精選版 日本国語大辞典 「正徳の治」の意味・読み・例文・類語
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6代将軍徳川家宣(いえのぶ)(在位1709~12)、7代将軍家継(いえつぐ)(在位1713~16)2代の善政をいう。おもに正徳(しょうとく)年間(1711~16)にあたるためこの称がある。
家宣の代に側用人(そばようにん)間部詮房(まなべあきふさ)と新井白石(あらいはくせき)とが将軍を助けて、内政面ではまず5代綱吉(つなよし)のときの生類憐(しょうるいあわれ)みの令を撤廃し、大赦令(たいしゃれい)で多数の罪人を許し、元禄(げんろく)年間(1688~1704)に改悪された金銀貨を家康時代の良貨に戻そうとし、裁判の公正と迅速とを期するため評定所(ひょうじょうしょ)(最高裁判所にあたる)の改革を行い、農民の騒ぎや一般庶民関係の裁判では名判決を下してその苦しみを救うなど、「仁政」(儒教の政治思想)を実現することに努めた。金銀貨改良で幕府が赤字を出したのも幕府政治に対する国民の信用を取り戻すためであった。また朝廷と幕府の共栄を図るため皇子皇女出家の廃止を進言したことがきっかけとなって閑院宮家(かんいんのみやけ)が生まれ、皇位継承が順調に運んだ事実もある。対外策としては長崎貿易制限と朝鮮使節の待遇変更とがあるが、前者では輸出入の均衡による国力の保持と金銀の海外流出防止とを図り、積極的に国産品増加をも企てたのであり、後者では日朝外交の形式の是正とあわせて、経費の大幅節約および諸大名や使節通行の沿道の民の負担軽減をも図ったのである。これらの政策は白石の立案し建議したもので、改貨、貿易制限、評定所改革など家宣の代に発足して家継の代に完成した事業が多い。そしてこれらは8代将軍吉宗(よしむね)にも受け継がれた。ただし日朝外交の体例は5代将軍のときのものが復活され、改貨事業も20年後には変更されて元禄期の方針に戻っている。
正徳の政治は文飾政治であると批評されがちであるが、白石の理想は文武並び立つことにあり、内は政府と国民との相互信頼、国民生活の安定、外は国家的体面の保持ないし国威の発揚にあったのであり、家宣在世時はそれが積極的に採用され実行されたのである。
[宮崎道生]
『栗田元次著『新井白石の文治政治』(1952・石崎書店)』▽『宮崎道生著『新井白石』(1966・至文堂)』▽『宮崎道生著『新井白石の研究』増訂版(1969・吉川弘文館)』
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
江戸中期,6代将軍徳川家宣・7代同家継の頃(宝永~正徳期)の幕府政治。側用人間部詮房(まなべあきふさ)・儒者新井白石(はくせき)らが主導した。主要な政策は,武家諸法度の改訂,朝幕関係の改善,幕領支配の刷新,通貨制度の立て直し,貿易制度の改革(正徳長崎新例),朝鮮使節に対する待遇の簡素化と称号問題の処理など。正徳長崎新例のように,その後の対外貿易のあり方を規定する政策がみられる反面,通貨政策のように儒学的理想主義を重視するあまり現実の状況に対応しきれず,むしろ混乱を招いたものもあった。かつては最も文治的な政治が具現した時代として「正徳の治」と称されたが,近年ではあまり使われなくなっている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…翌12年家宣の死後も側用人間部詮房(まなべあきふさ)とともに幼将軍家継を補佐し,通貨改良,貿易制限,司法改革などに努力した。その活躍の時期は〈正徳の治〉とも称される。しかし彼の政治論はあまり理想にすぎ,彼の性格は圭角多く他人と妥協するところがなかったので,しだいに間部詮房とともに孤立の状態となり,16年(享保1)吉宗が将軍となると政治上の地位を失い,晩年は不遇の中に著述にはげんだ。…
…1707年(宝永4)の富士山噴火の灰除(はいよけ)金48万8000両も16万両を使ったのみで財政に繰り入れ,金銀分銅もほとんど鋳つぶした。 正徳の治は勘定吟味役を再置,代官の不正をただし,大庄屋を廃止した。荻原重秀を罷免し貨幣を古制に戻して正徳金銀を鋳造,金銀海外流出防止のため15年(正徳5)長崎貿易の年額を制限した。…
…側用人間部詮房(まなべあきふさ),侍講新井白石の補佐を受け,生類憐みの令の廃止をはじめ,前代の弊政の修正に努め,あつく儒教を信奉して人民へ仁愛の施政に心がけ,儀礼の整備,勘定所機構の改革,通貨改良など諸政刷新を意図したが,在職3年余りで死去した。その治世は失政もなく,比較的平穏な時期だったので,〈正徳の治〉と称せられる。【辻 達也】。…
…09年家宣が将軍に就任すると老中格側用人に昇り,翌年高崎城主として5万石を領するに至った。詮房は侍講新井白石とともに将軍家宣を補佐し,前代の弊政改革に努め,12年(正徳2)家宣死去後も幼主家継のもとで施政に奮闘し,〈正徳の治〉と称される安定期をもたらした。しかししだいに白石とともに幕府内で孤立し,16年(享保1)8代将軍吉宗の代に幕政の中枢から失脚。…
※「正徳の治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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