武術の修行法の一つ。もともと武士たちが各地を巡り歩き、山野河海、寒暑風雨などの困難を克服して、心身を鍛え、武技を練り、吟味工夫を重ね、その達成を図ったことをいうが、のちには武術修行者が、諸国知名の兵法者(へいほうしゃ)、武芸者を巡訪して、諸流と交わり技術の向上を図ったことをいう。室町後期になると、京都には武術を専門とする教授者が出現し、武者修行の者が諸国から蝟集(いしゅう)して、ここに滞留して兵法や武術を磨いたが、一方、地方の兵法者のなかには、自ら精妙を悟得した武術を携えて京都に上り、将軍の御覧に供して、天下一(てんかいち)の名をあげることを最大の念願とする者があった。塚原卜伝(ぼくでん)や上泉信綱(かみいずみのぶつな)らはその代表的人物である。戦国時代に入ると、武者修行で全国各地を巡回し、戦いのある所にはいつも参加して武功をあげ、また武辺に名を得た者のあることを聞けばかならず勝負を挑んで勝ちを望み、他人よりも高い知行(ちぎょう)で召し抱えられる機会をねらう兵法者も少なくなかった。
江戸時代に入り、初期には武者修行の風もみられたが、各藩の師家が定着し、流儀の名誉と技法の秘密が重視されると、閉鎖的な傾向が強まり、元禄(げんろく)(1688~1704)以降、泰平の風潮と真剣勝負の禁止などにより、他流試合は衰微した。しかし、田沼時代に創案された竹刀(しない)打ち込み稽古(げいこ)が流行し、江戸の町道場を中心に新流が台頭すると、諸藩士のなかでもこれに共鳴して、これらの道場に出入りする者が多くなり、やがてこれが地方に普及する端緒を開いた。また藩校の設置に伴い構内に演武場が併設され、師家単独制の意味が薄れ、家中相互の試合稽古が行われ、他流試合の禁が解かれると、ふたたび廻国(かいこく)修行が活発となり、江戸や他藩への留学も行われるようになった。しかし幕末に至り廻国修行者の増加とともに、これが野放しになることを懸念して、各藩では城下に修行者宿を指定し、演武場や師家への届出・許可制をとった。また地方個人道場の応待はまちまちであったが、通常3泊を限度としていた。
[渡邉一郎]
各地を回って武術の修行をすること。戦国末期から江戸初期,および幕末に流行した。〈廻国修行〉ともいう。本来は諸国を回り,名のある使い手や道場を訪ねて,武術の修練やときには命がけで試合をするもので,戦国時代にはそれで仕官の口を探す者も多かった。また自流の宣伝や勢力拡大の目的もあったようである。このような修行の旅は,試合とは別に,空腹,疲労,寒暑などの困苦を克服せねばならず,人間的な鍛練もその目的であった。また武者修行には,諸国の地形,兵備,風俗などを調べる隠密的な役割もあった。とくに戦国時代にはこの性格が大きかったと思われ,逆に修行者の訪問を受ける側も情報を得ることができ,武者修行は情報収集と伝達という役割も持っていた。武道史のなかでは,武者修行が盛んに行われた時期は,武道が非常に発達した時代となっている。現代でも,遠征あるいは出稽古などといって,武道の修行には各地の道場を訪ねて試合や練習を行い,互いに交歓し研鑽するという伝統がある。
執筆者:中林 信二
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