植松有信(読み)うえまつ・ありのぶ

朝日日本歴史人物事典 「植松有信」の解説

植松有信

没年:文化10.6.20(1813.7.17)
生年:宝暦8.12.4(1759.1.2)
江戸後期の国学者,板木師。名古屋(尾張)藩士植松信貞の第5子。通称市九郎,のち忠兵衛。松蔭と号す。17歳のとき父が浪人名古屋城下の板木師となった。本居宣長の名著古事記伝』の板刻作業に携わり,寛政1(1789)年宣長の名古屋来訪の際入門し,鈴屋の学問を鋭意体得。『玉勝間』『鈴屋集』など師の著を自ら多く彫刻した。尾張の宣長一門と宣長を結ぶ接点としての活躍ぶりは,宣長の書簡などに窺える。師の没後に本居春庭に再入門。著書のうち,宣長の追悼記録である『山室日記』(1850)が有名。<著作>植松茂彦・植松茂編『植松有信遺文集』

(ロバート・キャンベル)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版 「植松有信」の意味・わかりやすい解説

うえまつありのぶ【植松有信】

1754‐1813(宝暦4‐文化10)
江戸中期の国学者。尾張名古屋の人。通称忠兵衛,号は松蔭。その家はもと武士であったが父の代に浪人となり,版木業を営む。1789年(寛政1)本居宣長が初めて名古屋にきたとき対面しその門人となる。師から厚く信頼され,《古事記伝》をはじめ多くの師の著書の刊刻をまかされた。著書に《土佐日記冠註》《形喰草》《長閑日記》などがあるが,宣長が死去したとき9日間その奥つ城(おくつき)を離れず朝夕墓前に仕え,それを《山室(やまむろ)日記》としてしたためたことは有名である。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「植松有信」の解説

植松有信 うえまつ-ありのぶ

1759*-1813 江戸時代後期の国学者。
宝暦8年12月4日生まれ。名古屋の版木師。「古事記伝」の板刻にたずさわったのち,寛政元年本居宣長(もとおり-のりなが)に入門した。宣長との関係はふかく,その京都,和歌山行きにもしたがっている。文化10年6月20日死去。56歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。通称は市九郎,忠兵衛。号は松蔭。著作に「山室日記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「植松有信」の解説

植松有信 (うえまつありのぶ)

生年月日:1758年12月4日
江戸時代後期の尾張藩士;国学者;板木師
1813年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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