ある表現行為がなされるに先だって、公権力とりわけ行政権が、表現の内容を事前に審査し、不適当と判断する場合にはその表現行為を禁止する制度。書籍、新聞、雑誌、映画、放送など、社会的影響力の大きいマス・メディアに対して行われるのが通例であるが、戦時や戒厳令布告時などの緊急事態下においては、郵便で送られる個人の信書についても検閲が実施されることがある。検閲は、一般には、政治的あるいは宗教的権威に批判的な表現や治安を乱すおそれのある表現が社会に流布されることを未然に抑止し、支配体制の安定を図る目的でなされるが、軍の兵力・装備や作戦など軍事機密の保護のためになされることもある。また、性風俗など社会の道徳秩序を維持するという目的で検閲が行われる例も多い。検閲の方法は、まず、外部に対して表現内容の伝達がなされる以前の段階で、原稿や校正刷り、あるいは脚本、台本などを関係機関に提出することを義務づけ、その内容を審査する。そして、審査の結果不適当と判断される表現がある場合には、その一部または全部について印刷や発売、上映を禁止する行政上もしくは司法上の措置がとられ、問題の箇所の修正や伏せ字化が促される。書物の発売、輸入、所蔵、閲覧の禁止など禁書についての詳細は「禁書」の項を、出版物の発売頒布に対する処分については「発禁」の項を参照されたい。
[浜田純一]
事実上の検閲は政治権力の歴史とともに古くから存在してきたと考えられるが、「検閲は書籍印刷術の発明と同時に生まれた」ともいわれるように、印刷という表現の大量伝達手段の登場によって、検閲制度の整備が必要とされるようになった。最初の本格的な検閲制度としては、宗教対立の渦中で1542年にローマ教皇パウロ3世が、反カトリック的な出版物を取り締まるために、異端審問所の許可を経ない書籍の発行・流布を禁止した例が有名である。イギリスではチューダー朝の絶対王政下の1586年に、最高司法機関であった星室庁が印刷条例を定め、事前検閲を実施した。星室庁は1641年に長期議会により廃止されたが、今度は議会内に検閲機関を設置することにより、事前検閲制度は継続された。ミルトンが『アレオパジティカ――許可なくして印刷する自由のためにイギリス議会に訴える演説』(1644)を著して検閲制度の廃止を要求したのは、この時期のことである。このなかでミルトンは、人間は理性により正邪善悪を区別することができるのであり、個人の自由な判断を差し置いて、国家が読むもの、書くものを規制するのは、「自由で怜悧(れいり)な精神をもつ人にとっては加えられうる最大の不快事であり侮辱である」と述べた。その後、王政復古により国王の検閲制度が復活されたが、名誉革命後の1695年に至って、検閲制度は最終的に廃止された。こうした考え方は、近代憲法に共通の価値観として定着していくことになった。
[浜田純一]
日本では、幕藩体制の下で草稿検閲制が実施されており、明治政府も当初はこれを受け継いだが、1893年(明治26)の出版法(1887年の出版条例を改正)および1909年(明治42)の新聞紙法(1887年の新聞紙条例を改正)によって、近代的検閲制度が確立する。ここでは、内務大臣による印刷物の発売頒布禁止権限の規定が設けられた。これは、印刷物の印刷発行後、発売前の段階で内容の審査を行うもので、形式的には事後検閲にあたるが、実質的には事前検閲と同視できる効果をもっていた。また、この禁止権限を基に、ある特定の事項ないし事件を記事にして発表すること自体を禁じる記事掲載差止命令の制度が、慣行上確立されていた。大津事件(1891)や日清(にっしん)戦争(1894~95)の際には、大日本帝国憲法第8条に基づく天皇の緊急勅令によって、新聞・雑誌などに対する草稿検閲制が実施されたこともある。第二次世界大戦後の占領期間中には、敗戦後の日本における「民主主義的傾向の復活強化を図る」目的で定められたプレス・コード(「日本に与ふる新聞遵則(じゅんそく)」1945)に基づいて、連合国最高司令部(GHQ)民間検閲局による検閲が行われた。この検閲は、検閲を受けたことが一般読者には知られないような形での修正を求め、また検閲活動の状況についての報道を禁止することによって、検閲が行われていること自体を隠そうとしたことが、一つの大きな特徴である。
[浜田純一]
検閲制度は、表現活動をその源泉において抑止し、表現が社会の情報流通過程にとにかく一度は現れて、国民からの判断を受ける機会をいっさい奪うものであるから、表現の自由に対するさまざまな規制のなかでも、とくに強力な制約効果をもっている。したがって、歴史的にみても、表現の自由を獲得するための闘いは、なによりもまず検閲制度の廃止に向けられた。そして、近代民主主義の確立とともに、言論の自由に対する規制は、原則として事後的制裁に限定されるようになってきている。ただし、映画については、その社会的影響力が大きいと考えられたことから、事前検閲制度が比較的最近まで残存した。たとえば、ドイツにおける最初の民主主義的憲法であるワイマール憲法(1919)も、第118条2項で「検閲は行われない」と規定しながら、「ただし、映画については、法律によって別段の規定を設けることができる」と定めていた。また、わが国の大日本帝国憲法下においても、映画についてはとくに、映画法(1939。1925年の活動写真「フィルム」検閲規則を継承、改正)によって、明確な事前検閲制が設けられていた。日本国憲法は、表現の自由を保障した第21条2項で、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と規定しており、今日では、明白な検閲制度は存在しない。ただし、関税法および関税定率法に従って税関が行う書籍などの検査(税関検閲)や、学校教育法に基づいて文部科学大臣が実施する教科書検定、あるいは地方自治体の青少年保護育成条例に基づいて自治体首長が行う有害図書類の指定や販売規制などは、検閲にあたるとする憲法学説がある。
このほか、表現行為の主体であるマス・メディアが、法律や公権力からの介入によることなく、自らの表現活動に制約を加える、いわゆる「自主規制」が、事実上の検閲的効果をもつ場合がある。新聞や放送は、業界として自主規制機関を設け、また記事、番組の表現内容についての自主規制基準を定めているが、映画については映倫管理委員会が、映画倫理規程に基づきとくに厳格な事前の審査を行っている。自主規制は、マス・メディアがもっている社会的影響力の大きさに対応する社会的責任の一つの表現であり、国家権力による直接的な規制介入を避けながら表現内容の適正化を図りうるという側面をもつが、他方で少数の者の私的・利己的な理由に基づいて規制が行われ、国民の知る権利が縮減される危険性も含んでいる。
なお、1990年代なかばから急速に普及したインターネットは、マス・メディアとは異なり、表現の自由を実現する具体的な手段を、営利目的をもたない個人にも保障するものである。プロバイダー(インターネットへの接続事業者)に対する公的規制を通じて、インターネット上の表現に対して事前抑制的な効果を及ぼしうる場合もあるが、「通信の秘密」の保障や、電気通信ネットワークという分散的なシステムが用いられることから、これに検閲を行うことは一般的に困難である。
[浜田純一]
『J・ミルトン著、上野精一他訳『言論の自由』(岩波文庫)』▽『小野秀雄著『新聞の歴史』(1961・東京堂出版)』▽『奥平康弘著『検閲制度』(鵜飼信成他編『講座日本近代法発達史11』所収・1967・勁草書房)』
精神分析の用語としては、衝動が意識の表面に現れようとするとき、その衝動を評価し批判する機能のこと。超自我および自我は検閲の機能をもち、検閲することによってもとの衝動を意識によって受け入れることができるように変容させる。検閲の働きは夢においてもっともよく観察することができる。睡眠中には昼間と違って検閲が緩められるので、無意識的願望は意識に現れやすくなってくるが、まったく検閲が行われなくなるわけではないから、無意識的願望は検閲の目をごまかすことができるように変更され、移し換えられたり、類似のものに置き換えられ比喩(ひゆ)的に表現されたりする。修辞学の用語でいえば、換喩的、隠喩的に表現される。夢は願望の充足であるといわれるが、不安の夢や恐怖の夢のように、一見したところ願望が充足されていないようにみえるのは検閲の働きによって、無意識的願望が歪曲(わいきょく)された形で充足されているからである。検閲は一つの系(審級)から高次の系への通路に存在するもので無意識と前意識の間では抑圧として機能し、前意識と意識の間では抑制として機能している。
[外林大作・川幡政道]
『ジークムント・フロイト著、高橋義孝訳『夢判断』上下(新潮文庫)』
狭義では,言論・出版等の思想表現行為に対し,公権力が事前にその内容を検査し,不適当と認めるときは規制(発売・発行・上映・上演・放送等の禁止・変更・カット等)を加える措置をいう。しかし,発表後であっても,処罰が過酷・無原則であるため自主規制を余儀なくされる場合には,やはり実質上検閲を構成することになる。広義では,公権力のみならず,社会的に力をもつ個人や団体が同様の規制を行うことも検閲といえる。日本国憲法(21条2項)のみならず,近代憲法は原則として検閲を禁じているが,最近では,検閲行為は送り手(発表者)の自由侵害だけでなく,受け手(読者,視聴者)の知る自由を奪うものとして,絶対的に禁止すべきだ,と考えられるようになった。もっとも,建前とは別に,今日でも多くの国で検閲は依然実施されている。
権力による言論規制の歴史は古いが,近代検閲をもたらしたのは活版印刷の発明であった。迅速,大量,安価な出版手段である活版印刷は,異端・異教の伝播を恐れるローマ教皇庁に衝撃を与え,早くも1479年に印刷所監督に関する諸規定が公布された。また1524年ニュルンベルク帝国議会は検閲に関する最初の規定を作ったが,明白な命令は48年にカール5世が発した勅令(警察法規)だとされている。イギリスでは,1531年ヘンリー8世が聖職者を許可人とする最初の出版許可制度を敷いたが,1世紀余り過ぎた1644年,詩人のJ.ミルトンは《アレオパジティカ》を出版して,検閲制度をはげしく攻撃した。95年イギリス議会は出版許可法を廃止したが,その理由は,制度が有効に機能していないという実際的なものであった。検閲すなわち出版の事前抑制が,コモン・ロー上違法であることを論証したのは,18世紀の法律家W.ブラックストンである。しかし,憲法典の中で初めて検閲の禁止を規定したのは1831年のベルギー憲法だとされている。1791年に制定されたアメリカ合衆国憲法修正第1条は,言論・出版の自由を保障しているが,この条項が検閲の禁止を意味するという解釈が確立したのは,ずっと後の1931年の事件(ニア対ミネソタ州事件)からである。日本では,明治憲法下において警察や軍部の検閲が存在したが,日本国憲法は21条2項ではっきりと検閲を否定した。しかし,占領期間中は連合軍最高司令部によって,きびしい検閲が行われていた。
(1)税関検閲 関税定率法21条により,税関長は書籍,映画等の輸入に際し〈公安又は風俗を害すべき〉物品にあたるかどうかを判断できることになっている。条文上は税関長は輸入者に対し単に通知するにすぎないことになっているが,そのまま持ちこめば税関法違反に問われることが明らかであるため,実質上の検閲処分に等しい効果がある。そこで,これを税関検閲と呼び違憲とする学説が多いが,1980年3月25日,札幌地裁は限定的ながら,裁判所として初の違憲判決を行った。(2)教科書検定(教科書検定制度) 日本の小・中学校および高校は,文部大臣の検定を経た教科書または文部省著作の教科書を使用しなければならないことになっている。家永三郎は,その高校用教科書《新日本史》が不合格(1963),修正意見付合格(1964)となったことを不服として,国家賠償請求訴訟(第1次訴訟),および不合格処分取消訴訟(第2次訴訟)を起こした。1970年東京地裁は第2次訴訟につき,検定制度自体は違憲とはいえないが,本件処分は執筆者の思想内容を事前に審査する検閲にあたると判断した。しかし,74年の第1次訴訟の判決では,東京地裁は,検定制度は憲法の禁止する検閲には当たらぬ,として家永の請求をしりぞけた。第2次訴訟の控訴審(東京高裁)は憲法判断を加えず,違法な処分の理由で国の控訴を棄却したが(1975),最高裁はこの判決を破棄して原審に差し戻した(1982)。(3)デモ等の規制 書籍や映画などが行動的要素のない純表現物であるのに対し,集会や示威行進(デモ等)には表現プラス行動という特徴がある。また,これらの行動的表現は,マス・コミュニケーションに共通のメディア的要素に乏しい。一般に〈大衆表現〉と呼ばれるこれらの表現に対しても憲法の保障は及ぶが,その保障の程度はマス・メディアに比べてかなり低くなっている。最高裁は当初,デモ等の一般的許可制は違憲だとしたが,1960年の東京都公安条例事件では,集団行動による表現の自由に関するかぎり事前抑制もやむをえないものとした。これは,デモ等については検閲を認めることに等しく,学説の批判を受けている。(4)司法による事前抑制 思想表現に対する事前抑制は,ふつう行政官によって行われるが,裁判所が行う場合も検閲として禁止されるか。この点については学説上も争いがあるが,70年の映画《エロス+虐殺》事件や81年の《北方ジャーナル》事件において,裁判所はきびしい条件をつけながらも,司法による事前抑制を認める判決を行っている。これらの事件は,すべて名誉毀損やプライバシー侵害を差し止めようとする仮処分事件であるが,裁判所も公権力であることに変りはなく,安易に仮処分を認めることは許されないものと考えられる。
検閲を禁止する最も大きな理由は,情報の自由な流れを確保し民主的な社会の実現をもたらすことにある。したがって,重要な情報を握っている官公庁が不当に公開を拒否・制限したり,マスコミ機関が不必要な自主規制を行うことは,検閲に勝るとも劣らない弊害を生むことになる。一方的に情報を流して国民を操作する危険を防ぐためにも,検閲と同様,公権力やメディアの自主規制は警戒する必要がある。
→映画検閲 →教科書裁判 →言論統制 →発禁 →表現の自由
執筆者:清水 英夫
S.フロイトの用語。夢では覚醒時にくらべて無意識的内容が浮上しやすくなるが,それでも無意識的内容が前意識-意識系に到達することを禁止したり抑制する機能が働いている。この機能を検閲という。その結果,夢の歪曲が成立し,夢の意味のわかりにくさの一因となっている。この検閲という概念は,超自我の概念の理論的な先駆とみなされる。
執筆者:下坂 幸三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 図書館情報学用語辞典 第4版図書館情報学用語辞典 第5版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…狭義では,言論・出版等の思想表現行為に対し,公権力が事前にその内容を検査し,不適当と認めるときは規制(発売・発行・上映・上演・放送等の禁止・変更・カット等)を加える措置をいう。しかし,発表後であっても,処罰が過酷・無原則であるため自主規制を余儀なくされる場合には,やはり実質上検閲を構成することになる。広義では,公権力のみならず,社会的に力をもつ個人や団体が同様の規制を行うことも検閲といえる。日本国憲法(21条2項)のみならず,近代憲法は原則として検閲を禁じているが,最近では,検閲行為は送り手(発表者)の自由侵害だけでなく,受け手(読者,視聴者)の知る自由を奪うものとして,絶対的に禁止すべきだ,と考えられるようになった。…
※「検閲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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