主たる運営財源を国家予算や受信料収入以外の収入(通常は広告収入または有料収入)によっている放送事業者。日本の場合、日本放送協会(NHK)、放送大学学園以外の放送事業者をさす。放送法では「一般放送事業者」の名称が使われている(3章)。通常、民放という。
[伊豫田康弘]
民放は、電波法による放送局の免許を受けて番組を放送するという点ではNHKと同じだが、事業体の性格には大きな違いがある。第一は法人格の相違であり、NHKが放送法に基づいて設立された特殊法人で、営利を目的としていないのに対し、民放の法人格については法律による規定がなく、したがって非営利の財団法人であろうと、営利の株式会社組織であろうと、自由である。現在はすべての民放が株式会社である。かつては日本文化放送協会(現文化放送)、東京12チャンネル(現テレビ東京)、極東放送(現エフエム沖縄)が一時期財団法人であった。第二の相違は財源で、NHKの運営が放送法第32条に基づき視聴者から直接徴収する受信料でまかなわれているのに対し、民放は、地上波では広告主企業の支払う広告放送料金、衛星波では月極めの有料収入を主要な財源としていることである。第三の相違は放送区域で、NHKが「あまねく日本全国において受信できるように放送を行うことを目的とする」(放送法7条)のに対し、地上波の民放はおおむね地方行政の地域区分に一致した一定の地域に限定された地域放送(県域放送)が原則である。地上波の民放の全国放送は、ネットワークを通じて行われる。
[伊豫田康弘]
1950年(昭和25)に新憲法に即した新しい放送法制として、電波法、放送法などが成立し、それまで唯一の放送事業体だった社団法人日本放送協会を特殊法人に改組するとともに、民間の放送が認められ、翌51年9月1日、中部日本放送と新日本放送(現毎日放送)の両局が民放第1号として開局、中波放送を開始した。民放の中波ラジオ局は54年に39社に達し、ほぼ全国的な置局を遂げた。また、54年8月には民放唯一の短波放送局である日本短波放送(現日経ラジオ社)が開局した。民放ラジオの新規開局は、その後、FM放送に焦点が移り、69年のエフエム愛知を皮切りに、70年に3社が開局、その後10年余りの空白期間を経て82年にエフエム愛媛など5社が開局、以後、郵政省(現総務省)の1県1局の置局方針に基づき各地に民放FM局が開局、日本もアメリカ同様、本格的な中波・FM競合時代を迎えている。97年(平成9)7月現在、民放ラジオ(地上波)の社数は中波47社(うちテレビ兼営36社)、短波1社、FM49社(うち外国語放送3社)の合計97社となっている。なお、FM放送では1992年1月10日に新たな音声媒体として「コミュニティ放送」の開設が認められ(郵政省令)、その第1号局「FMいるか」(北海道函館(はこだて)市)が同年12月24日開局した。コミュニティ放送は最大出力20ワットの小規模放送で、「タウン誌」の放送版ともいうべきものである。2000年4月現在で131局が開局している。
[伊豫田康弘]
民放テレビ局は、日本テレビ放送網が1952年7月31日にNHKに先だって予備免許を得、53年8月28日開局した。続いて、55年にラジオ東京テレビ(現東京放送=TBS)、56年から58年にかけて大阪、名古屋、札幌、福岡各市に各1社ずつ、まず大都市から置局されていった。57年に郵政省はテレビ周波数を6チャンネル制から12チャンネル制に拡大、全国に民放テレビ34社を新設する一斉予備免許を行い、58年から60年にかけてテレビの全国置局が進行した。テレビ受信機は59年4月の皇太子(現天皇)ご成婚を契機に急速に普及(同月時点での受信契約数約200万台)、62年3月で1000万台を突破した。超短波帯(VHF)を使うテレビ局は、64年の東京12チャンネルの開局で終止符を打ち、以降は68年の岐阜放送をトップに、極超短波帯(UHF)使用のテレビ局が全国各地に開局している。民放テレビ局(地上波)は97年7月末現在、126社(衛星系業者を除く)、このうちVHF局は48社(うちラジオ兼営34社)、UHF局は78社(ラジオ兼営2社)である。91年4月からは、初の衛星(BS)民放、日本衛星放送(略称WOWOW(ワウワウ))のサービスが開始された。92年5月には通信衛星を利用するCSテレビ放送が始まり、さらに96年10月、パーフェクTVによる日本初のCSデジタル放送がスタートした。
[伊豫田康弘]
民放もNHK同様、無線局の一種として電波法の規制を、また運用について放送法の規制を受けている。ほかに民放については、郵政省令「放送局の開設の根本的基準」(昭和25年電波監理委員会規則21号)第9条、「放送の公正かつ能率的な普及に役立つものでなければならない」旨の規定の適用に関する郵政省(現総務省)の行政方針として、免許申請者が人的・資本的にできるだけ地域社会に密着していること、同一主体が2社以上を支配してはならないこと、同一地域社会でテレビ、ラジオ、新聞の三大マス・メディアを同一主体が支配することのないようにすること(マス・メディア集中排除原則)、などの規制が行われている。こうした法令や通達に基づく行政規制の一方、自主規制として、業界団体である社団法人日本民間放送連盟(民放連)の定める放送基準が、民放各社の番組・CMの考査の規範となっており、また各社レベルでも考査セクションを置き、番組やCMのチェックを日常的に行うほか、外部の学識経験者による番組審議会を設置して、経営・番組活動全般のチェックを行っている。
なお、1982年12月1日施行の改正放送法で設立の認められたテレビ文字多重放送事業者(97年7月末現在9社)も一般放送事業者、つまり民間放送に含まれる。
[伊豫田康弘]
『日本民間放送連盟編『日本民間放送年鑑』各年版(コーケン出版)』▽『日本民間放送連盟編・刊『民間放送三十年史』(1981)』
商業放送commercial broadcastingの日本における通称。〈民放〉と略称する。日本の商業放送はアメリカのそれをモデルにしており,直訳して商業放送と呼ぶべきであった。しかし1950年,電波法,放送法にもとづいて設立された〈一般放送事業者〉(法律上の用語)の代表者たちは新聞界出身者が多く,公共放送(NHK)に対する民間の立場を強調することを意図して民間放送という言葉を選んだという経緯がある。民放(ラジオ)は,NHKに四半世紀余り遅れて51年まず中部日本放送,新日本放送が開局したが,NHKとはちがった庶民的センスあふれる番組で人気を獲得し,同時に広告媒体として積極的に利用され,経営は安定した。テレビも53年,NHKと相前後して日本テレビ放送網が民放初のテレビ局として発足し,60年までに全国的な置局をみた。当初の悲観的予測をはるかに上回る受像機の普及で,民放はテレビによって最大のマス・メディアに成長し,産業規模を拡大した。日本の高度経済成長と重なるかたちで民放は発展を遂げたが,これには1地域に2局,3局,4局と複数の民放テレビ局を免許した郵政省の政策も無視できない。しかし民放の広告媒体としての価値は,番組をつうじて動員した視聴者の多少によって評価されるため,民放は視聴率を追求する番組に徹し,俗悪番組に対する批判をしばしば浴びた。60年代の初め,NHKはみずからを〈基幹放送〉と称したが,大衆メディアの主流は現在は民放に移っている。
→公共放送
執筆者:野崎 茂
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(隈元信一 朝日新聞記者 / 2007年)
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…これらのほかにラジオとテレビによる国際放送(海外放送)も行っており,この海外向けの放送については部分的に国の交付金を受け財源としている。 広告収入で経営されている民間放送がその放送事業の対象範囲を原則として地域に置いているのに対し,NHKの放送は全国放送を基本としており,また公共性を強く要請されるところから,一党派や権力,資本などに左右されてはならず,番組の内容・編成も,大衆文化的色彩の濃い民間放送と対照的に,報道や教育・教養番組の比重が高い。なかでも近年は,流動する国内・国際情勢のなかで政治,経済,社会について的確な情報を迅速かつ多角的に提供するためにニュース番組の枠をさらに広げたり,高まる生涯教育への多様な要望にこたえて社会教育番組を再編成するなどのくふうがなされている。…
※「民間放送」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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