日本歴史地名大系 「桝屋町」の解説
桝屋町
ますやちよう
桝屋町
ますやちよう
桝屋町
ますやちよう
桝屋町
ますやちよう
桝屋町
ますやちよう
桝屋町
ますやちよう
桝屋町
ますやちよう
桝屋町
ますやちよう
桝屋町
ますやちよう
桝屋町
ますやちよう
上京区笹屋町通大宮西入
東西に通る
寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「舛屋丁」と出、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「升屋町」と記される。京都御役所向大概覚書によれば、当町に町絵師がいた。また、近江屋喜兵衛の弟子で当町にいた近江屋とくが年季があけて慶応二年(一八六六)「縮ミ縮緬仲間」に入った時の文書「株加入一札之事」(「諸証文之扣」西陣織物館蔵)によれば、仲間への加入料は銀三枚、酒二升二樽であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報