精選版 日本国語大辞典 「毅宗」の意味・読み・例文・類語 き‐そう【毅宗】 中国、明朝最後(第一七代)の皇帝(在位一六二七‐四四)。宦官(かんがん)魏忠賢を退け、徐光啓を用いて政治の改革をはかったが、内憂外患があいつぎ、李自成の北京侵入のとき自殺、明は滅びた。崇禎(すうてい)帝。荘烈帝。(一六一〇‐四四) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「毅宗」の意味・わかりやすい解説 毅宗 (きそう)Ǔi-jong生没年:1127-73 朝鮮,高麗第18代の王。在位1146-70年。第17代仁宗の長子,母は恭睿太后任氏。太平好文の主といわれ,また,遊興・娯楽の生活に耽溺した国王として知られる。1170年,鄭仲夫らのクーデタが成功すると,毅宗は廃位されて巨済島に流され,弟の明宗が後を継いだ。1173年,金甫当らの毅宗復位運動が失敗すると,毅宗は李義旼によって殺害された。執筆者:浜中 昇 毅宗(中国) (きそう)Yì zōng →崇禎帝 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報