精選版 日本国語大辞典 「武者所」の意味・読み・例文・類語
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(1)上皇の御所を警護する武士の詰所(つめしょ)、またその武士。985年(寛和1)以降設置され、単に「武者」あるいは「所」ともよばれた。(2)建武(けんむ)新政政府によって設置され、皇居の警衛を任とする禁衛軍を統轄し、京都の治安保持にあたった機関。1333年(元弘3・正慶2)に設置され、64人の武士が六番(組)に分かたれ、輪番で任務についた。各番の頭人(とうにん)は、一番=新田義顕(にったよしあき)、二番=同義貞(よしさだ)、三番=同行義(ゆきよし)、五番=同義治(よしはる)と、新田一族が六番のうち四番を占め、このほか四番は長井広秀(ひろひで)、六番は武田信貞(のぶさだ)が頭人に任ぜられた。禁門の警備や市中の治安維持にあたったほか、風俗の取締りや土地問題などにも関与したらしい。
[新田英治]
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平安中期以降,院などにおかれ,御所や上皇自身の警護にあたった武者,およびその詰所。985年(寛和元)円融院に10人おかれたのが初見。天皇に近侍する滝口(たきぐち)を中心にのち増員され,北面とともに院の武力を担った。建武政権にも設けられ,詳細は不明だが,御所の警護のほか洛中警衛にあたったと推測される。足利尊氏離反後の1336年(建武3・延元元)に65人が6番に編成された交名(きょうみょう)が残る。継続して,南朝にも設置された痕跡がある。
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… 院司の構成にはかなり変遷があるが,《西宮記》《拾芥抄》《名目抄》その他の記録により,平安・鎌倉時代の院司を概括すると,二十数種に及ぶ。それを性格・機能のうえから分類すると,(1)院中の諸事を統轄処理するもの=別当・判官代・主典代,(2)上皇の側近に侍し身辺の雑事に奉仕するもの=殿上人・蔵人・非蔵人,(3)各種の職務を分掌するもの=別納(べちのう)所・主殿(とのも)所・掃部(かもん)所・薬殿・仕所・召次所・御服所・細工所・御厨子(みずし)所・進物所・御厩・文殿(ふどの)など,(4)上皇の身辺および御所の警固に当たるもの=御随身所・武者所・北面・西面などに整理できる。まず(1)は院司の中核で,(1),もしくは(1)(2)に限って院司と称した例も多い。…
※「武者所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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