精選版 日本国語大辞典 「武蔵七党」の意味・読み・例文・類語
むさし‐しちとう ‥シチタウ【武蔵七党】
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平安時代末期から室町時代初期に武蔵国を中心に分布していた中小武士団。丹治(たんじ)、私市(きさいち)、児玉(こだま)、猪俣(いのまた)、日奉(にし)、横山(よこやま)、村山(むらやま)の七つの同族的武士団をさす。「武蔵七党系図」には私市のかわりに野与(のいよ)がみえ、『貞丈雑記(ていじょうざっき)』などでは村山がなく、都筑(つづき)を入れている。平安時代末から鎌倉時代の史料には横山党、児玉党、丹(たん)党しかみえず、「武蔵七党」とあるわけではない。9世紀末から10世紀にかけての東国は「凶猾(きょうかつ)党を成し、群盗山に満つ」状態で、「僦馬(しゅうば)の党」など商業運送に携わる人々の反乱が相次ぎ、馬を自由に乗りこなす人々が現れていた。彼らは一方では秩父(ちちぶ)牧、小野(おの)牧、阿久原(あぐはら)牧などの管理者でもあり、「党類」をなして狩猟に従事し、私出挙(しすいこ)活動を通じ、百姓の牛馬なども手に入れ、しだいに富豪経営者となった。10世紀なかば、律令(りつりょう)国家はこれら有力者を「諸国兵士、諸家兵士」に組織し、群盗に備えるとともに軍事組織としても整備していった。彼らは現地では有力者として田畑開墾を進め、在地領主として成長し、しだいに専業武士となった。鎌倉時代の初めに源頼朝(よりとも)に従った武蔵の中小武士は、ほとんどがほぼ独立した同族武士団で、互いに結び合い、おのおのが党的武士団を形づくっていた。鎌倉幕府成立後、御家人(ごけにん)や北条氏の御内人(みうちびと)となる武士もみえ、相伝(そうでん)文書をもつ子孫もある。室町時代に「武蔵七党」と称され始め、血縁から地縁結合をもつ集団にかわり、白旗一揆(しらはたいっき)、武州(ぶしゅう)一揆へ発展していった。
[伊藤一美]
『渡辺世祐・八代国治著『武蔵武士』(1913・博文館/復刻版・1971・有峰書店)』▽『安田元久著『武士世界の序幕』(1973・吉川弘文館)』▽『伊藤一美著『武蔵武士団の一様態――安保氏の研究』(1981・文献出版)』
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平安後期,武蔵国内に成立した中小武士団の総称。七党は室町時代以後の美称で,鎌倉時代は「武蔵の党々」などとよばれ,七つに固定したものではない。猪俣(いのまた)・児玉・横山・丹(たん)・野与(のよ)・村山・私市(きさい)・西・綴(つづき)などの武士団があり,これらの党は郷地頭クラスの武士が1郡から数郡規模でゆるやかに結合し,勧農などの地域開発や祭祀,軍事行動をともにした。後世に作られた「武蔵七党系図」は,それぞれの党が同一始祖から分岐派生した同族集団であることを強調しているが,実際は多様な氏族が婚姻を介して地域的に結合したもの。14世紀以後,高(こう)氏・上杉氏らによる支配が浸透し,南北の武蔵白旗(しらはた)一揆に再編された。
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