精選版 日本国語大辞典 「毛織物」の意味・読み・例文・類語
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おもにメンヨウからとった羊毛からつくられた毛織物をさすが、ほかにラクダ科の動物の毛、ウサギの毛、トナカイの毛などの獣毛類や、あるいはそれらの毛を混紡または交織した織物をも含めた総称として使われる。
毛織物は、繊維の種類によって大きく梳毛(そもう)織物と紡毛(ぼうもう)織物に分けられ、原糸の種類、紡績の方法、仕上げ加工(整理)などによって、細分化され、名称がつけられている。また、梳毛・紡毛の区別なく、用途によって服地、オーバー地、芯地(しんじ)、ズボン地などと分けることもある。
梳毛織物と紡毛織物では、それぞれの構成糸によって製造工程が異なっている。織布工程では大差がないが、仕上げ工程(整理)では紡毛織物に縮絨(しゅくじゅう)・起毛が施される。縮絨はせっけん液に織物を押し付けて織物を縮ませ、組織を緻密(ちみつ)にし、幅をそろえ、厚地にする作業で、起毛は、織物の表面の毛羽をかきたて、布面を柔らかくするものである。したがって、織物の組織は起毛によって隠れ、毛織物独特の柔らかな風合いを醸し出すことができる。この起毛には加工方法によって、メルトン仕上げ、ビーバー仕上げ、ナップ仕上げなどがある。
代表的な毛織物としては、梳毛織物に、サージ、ポーラ、ギャバジン、モスリン、セル、トロピカルなどがあり、紡毛織物には、メルトン、フランネル、ドスキン、ベロア、ツイードなどがある。この織物の寸法は、とくに一般の洋服生地では、普通145~147センチメートル幅で、これをダブル幅といい、この半分の幅のものをシングル幅といっている。長さは梳毛織物では50ヤード(45.7メートル)、紡毛織物では30ヤード(27.5メートル)であったが、最近では50メートルまたは30メートルに変わりつつある。
毛織物の特性としては、伸縮性があり、弾性に富んでいることと、吸湿性があること、染色性がよいこと、などの特徴をもっている。しかし欠点として、ときにより洗濯によって縮むことがあり、また害虫によって冒されやすいので、最近では防縮加工(ロンドン・シュラング)や防虫加工が施され、欠点が解消されつつある。そして織物の品質は、日本工業規格(JIS(ジス)・L)毛織物試験方法などにより規定され、保証されている。
毛織物は遊牧民族のメンヨウ飼育と関連し、家畜動物の毛皮使用から織物生産へと発展した。生産はメソポタミア地方から各地へ拡大されたが、西欧では、中世にはフランドル地方および、フィレンツェが著名であり、やがて戦争のため、フランドル地方から移住した織匠たちによって、イギリスに毛織物工業確立の基礎がつくられた。
日本では、原料のメンヨウが気候上から飼育が困難であるため、ほとんどが輸入でまかなわれた。初めて毛織物がもたらされたのは239年のことで、魏(ぎ)の明帝から倭(わ)の女王に絳地縐粟罽(こうじしゅうぞくけい)10張を賜与されたことが、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にみえている。
奈良時代には、中国から多くの織氈(おりかも)が輸入され、正倉院にも一部所蔵されているが、このような輸入に刺激され、下野(しもつけ)国(栃木県)で国産されたとする説もある。
近世初頭から南蛮貿易によってトロメン(兜羅綿)、ラセイタ(羅背板)、羅紗(らしゃ)、ゴロ(呉呂)などがもたらされ、武将の陣羽織や火事装束などに使われた。このような情勢から、近世から明治初期にかけて、毛織物製造を原毛の段階から行おうとする試みがなされたが、いずれも成功しなかった。近代羊毛工業は、輸入毛織物の増加と、陸海軍の制服地として、羅紗、セルが必要になり、1879年(明治12)東京の千住(せんじゅ)に官営千住製絨所(せいじゅうしょ)が設立された。これはすべて軍需用にあてられたので、別に民需用としての生産は、1887年ごろから東京毛糸紡績会社などの設立によって開始された。
日露戦争の結果、軍需の台頭や、羊毛輸入税の撤廃などもあって、新設工場が続々と各地につくられ、近代的産業として、羊毛工業が確立していった。第一次世界大戦中には、毛織物輸入の途絶、戦争景気に伴う消費の増加からさらに発展を遂げ、昭和初期の不況期には過剰生産となって現れた。第二次世界大戦中には原毛の輸入が絶え、生産も縮小せざるをえなかったが、戦後には復興が順調に進み、早くも1952年(昭和27)には毛糸生産が戦前の水準に達し、59年には戦前最高の織物生産高を超えるに至った。しかし一方、発展を遂げつつあった合成繊維との間に繊維間競合を引き起こしている。そのため生産は減少傾向にある。
生産は、原毛を主としてオーストラリアやニュージーランドなどから輸入しているが、輸入量は年間約2250万キログラム(2005、中間製品の羊毛トップを含む)に達し、これにより国内生産が行われている。国内における原毛生産はごくわずかである。毛織物の生産は年間約7082万平方メートル、そのうち梳毛織物の生産は約6180万平方メートル(いずれも2006年)に達している。
織物生産地は、発展の経過からみて、地域的に集中化の傾向があった。明治後期にモスリン製造から始まった愛知県一宮(いちのみや)市を中心とする尾西(びさい)地方が主要な毛織物生産地帯を形成しており、また大阪府泉大津(いずみおおつ)を中心として毛布が生産されている。それに加えて、従来の絹織物生産地において、ウール和服地を生産するようになった。
用途としては、ヨーロッパでは、綿織物が安価で大衆的衣料として供給されるようになるまでは、ほとんどの衣料が毛織物であったが、やがて、毛・綿・麻などの繊維種類によって衣料分野を分担することになった。ところが合成繊維の発達によって、毛織物の分野は蚕食され、毛織物は不要とされるようにみえたが、天然繊維本来の特性が認められ、衣料としての根強い利用がなされている。また、毛布、カーペットとしても用途が広い。
[角山幸洋]
『政治経済研究所編『日本羊毛工業史』(1960・東洋経済新報社)』▽『山根章弘著『羊毛文化物語』(1979・講談社)』
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…風通(ふうつう)などがこれである。また二重織の変化したものに,地組織の経糸,緯糸とは別の経または緯糸をいっしょに織り込んだ織物で,添毛織物あるいはパイル織といわれるものがある。別糸で輪奈(わな)を作ったり,製織後その別糸の表面にナイフを入れてけばだたせたタオルやべっちん,ビロードなどがこれである。…
…織物の製造に従事する職人。用いる材料によって,また織り方によって職種や職人のあり方は歴史的地域的に多様であり,〈織物〉〈絹織物〉〈毛織物〉〈綿織物〉などの項目も参照されたい。また日本の古代・中世の高級織物の織成に従事した〈織手(おりて)〉については別に独立項目がある。…
…44年(弘化1)には中島郡・海部郡42ヵ村368戸で1429桁の織機があり,問屋職・問屋仲買職・織屋職・賃稼などに至る広範な分業に支えられ,織屋のなかにはマニュファクチュアとみられる生産形態をもつものもあった。 明治末年からの毛織物業への転換は大正期に入って本格化し,第1次大戦後の1921年には転換を完了し,23年の毛織物生産額は2645万3000円で,この地方の総生産額の7割を示すに至り,日本最大の毛織物生産地帯となった。1912年ごろから力織機の導入が始まり,20年の中島郡における使用比率は51.2%,24年には90%台を示し,また大正期の着尺セル生産は28年から洋服用セルへと転換していった。…
…こうして,フランドル伯は同時にフランス国王とドイツ国王との封臣であり,イングランドとも羊毛の輸入を軸として緊密な関係を結び,ヨーロッパ政治において独特な地位を確保していた。 中世におけるフランドル伯領発展の最大の基礎は,ヨーロッパ随一の毛織物工業と都市の発展である。紀元1000年前後から,開墾が進み農業生産が拡充するに応じ,また伯の主導によって定期市設置や都市建設が進められ,多数の都市が形成された。…
…しかし西ヨーロッパが開拓した北アフリカ市場は出超であり,西スーダンの金がヨーロッパに流入した。13,14世紀になると,西側はフランドル産およびイタリア産の毛織物という強力な輸出商品を開拓し,レバント貿易の基本的形態が成立した。その結果,レバント貿易の数量はかつてないほどの水準に到達した。…
※「毛織物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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