日本大百科全書(ニッポニカ) 「森近運平」の意味・わかりやすい解説
森近運平
もりちかうんぺい
(1881―1911)
明治期の社会主義者。明治14年1月20日岡山県に生まれる。県立農学校卒業後、県庁などに勤務するが、1904年(明治37)週刊『平民新聞』の読者会として岡山いろは倶楽部(クラブ)を結成、免官となる。05年大阪平民社を創設後、上京して平民舎ミルクホールを経営、6年2月日本社会党の結党に参加し評議員兼幹事となる。07年宮武外骨(みやたけがいこつ)の援助で『大阪平民新聞』を創刊(のち『日本平民新聞』と改題)、幸徳秋水(こうとくしゅうすい)や堺利彦(さかいとしひこ)らが寄稿し、直接行動派の機関紙の観を呈する。8年6月の赤旗事件後に再度上京、幸徳方に同居して活動を続けるが、同志と対立し、翌年帰郷、温室栽培による高等園芸と農村の改善に従う。幸徳や大石誠之助(せいのすけ)と大逆(たいぎゃく)を謀議したなどの容疑で大逆事件に連座、明治44年1月24日死刑となる。
[荻野富士夫]
『吉岡金市著『森近運平』(1961・日本文教出版)』▽『天津克子著『父上は怒り給いぬ』(1972・関西書院)』