フランスの小説家デュマ(子)の長編小説。1848年発表。マリ・デュプレシスという作者の愛人をモデルにし、主人公の回想形式をとる。椿の花を愛して椿姫とあだ名される高級娼婦(しょうふ)マルグリット・ゴーチエは、青年弁護士アルマン・デュバルのひたむきな情熱に触れて愛に目覚める。歓楽の日々を捨て、彼女はアルマンと2人パリ郊外の別荘にこもって静かな幸福に浸るが、それも長くは続かなかった。アルマンの父が彼の留守に訪ねてきて、本当に愛情があるなら彼の将来のために別れてくれと懇願する。悲痛な想(おも)いで犠牲を受け入れた彼女は、彼を捨てたと思わせて去り、以前の囲われ者の暮らしに戻る。激怒したアルマンは公衆の面前で彼女を侮辱して旅に出、彼女は絶望のあまり肺病を悪化させて死ぬ。
この救いのない結末は著者自身による劇化の際改められ、マルグリットは真相を知って駆けつけたアルマンの腕の中で死ぬことになる。初演(1852)から驚異的成功を博し、ベルディによってオペラ化され、作者の名を不朽にした。
[佐藤実枝]
この原作をもとに、イタリアの作曲家ベルディによるオペラは作者中期の傑作の一つで、三幕四場。オペラの原題はLa Traviataで、「道を踏み外した女」の意。イタリア語の台本はフランチェスコ・M・ピアーベFrancesco Maria Piave(1810―1876)で、ヒロインの名はビオレッタとされ、原作の鋭い社会体制批判は薄れ、メロドラマの色彩が強い。音楽も、レチタティーボからアリオーソへの滑らかな移行や、管弦楽による情景描写など、繊細で情感豊かな表現が特徴である。第一幕および第三幕への前奏曲、「乾杯の歌」「ああ、そはかの人か」「プロバンスの海と陸」「パリを離れて」などがよく知られる。1853年ベネチア初演。日本初演は1919年(大正8)ロシア歌劇団。
[三宅幸夫]
『『椿姫』(吉村正一郎訳・岩波文庫/新庄嘉章訳・新潮文庫)』
フランスの劇作家デュマ[子]の代表作。1848年小説として発表,翌年5幕の戯曲に改作,52年パリのボードビル座で初演。1845年ころパリの社交界に浮名を流した高級娼婦マリー・デュプレシをモデルに,その情人の一人であった作者自身の体験に基づいて構想。マルグリット・ゴーティエという名でその恋人の原型を理想化して作り上げた一種の恋愛風俗小説。プロバンス出の青年アルマンの,ひたむきで純粋な愛情に出会って,初めて真実の愛に目覚めたパリの高級娼婦マルグリットが,愛と犠牲のはざまに悩みながら波乱の生涯を終える物語。薄幸な一人の娼婦を通して一種の社会批判をも盛り込んでおり,当時名優とうたわれたサラ・ベルナールらによる上演は観客を魅了した。
パリで舞台上演に接してこの作品に共感を抱いたイタリアの作曲家ベルディは,ピアーベFrancesco Mario Piave(1810-76)の台本により《ラ・トラビアータLa traviata(道を踏みはずした女)》の題名で3幕4場のオペラを作曲,53年3月6日ベネチアのラ・フェニーチェ歌劇場で初演。内容のロマンティシズムとそれを助長する感傷的な旋律の美しさから,悲恋物語として愛好され,ベルディの中期の傑作の一つとなっている。《前奏曲》をはじめ,《乾杯の歌》,女主人公ビオレッタのアリア《ああ,そはかの人か》,恋人アルフレードの父親ジェルモンの《プロバンスの海と陸》など珠玉の名曲に溢れている。日本初演は1919年(大正8)ロシア歌劇団による。
執筆者:武石 英夫
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…あでやかで異国的なツバキは〈日本のバラ〉と呼ばれ,花木の貴族とたたえられた。フランスでも19世紀には《椿姫》の大流行でわかるように,紅白のツバキのコサージュや花束が,夜会のアクセサリーとしてもてはやされ,パリジェンヌたちの胸をときめかした。ツバキの花ことばは,このような熱狂的な背景もあって,紅ツバキには〈気どらない優美〉,白ツバキには〈完全な愛らしさ〉という最上級の賛辞が与えられたのである。…
…私生子として生まれたということが,その思想と作品の根底になっている。処女詩集を発表した後,小説《椿姫》(1848)で一躍流行作家となり,1852年には劇化して大成功を収め,翌53年にはベルディによってオペラ化された。以後,《クレマンソー事件》(1866)など小説も書いたが,役に立つ演劇を標榜して世間の偏見を攻撃し,男女の平等を叫び,子どもの権利を主張して,写実的な手法で多くの劇を書き,劇場に〈人生の断片〉を再現させて,社会・風俗劇のジャンルを確立した。…
…桐城派の古文を学び,京師大学堂(北京大学の前身)教習に任じた。フランス帰りの王寿昌が口語訳した小デュマの《椿姫》を文語化し《巴黎茶花女遺事(パリちやかじよいじ)》として1899年(光緒25)刊行したのをきっかけに,ストーの《アンクル・トムの小屋》の訳《黒奴籲天録(こくどゆてんろく)》(1901)をはじめ,各国の小説170種余りを翻訳し,〈林訳小説〉として当時の社会と文壇に大きな影響を与えた。みずからは外国語を解せず,外国語のできる助手の口語訳をもとにしているため,翻訳する作品の選択は恣意的であるが,古文家が外国の小説を翻訳したということで,中国における小説の地位を高めたほか,海外の文学の紹介という啓蒙的な役割をも果たした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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