デジタル大辞泉 「検校」の意味・読み・例文・類語
けん‐ぎょう〔‐ゲウ〕【検▽校/×撿×挍】
2 社寺で、事務を監督する職。また、一寺の上位者で衆僧を監督する者。
3 荘園の役人の一。平安・鎌倉時代に置かれた。
4 室町時代以降、盲人に与えられた最高の官名。専用の頭巾・衣服・杖などの所持が許された。建業。
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検挍とも書く。点検典校の意から、中国では経籍(けいせき)をつかさどる官名などに用いる。日本では、事務を検知校量することから、平安・鎌倉時代の荘官(しょうかん)の職名に用いられた。しかし、とくに僧職の名として用いられる場合が多く、寺社の事務を監督する職掌をいう。常置の職としては、896年(寛平8)東寺の益信(やくしん)が石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)検校に任ぜられたのが初出で、高野山(こうやさん)、熊野三山、無動寺などにおいても、一山を統領する職名であった。法会(ほうえ)や修理造営の行事を主宰する者の呼称としても用いられる。中世には盲目の琵琶法師(びわほうし)仲間(当道(とうどう)座)の長老も検校とよばれ、『師守(もろもり)記』貞治(じょうじ)2年(1363)条の「覚一(かくいち)検校」が初見とされる。江戸時代には当道座が幕府によって認められ、惣(そう)検校の下に検校・別当・勾当(こうとう)・座頭(ざとう)などの官位があった。また、江戸には関八州の盲僧を管轄する惣録(そうろく)検校も置かれた。平曲のほか地歌、箏曲(そうきょく)、鍼灸(しんきゅう)、按摩(あんま)などに従事する者で官位を目ざす者は試験を受け、多額の金子(きんす)を納めてこの職名が授けられた。
[石川力山]
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社寺やその行事を総裁する名誉職的な僧職。本来は経律や伽藍造作の調査の意味だったが,初唐以降しだいに僧職名として定着。日本では「文徳実録」斉衡2年(855)9月28日条の「修理東大寺大仏司検校」,貞観3年(861)3月14日付「供養東大寺盧舎那(るしゃな)大仏記文」の「僧行事検校」などが初例。これらは臨時の職だったが,896年(寛平8)益信(やくしん)を八幡検校に任じた例などを初見として,金剛峰寺・熊野三山・無動寺・平等院・金峰山(きんぶせん)・石清水八幡・春日・日吉・鹿島・祇園等の社寺に常設されるに至った。この他「塵添壒嚢鈔(じんてんあいのうしょう)」14所引の「東大寺縁起」に聖宝(しょうぼう)が任じられた「七大寺惣検校」の名がみえるが,これも名誉職的なものとみられる。
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…その芸能が〈平曲〉としてとくに武家社会に享受され,室町幕府の庇護を受けるに及んで,平曲を語る芸能僧たちは宗教組織から離脱して自治的な職能集団を結成,宗教組織にとどまっていた盲僧と区別して,みずからを当道と呼称した。覚一(かくいち)検校(1300?‐71)の時代に至って,組織の体系化が行われ,当道に属する盲人を,検校,勾当(こうとう),座頭などの官位に分かち,全体を職(しよく)または職検校が統括し,その居所である京都の職屋敷がその統括事務たる座務を行う場所となった。さらに,仁明天皇の皇子で盲人の人康(さねやす)親王を祖と仰ぐなどの権威づけを行い,治外法権的性格を持つに至った。…
…如一は《平家物語》の詞章の改訂に着手したが,その弟子で〈天下無雙(むそう)の上手〉といわれた明石覚一(あかしかくいち)(?‐1371)はさらに改訂・増補を重ね,〈覚一本〉とよばれる一本を完成し,一方流平曲の大成者として以後の平曲隆盛の基盤をつくった。このころ,平曲を語る盲人たちは,〈当道(とうどう)〉という座を結成し,お互いの縄張りを確保するようになるが,覚一は文献上最初の検校(当道座の最高位)であり,当道の祖といわれる。覚一以後,平曲は最盛期を迎え,平曲家の増大にともなって一方流が妙観,師道,源照,戸嶋の4派,八坂流が妙聞,大山の2派に分かれた。…
…この平曲の座は天夜尊(あまよのみこと)(仁明あるいは光孝天皇の皇子人康(さねやす)親王ともいう)を祖神とする由来を伝え,祖神にちなむ2月16日の積塔(しやくとう),6月19日の涼(すずみ)の塔に参集して祭祀を執行した。座内には総検校以下検校(けんぎよう),勾当(こうとう),座頭(ざとう)の階級があり,座衆は師匠の系譜によって一方(いちかた),城方(じようかた)の平曲2流に分かれていた。権門を本所(ほんじよ)として祭事を奉仕し,その裁判権に隷従するのは他の諸芸能の座と同様であるが,本所の庇護と座衆の強い結束によって彼らは諸国往来の自由を獲得し平曲上演の縄張を広げ,室町時代に平曲は最盛期を迎えた。…
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