日本大百科全書(ニッポニカ) 「武谷三男」の意味・わかりやすい解説
武谷三男
たけたにみつお
(1911―2000)
物理学者。福岡県生まれ。1934年(昭和9)京都帝国大学理学部を卒業。京都帝大理学部、大阪帝大理学部副手を経て、理化学研究所仁科芳雄(にしなよしお)研究室助手を務めた。1946年(昭和21)鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)らとともに思想の科学研究会の機関誌『思想の科学』(1996年休刊)を創刊。1952年(昭和27)立教大学教授となり、1969年退職。早くから素粒子の研究に進み、素粒子の相互作用の理論、中間子の波動方程式など素粒子論を発展させた。第二次世界大戦後、「素粒子論グループ」の一員として坂田昌一(しょういち)らとともに研究活動を行う一方、科学者の社会的責務を論じ、原爆の投下や死の灰、原子力の平和利用などに関しても活発に発言、著作も多くある。
[栗原一朗]
『『武谷三男著作集』全6巻(1968~1970・勁草書房)』▽『『武谷三男現代論集』全7巻(1974~1977・勁草書房)』▽『山室英男他著『それぞれの武谷三男――武谷さんを語る会全記録』(2000・技術と人間)』