宮城県北東端,岩手県境に位置する市。2006年3月旧気仙沼市と唐桑(からくわ)町が合体して成立し,09年9月本吉(もとよし)町を編入した。人口7万3489(2010)。2011年3月の東日本大震災では,死者行方不明1484人,全壊住宅8380戸にのぼった。
気仙沼市北東部の旧町。旧本吉郡所属。人口8103(2005)。岩手県と接する。三陸海岸の南部にあり,気仙沼湾と広田湾をわける唐桑半島が南に突出している。ほとんどが漁業集落で,リアス海岸の各所に18の漁港がある。気仙沼港を基地にする遠洋漁船が多く,沖合・沿岸漁業も盛んで,西海岸ではワカメ,カキの養殖が行われる。舞根にはカキ研究所があり,浅海養殖の振興のためアワビの〈海底牧場〉もつくられている。唐桑半島はタブ,椿が群生し,巨釜(おがま)・半造,大理石海岸,御崎など多くの景勝地があって,全域が陸中海岸国立公園に指定されている。商工業はふるわず,隣接する旧気仙沼市,陸前高田市に依存している。
執筆者:千葉 立也
気仙沼市中西部の旧市。1953年気仙沼町,鹿折(ししおり)町,松岩村が合体,市制。人口5万8320(2005)。南東は太平洋に面し,内に気仙沼湾を抱く。港奥に中心市街地気仙沼があり,湾口の大島が太平洋の風波をさえぎる。北・西部は北上高地に属する山地である。気仙沼の地名は《延喜式》に記された計仙麻神に由来するといわれる。平泉の藤原氏三代(奥州藤原氏)が栄えたころ,気仙沼は海運の門戸として利用され,また,鹿折金山(現在は閉山)の本吉金が平泉文化を支えたといわれている。鎌倉初期から天正期(1573-92)にかけては葛西氏の家臣熊谷氏の領地であったが,近世には仙台藩の直轄地として代官鮎貝家が統治した。歌人落合直文は鮎貝家の出身である。明治に入って桃生県,石巻県,登米県,一関県,水沢県,磐井県とたびたび所属県が変更され,宮城県に入ったのは1876年である。古くから漁港として栄え,現在も産業の中心は水産業であり,漁港,魚市場の整備とともにカツオ,マグロ,サンマなどの水揚げが急増し,またノリ,カキの養殖も盛んである。工業は水産に関係の深い製氷,冷凍,水産加工が活発で,埋立てによる石油基地や工業団地も作られている。商業も盛んで古くから県北東部の商業中心地であった。海岸美に優れた沿岸一帯は陸中海岸国立公園に属し,岩井崎の潮吹岩は天然記念物に指定されている。JR大船渡線,気仙沼線,国道45号,284号線が通じる。
執筆者:長谷川 典夫
仙台藩時代,三日市,八日市の六斎市が立ち,本吉郡北方の中心的な町場で,商港・漁港であった。気仙とも呼ばれ,気仙沼湾の周辺部に大島の長崎湊などの諸湊があり諸国廻船の出入津でにぎわった。積出し荷物は魚類,〆粕(しめかす),干魚,塩魚,魚油,フノリ,コンブなどの海産物,および葉タバコがおもなものであった。天明期(1781-89)仙台藩は魚油などの会所を牡鹿郡小淵,石巻と気仙沼に設け江戸方面への販売促進を計り,会所商人はそれぞれ那珂湊,銚子,浦賀,江戸に手代を派遣している。葉タバコは東磐井郡方面産の東山タバコで,気仙沼湊は同地方の江戸下り荷の荷揚地で商権をもっていた。気仙沼諸湊所属の商船はこうした商品を江戸方面に輸送し活躍したが,安永期(1772-81)の大島村には大型の天当船が3艘を数え,また小回り商船の五太木船も多く,石巻湊に次ぐ仙台藩の商港であった。
執筆者:渡辺 信夫
気仙沼市南部の旧町。旧本吉郡所属。人口1万1588(2005)。東は三陸海岸に面し,南・北・西は北上山系の支脈に囲まれる。海岸沿いをJR気仙沼線が走り,国道45号,346号線が通じる。平安時代には藤原氏の老臣大谷(おおや)氏が大谷に居城したと伝えられ,藤原氏滅亡後は千葉氏の所領となり,南北朝期以降は葛西氏の支配下に置かれた。近世は仙台藩領で,中心集落津谷(つや)は奥州東浜街道と西郡街道が交差する宿駅として栄え,馬籠(まごめ)では製鉄,製塩が奨励された。1896年の三陸大津波では死者553人を数える大被害を受けた。主産業は農林業と漁業で,酪農,タバコやシイタケの栽培,定置網漁やワカメの養殖が行われる。大谷金山は金,銀,銅を産したが,1971年閉山した。海岸には大谷,小泉をはじめ多くの海水浴場がある。
執筆者:千葉 立也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
宮城県北東部、三陸海岸にある市。1953年(昭和28)気仙沼町、鹿折(ししおり)町、松岩村が合併して市制施行。1955年階上(はしかみ)、新月(にいづき)、大島(おおしま)の3村を、2006年(平成18)本吉(もとよし)郡唐桑町(からくわちょう)を合併、2009年同郡本吉町を編入。JR大船渡(おおふなと)線・大船渡線BRT(バス高速輸送システム)・気仙沼線BRT、国道45号(東浜街道)、284号(気仙沼街道)が通じる。三陸沿岸道路の小泉海岸、本吉津谷(つや)、大谷(おおや)海岸、岩井崎、気仙沼中央、気仙沼港、浦島大島、気仙沼鹿折、唐桑半島、唐桑小原木の各インターチェンジがある。藩政時代には気仙沼、赤岩(あかいわ)、新城(しんじょう)、月立(つきたて)、鹿折、唐桑、小原木(おばらき)の7村を総称して気仙沼といったが、旧気仙沼町は気仙沼本郷と称し、仙台藩直轄地となっていた。気仙沼湾は典型的なリアス海岸で、湾奥には天然の良港気仙沼港がある。古くからの漁港、また商業中心地であり、八日町などの市場地名も残っている。1956年に一景島(いっけいじま)埋立地に漁港、魚市場が建設され、新気仙沼港となった。三陸沖の漁場を控える県有数の漁港である。遠洋のカツオ・マグロ漁船の基地であり、またマグロやサンマなどの沖合漁業の水揚げ港でもある。中華食材フカヒレの生産でも知られる。鹿折地区には魚油工場、機械工場が立地する。湾岸の小漁村ではカキ、ホタテガイ、ワカメなどの養殖を行っている。気仙沼湾内の大島一帯は三陸復興国立公園(旧、陸中海岸国立公園)の一部で、亀山(かめやま)(235メートル)からは遠く金華山を望むことができる。島の北東岸の十八鳴(くぐなり)浜は歩くと音がする鳴り砂で知られる。市域南部の旧本吉町地区の海岸部一帯や田束(たつがね)山も三陸復興国立公園(旧、南三陸金華山国定公園)域。面積332.44平方キロメートル、人口6万1147(2020)。
[青柳光太郎]
〔東日本大震災〕2011年の東日本大震災では死者1218人・行方不明214人、住家全壊8483棟・半壊2571棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。2019年(令和1)5月時点で、防災集団移転促進事業、水産業の中核となる新魚市場や水産加工団地の整備、交通網の復旧・整備などの復興事業に取り組んでいる。
[編集部 2019年10月18日]
『『気仙沼市史』全9冊(1986~1997・気仙沼市)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新