しょくさん‐こうぎょう ‥コウゲフ【殖産興業】
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日本人‐九号(1888)高島炭礦〈今外三郎〉「殖産興業の
大目的たる民を利し民を福する者なれば」
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デジタル大辞泉
「殖産興業」の意味・読み・例文・類語
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殖産興業
しょくさんこうぎょう
明治初期において,先進資本主義諸国の外圧に対抗するため,近代産業技術を移植して資本主義的生産方法を保護育成しようとした政策。初期には鉄道,電信,鉱山,造船などの官営事業の創設,紡績,製糸などの模範工場の建設,さらには牧畜,農林業などの官営諸施設の創設などを中心に行われたが,1875年以降は,私企業への各種補助金,勧業資本金の交付などに重点を移していき,近代産業の形成を促進した。これら官営事業は,その後 80年の工場払下概則および 85年の工部省の廃止によって政商 (浅野,岩崎,三井,古河など) に廉価で払下げられ,財閥形成の原因ともなった。
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しょくさんこうぎょう【殖産興業】
産業の振興と物産の繁殖を通じて,富国強兵をめざす〈殖産興業〉の思想は,維新政府の政策をつらぬく顕著な経済思想のひとつであった。しかしその端緒はすでに,開港前後の幕府,諸藩の政策のなかにあらわれていた。たとえば鹿児島藩では1830‐40年代(天保・弘化期)の藩政改革ののち,集成館の造船・造機工場や洋式綿糸紡績所などの操業が開始され,諸藩や幕府でも反射炉,溶鉱炉,造船所の建設や国産振興,専売制度,交易拡大などの政策が,緊迫した内外の政局のなかで積極的に進められた。
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殖産興業
しょくさんこうぎょう
①江戸中期以後の産業振興政策
②明治前期の経済振興政策
商品経済発達による財政の危機を救うため,幕府・諸藩は農民に特産物生産を奨励した。
明治政府は「富国強兵・殖産興業」をスローガンに,官営事業を経営し民間産業の保護育成につとめた。松方財政を経て近代産業は軌道に乗り,日清戦争後,資本主義が発達した。
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