精選版 日本国語大辞典 「母」の意味・読み・例文・類語
はは【母】
[1] 〘名〙 (「はわ」の時代も)
※伊勢物語(10C前)一〇「父はなほびとにて、ははなん藤原なりける」
※古本説話集(1130頃か)五六「はわにとへとおほせらる」
※アパアトの女たちと僕と(1928)〈龍胆寺雄〉六「義母(ハハ)も義姉(あね)たちも」
② 物事を生み出すもととなるもの、また、人。
※続日本紀‐宝亀五年(774)四月己卯「其摩訶般若波羅蜜者、諸仏之母也」
※西国立志編(1870‐71)〈中村正直訳〉五「蓋し窮困は創造の母なり」
[2] (原題Mat') 長編小説。ゴーリキー作。一九〇六年英文で発表。翌年ロシア語版刊。無知と忍従に生きてきた一人の母親が、革命運動に情熱を傾ける息子を通じて、みずからも社会変革の意識にめざめていく過程を描き、小説上の社会主義リアリズムへの道を開いた。
[語誌](1)ハ行子音は、語頭ではp→Φ→h、語中ではp→Φ→wと音韻変化したとされる(Φは両唇摩擦音。Fとも書く)。これに従えば、「はは」は papa → ΦaΦa → Φawa → hawa となったはずで、実際、ハワの形が中世に広く行なわれたらしい。仮名で「はは」と書かれたものの読み方がハハなのかハワなのかは確かめようがないが、すでに一二世紀の初頭から(一)①の挙例「古本説話集」など、「はわ」と書かれた例が散見されるから、川のことを「かは」と書いてカワと読むごとく、「はは」と書いてハワと読むことも少なくなかったと考えられる。キリシタン資料を見ると、「日葡辞書」では Fafa(ハハ)と Faua(ハワ)の両形が見出しにあるが、「天草本平家」などにおける実際の用例ではハワの方が圧倒的に多い。
(2)一七世紀初頭までは優勢だったハワが滅んで、現代のようにハハの形のみが用いられるようになったのには、次のようないくつかの原因が考えられる。(イ)他の親族名称、チチ・ヂヂ・ババからの類推が働いた。すなわち、これらの親族名称は、二音節語、同音反復、清濁のペアをなす、といった特徴があるから、ババから期待される形はハハである。(ロ)江戸時代には、日常の口頭語で母を意味する語としては、カカ(サマ)・オッカサンなどが次第に一般的となり、「はは」は子供が小さいときに耳で覚える語ではなく、大人になってから習得する語になっていった。(ハ)江戸時代でも、仮名表記する際には「はは」が一般的であり、この表記の影響による。
(2)一七世紀初頭までは優勢だったハワが滅んで、現代のようにハハの形のみが用いられるようになったのには、次のようないくつかの原因が考えられる。(イ)他の親族名称、チチ・ヂヂ・ババからの類推が働いた。すなわち、これらの親族名称は、二音節語、同音反復、清濁のペアをなす、といった特徴があるから、ババから期待される形はハハである。(ロ)江戸時代には、日常の口頭語で母を意味する語としては、カカ(サマ)・オッカサンなどが次第に一般的となり、「はは」は子供が小さいときに耳で覚える語ではなく、大人になってから習得する語になっていった。(ハ)江戸時代でも、仮名表記する際には「はは」が一般的であり、この表記の影響による。
おも【母】
〘名〙
① はは。
※万葉(8C後)二〇・四四〇一「韓衣(からころむ)裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや意母(オモ)なしにして」
② 乳母(うば)。乳を飲ませる者。ちおも。めのと。
※万葉(8C後)一二・二九二五「緑児の為こそ乳母(おも)は求むと言へ乳(ち)飲めや君が於毛(ヲモ)求むらむ」
[語誌]上代語であり、中古以降は「おもとじ」など複合語の構成要素にのみ見られる。東国では「おも」「おもちち」とともに「あも」「あもしし」「あもとじ」の形が見える。
あも【母】
〘名〙 上代語。母。おも。
※書紀(720)雄略二三年八月・歌謡「道に闘(あ)ふや 尾代(をしろ)の子 阿母(アモ)にこそ 聞えずあらめ 国には 聞えてな」
[語誌](1)「書紀‐歌謡」の例のほかは「万葉集」では防人歌に見えるところから、「おも」の古形が東国方言に残ったと見られる。
(2)中央語「ちちはは」に対する「あもしし」あるいは「おもちち」は、母が先にくるところから、古代母系制の名残と見る説もある。
(2)中央語「ちちはは」に対する「あもしし」あるいは「おもちち」は、母が先にくるところから、古代母系制の名残と見る説もある。
はわ はは【母】
〘名〙 ⇒はは(母)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報