)親王流などがあり,さらに葛原親王流も高棟(たかむね)王流と高望(たかもち)王流とに分かれる。しかし,一般にはこれらの諸流のうちとくに高望王流の平氏を桓武平氏という場合が多い。

葛原親王の子高見王(高棟王の弟)の子が高望王で,彼は889年(寛平1)8月に平姓を与えられ,上総介になったことから,その子孫が東国地方に繁衍(はんえん)する基が開かれた。平高望の諸子はいずれもこの地方に勢威をふるい,それぞれの子孫が10~11世紀に東国地方の土着の豪族として勢力をひろげ,また武士化していった。現存の《尊卑分脈》以下の諸系図によれば,高望の長子国香は常陸大掾・鎮守府将軍に任命され,その弟良兼は下総介,良文は武蔵守,良持は下総介,良茂は常陸少掾・下総介に任命されているが,彼らはそれぞれ独立して土地を開発し農業経営を行って農民支配を拡大するとともに,律令的社会秩序の弛緩という時代の趨勢の中で武力を組織していった。この各家々の独立的傾向は,その子孫の間でやがて一族間の対立・内紛をひき起こす。その内紛が拡大して国家権力への反乱という現象をも惹起した。国香が良将の子将門に討たれたことを契機にいわゆる平将門の乱が勃発し,また1028年(長元1)には平良文の孫忠常が反乱をおこしている。これらが桓武平氏に系譜をもつ東国豪族層の武士化の初期的現象であるといえよう。当時このような武力の担い手を一般に兵(つわもの)と呼称したが,将門やこれを討滅した貞盛(国香の子)をはじめ,村岡五郎良文・忠常あるいは貞盛の弟繁盛,その子の余五将軍維茂などはこの時代の名だたる兵であった。

 こうして東国では主として桓武平氏一族に系流をもつ在地の豪族的武士の成長が見られるが,忠常の乱を平定した源頼信の活躍,そしてそののち奥州におこった前九年・後三年の役に際して源頼義・義家が東国武士を積極的に組織していったことなどを機会に,東国の桓武平氏の一族の多くは清和源氏を棟梁としてその武的組織の下に結集されていった。高望流桓武平氏の系統で東国の豪族的武士として発展した主要なものは次のとおりである。(1)国香の子孫は貞盛流と繁盛流の二つに分かれる。貞盛流からは伊豆国の北条氏や伊勢国の伊勢平氏が成立し,繁盛流からは出羽国の城氏や常陸国の豊田氏が出た。(2)良文の子孫は武蔵,相模,上総,下総の国々に繁衍し,12世紀後半から活躍する東国の在地武士の主要なもの,すなわち中村,土肥,村岡,秩父,江戸,畠山,小山田,渋谷,葛西,豊島,稲毛,河越,土屋,野与,村山,上総,千葉などの諸氏が出た。(3)良茂の子孫は主として相模国の有力武士となり三浦,和田,鎌倉,長尾,梶原,大庭の諸氏があらわれた。のちにこれら東国地方にひろまった桓武平氏のうち,千葉,上総,三浦,土肥,秩父,大庭,梶原,長尾を坂東八平氏といい,また相模の三浦氏,上総の上総氏,下総の千葉氏がそれぞれの国の介を代々世襲したところから,とくに平氏の三介(さんすけ)と呼んだりしている。ただしこれらの称呼はかなり通俗的なもので,その勢力比較にしても歴史的根拠は薄弱である。おそらくは室町時代以後につくられた称呼であろう。

つぎに桓武平氏の主流として歴史の舞台に登場するのが伊勢平氏である。これは貞盛の子維衡(これひら)を祖とするもので伊勢・伊賀地方を本拠地として在地に勢力を張って武士団的な同族組織を形成した一族であるが,やがて清和源氏とくに河内源氏に対立する武門,武士の棟梁として地位を得た。12世紀はじめの院政創始期に維衡の曾孫正盛が白河院との結びつきを強め,また源義親の謀反のとき因幡守としてその追討に当たり,出雲国でこれを討滅して武名をあげ,さらに但馬備前,讃岐など西国諸国の国守を歴任し,その間に海賊の平定に武功をあげたことに始まる。ついでその子忠盛も西国の諸国守を歴任するとともに海賊追伐で名をあげ,瀬戸内海沿岸に勢力をひろめ,その家は大いに富裕となり,白河・鳥羽両院の寵を得て,ついに内の昇殿をゆるされ,貴族社会の中に大きな地歩を得た。さらにその子清盛も安芸守など西国の国守となり西国の勢力地盤を強化するとともに,保元・平治の乱に戦功をあげ,それを契機として急速に中央政界での地歩をかため,その官位も累進してついに太政大臣になった。その一門の人々も枢要な官職を占めて政権を独占,ここに平氏政権の時代を現出した。この時点で伊勢平氏の系統が桓武平氏の主流,その代表的系統とされるに至った。清盛はさらに天皇の外戚となり,一門の栄華はここに極まったが,1180年(治承4)の源頼朝の挙兵に代表される反平氏行動による内乱が起こり,清盛の病死ののち宗盛以下一族は,頼盛の系統のみを残して没落した。なお高棟流桓武平氏からは,清盛の正室時子およびその兄弟の時忠が出た。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「桓武平氏」の解説

桓武平氏
かんむへいし

桓武天皇から出た平氏の一族。第5皇子葛原(かずらわら)親王の系統の高棟(たかむね)流と高望(たかもち)流が最も栄えた。親王の子高棟王の一流は公家として発展し,子孫から烏丸(からすまる)・安居院(あぐい)・西洞院(にしのとういん)などの諸家がわかれた。一方高望流は武家として繁栄。葛原親王の孫で,高見王の子平高望は上総介となって関東に下向し土着。子孫から北条・千葉・上総・秩父・三浦・土肥(どひ)・大庭(おおば)・梶原などの坂東平氏の各流がうまれた。さらに坂東平氏の一部が伊勢国に進出し,伊勢平氏となった。伊勢平氏の正盛・忠盛・清盛の3代は院に登用されて中央政界に進出。清盛のとき全盛を築いたが,源氏に滅ぼされ,清盛の弟頼盛流のみが宮廷貴族として残った。坂東平氏は前九年・後三年の役以来源氏と関係が深く,鎌倉幕府の有力御家人となった者が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「桓武平氏」の意味・わかりやすい解説

桓武平氏
かんむへいし

桓武天皇の4皇子の子孫で平姓を与えられたもの。葛原(かつらばら)親王の流れがもっとも活躍し、のち平高棟(たかむね)、高望(たかもち)の2系統に分かれる。高棟の子孫は中央貴族となり、高望系に将門(まさかど)、伊勢(いせ)平氏(正盛・忠盛(ただもり)・清盛)、坂東(ばんどう)八平氏、北条氏がある。

[編集部]

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旺文社日本史事典 三訂版 「桓武平氏」の解説

桓武平氏
かんむへいし

桓武天皇の賜姓皇子の子孫
葛原 (かづらはら) 親王流(のち高棟王流と高望王 (たかもちおう) 流に分かれる)・賀陽 (かや) 親王流・万多 (まんだ) 親王流・仲野親王流の4流あるが,高望王の子孫が武家として栄えた。平氏の全盛を築いたのは伊勢平氏の正盛・忠盛・清盛3代で,その滅亡後は頼盛の子孫のみが宮廷貴族として残った。北条・三浦・和田・梶原・土肥・畠山・千葉・河越などの東国の諸氏も平氏の流れであるが,平安末期以来源氏と関係が深く,鎌倉幕府の御家人として幕府の中枢で活躍した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桓武平氏」の意味・わかりやすい解説

桓武平氏
かんむへいし

桓武天皇賜姓平氏をいう。葛原親王流,賀陽親王流,万多親王流,仲野親王流に分れ,さらに葛原親王流には高棟王流と高望王流とがある。このうち武士として関東地方や伊賀,伊勢に発展したのは,高望王の諸流派である。

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百科事典マイペディア 「桓武平氏」の意味・わかりやすい解説

桓武平氏【かんむへいし】

平氏(へいし)

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世界大百科事典(旧版)内の桓武平氏の言及

【坂東八平氏】より

…平安時代後期以降,関東八ヵ国の各地に蟠踞(ばんきよ)した桓武平氏姓の武士団の総称。相模の桓武平氏良茂流の(1)大庭(おおば)氏(高座郡大庭御厨),(2)梶原氏(鎌倉郡梶原郷),(3)長尾氏(同郡長尾村),同じく良茂流の(4)三浦氏(御浦郡),および桓武平氏村岡五郎良文流の(5)中村氏(余綾郡中村荘,のち土肥(どひ)氏土屋氏,二宮氏を分出),武蔵の良文流の(6)秩父氏(秩父郡,のち小山田(おやまだ)氏葛西(かさい)氏河越(かわごえ)氏豊島(としま)氏畠山氏などを分出),上総の同じ良文流の(7)上総氏(埴生郡),上総氏と同族で下総の(8)千葉氏(千葉郡千葉荘),以上の8氏をいう。…

【平氏】より

…平安前期の皇族賜姓の一つ。桓武(かんむ)平氏,仁明(にんみよう)平氏,文徳(もんとく)平氏,光孝(こうこう)平氏の4流がある。桓武平氏は桓武天皇の子・孫で平姓を得た一流をいう。…

※「桓武平氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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